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松本知子の生い立ちは!?オウムとの関わりは!?

松本知子は、オウム真理教元最高幹部にして、麻原彰晃こと松本智津夫の妻である。 今は現在はどうなっているのでしょうか?
2018/07/10 UPDATE
 
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松本知子とは?

松本 知子(まつもと ともこ、1958年8月17日 - )は、オウム真理教元最高幹部(出版事業を行っていた株式会社オウム社長)にして、麻原彰晃こと松本智津夫の妻。ホーリーネームはマハーマーヤ、のちにヤソーダラーへ変更となる。


旧姓は石井(石井久子とは血縁関係はない)。


家庭裁判所への申請を経て松本 明香里(まつもと あかり)と改名。

松本知子の生い立ち

千葉県立木更津高等学校卒業後、浪人し、代々木ゼミナール代々木本校に通う。予備校時代にとなりの席の麻原彰晃と知り合い、結婚。オウム時代は在家信徒として扱われていた

当時、松本家は千葉県船橋市に住み、3女をもうけ貧しく家族全員で1つの寝室を共有していた。 後の麻原の著書のいくつかは、知子が書いたものであった。



麻原は子供に向かって「蚊に刺されると痒くていやだね。でも蚊も生きているんだよ」とか「お釈迦様によれば、私たちは死後生まれ変わり、もしかしたら蚊に生まれ変わるかもしれない」などと話していたが、一方知子は蚊を平気で殺していた[3]。ヘビが苦手で麻原からヘビを見せられて気絶したこともある。



自著『転換人生』の中で20代に許容量をはるかに超える精神的葛藤のために、精神の異常が現れ始め、神経症に罹ったと告白。



その後、対人恐怖症・外出恐怖症を発症、強迫神経症もひどくなる。3女によれば、1982年に麻原が薬事法違反で逮捕されたことや、宗教にのめり込み家に戻らなくなったことと関係しているという。



このため、家庭でも精神不安定が目立ち、外で愛想のよい笑顔を浮かべた日に限って家庭では些細なことで怒りを爆発させていた。夫婦喧嘩の末に家出をすることもあり、「もう勝手にして!こんな家、出て行くわ」と叫びながらも実際に家を出るまで怒鳴りながら部屋と玄関の間を何往復もしていた。



しかし、3姉妹の中で知子についていくものはなく、3女の麗華が気の毒になり何度か家出について行った。夕食の時間に戻らなかった時には麻原は、インスタントラーメンを作ろうとし湯を煮詰めて鍋を焦がしたことがあり、それ以降は長女にラーメン作りを依頼するようになる

オウム真理教時代

夫である麻原彰晃との間に男2人、女4人の子をもうける。夫がオウム真理教を立ち上げる中で、妻として献身的にサポート。1987年9月に入信。


夫が薬局を開設していた千葉県船橋市に居住していたが、1988年10月に富士山総本部のある静岡県富士宮市へ子供を伴い移住、大師となる。


1989年10月には正悟師、1991年6月には石井久子、三女松本麗華(アーチャリー)に続き3人目の正大師となり、教団内でも重きをなしていった。教団が省庁制を採用した後は、「郵政省」大臣となった。

松本知子の現在は!?

2006年までは松本知子は教団に戻らず、ひっそりと暮らしているかと思われていました。


2006年7月20日にオウム真理教の後続団体アーレフ信者の容疑で家宅捜索の報道を通じて松本知子と三女を中心とした松本家が信者から資金援助を受けていたことが明らかになりました。



資金援助の詳細を追っていくと、2002年12月から「松本知子作の絵画の使用料」を名目として継続的に資金提供してきたことがわかりました。



松本知子作の絵で月40万円の収入を得て、子供たちや松本知子の生活に充てていたといいます。



他にも、4女の告発でアレフ代表を心良く思っていなかった信者が松本知子を含む松本家の人と接触をして意向を聞き、教団に反映されると言った形で教団に影響を与えていったそうです。

それらのことから事実上松本知子はオウム教団との関わりは断ち切っていないということになります。

オウム教団の後続団体として、アーレフ教団を立ち上げた後に、株式会社アレフがありました。


その関連企業にびっくりドンキーがあり、びっくりドンキーはアーレフと関わっているの?と一時騒然していました。



びっくりドンキーのアレフ社HPが一時サーバーダウンするほどアクセスが集中していて一時閉鎖をしたそうです。


その後、アレフ社のHPに「オウム教団の後続団体のアレフとは関わりありません」と説明を掲載するなどの対応に追われていました。

他にも、アレフと名がつく商品や会社名も少なからず影響があったとされていました。




現在は松本明香里と改名していますので松本明香里と検索しても同姓同名の方がいました。



今、麻原彰晃の死刑執行でニュースが報道していますが、江川紹子さん老けていましたね。

江川紹子さんもオウム事件でたくさん戦っておられていました。



江川紹子さんも一つの区切りがついたのでしょうね。

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