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”遊女”で有名な吉原はブラック企業だった!? 女達の激務すぎるスケジュールと遊女の格

しきたり、教養、上級遊女の品格は半端じゃなかった!
2016/08/10 UPDATE
 
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吉原遊郭とは

吉原遊廓とは、江戸幕府によって公認された遊廓である。


あまり知られていない事実として、最初期の吉原はおそろしく格式が高かったとされている。

庶民の男性など、店に入れすらしなかった。

吉原のシステムでは、客は目当ての遊女と男女の仲になるためには最低3度は通わねばならなかった。

しかも、一度指名したら別の遊女に鞍替えは御法度。
現在のホストクラブと同じく、永久指名制である。


もし遊郭に「浮気」がばれたら、手ひどい仕置きが待っていたという。
もちろん、客に、である。

そんな遊女であるが、一体一日をどのように過ごしているのであろうか?

ブラック企業顔負けのスケジュール!

吉原の妓楼は昼見世(ひるみせ)、夜見世(よみせ)と1日に2回営業であった。

そう考えると、それ以外の時間、遊女は好きに寝て好きに遊んでいられるような
イメージがあるが、実際にはそうではない。


現代で言えば、ブラック企業レベルの激務で彼女達は働いていたのだ。

まず朝。

江戸の人々は朝が早いため、吉原に泊まった客は大抵夜明け前に妓楼を出る。

この時、次の約束を取り付けて客を見送ったあと、遊女は二度寝をする。

二度寝から起きて、朝風呂→朝食となり、妓楼の本格的な朝が始まるのだ。

起床してからも低血圧だからと布団の中でだらだらしてはいられない。

起床した遊女は正午ころに始まる昼見世にそなえ、化粧や髪結いなどの身支度をする一方で、
営業に来た商人の相手をしたり、手紙を書いたりする。
(ここまで聞いても、血の滲むような努力だと思う)


「居続け」の客がいる場合は連泊してもらえるよう、言葉巧みに誘ったりもしたのだ。

この時間帯に上級遊女の雑用をする見習いの禿(かむろ)たちは手習いなどをする。

昼見世が始まり、終わるのは大体午後4時頃。

それから遊女はやっと遅い昼食をとり、自由時間となる。


もっと休みたいはずだが、日没と同時に夜の営業である夜見世が始まる。

遊女は張見世(はりみせ)という通りに面した座敷で格子の内側に遊女が並ぶところに
居並び、客がつくと2階にあがる。


時には複数の客の相手をしなければならず、夕食は1階で慌ただしくすませた。

妓楼の営業は午前2時頃までだが、遊女の寝床の仕事に終業時刻はなかった。

ほとんど休んだ気もしないままに働き詰めである。

1日のタイムスケジュール

信じられない程の超過密スケジュールである。

これを江戸文化評論家の永井義男氏が、遊女の1日のタイムスケジュールとして
まとめたものが次のとおりである。

【遊女の1日タイムスケジュール】
06時~10時:朝帰りの客を送ってから2度寝する
10時~12時:起床し、入浴や朝食、身支度、掃除をする
12時~16時:昼見世。張見世に出て客の相手をする
16時~18時:自由時間。昼食や身支度をする。客に呼ばれて引手茶屋(客を遊女に紹介する茶屋)にいくことも
18時~24時:夜見世。張見世にでて客の相手や酒宴など
24時~02時:24時に表戸を閉じ、就寝または夜食など
02時~06時:就寝時間は不規則だが、この頃には寝床に

現代であれば、即見切りを付けて辞めるか、経営者に直訴したり慰謝料の請求など
訴訟問題にまで発展しそうである。


しかし、遊女たちは黙々と仕事を続けた。

吉原は一晩13万以上だった!? 遊女の値段と”格”とは?

吉原の遊女を一般に花魁(おいらん)と呼ぶ。
この花魁は、上級遊女に対する敬称である。

一方で下級遊女は新造(しんぞう)といい、花魁とは呼ばない。

遊女の最高位は太夫(たゆう)と呼ばれ、美貌はもとより幅広い教養も身につけており、
気位も高かった。

現代の女優、タレント、モデル、などを合わせた存在が太夫だった。

宝暦年間(1751〜1764)に吉原は営業方針を大衆路線に切り替え、
客の中心は庶民となった。

だが依然として、貧乏人には無縁な世界だったことに違いはないのだが。

この時期、太夫という呼称はなくなり、最高位の遊女は昼三(ちゅうさん)と呼ばれた。

つまり、時代小説や時代劇に描かれる吉原には太夫は存在しなかったことになる。

宝暦期以降の吉原の遊女の階級はつぎの通りである。

花魁(おいらん、上級遊女)

高位から順に昼三(ちゅうさん)、座敷持(ざしきもち)、部屋持(へやもち)と呼ばれ、自室を与えられていた。昼三のなかでも最高位は「呼出し昼三」と呼ばれ、客は地方の豪商や豪農、諸藩の留守居役(るすいやく)などの富裕層。昼三は新造つきで一晩、最低でも13万円〜。座敷持は、昼三と同様に日常生活を送る個室と、客を迎える座敷を持つ。昼三にくらべ、部屋は質素。客は旗本の次男坊や商家の番頭など。一晩、5万円前後〜。部屋持は、日常生活を送る個室に客を迎えた。客は諸藩の藩士や裕福な幕臣など。一晩、2万5000円〜。※価格はすべて交遊費などを含めない揚代(あげだい、遊女代)のみ。1両=10万円で計算

新造(しんぞう、下級遊女)

自室はなく20畳程度の部屋で共同生活だった。客がつくと、共用の「廻し部屋」を使った。また、30歳過ぎの年季明けの遊女は、客はとらず、上級遊女の雑用などを引き受ける番頭新造(ばんとうしんぞう)を務めた。

禿(かむろ)

10歳前後の女の子で、花魁の雑用をしながら廓(くるわ)のしきたりや、遊女としてのしつけを学び、読み書きも教えられた。15歳位で新造となり客をとる。

ただ客の相手をするだけではなく、勉学や教養などにもぬかりがなかった遊郭。


もの凄い時代があったものだと感心するほかない。

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