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真矢ミキが亡くなった母から教えられた「魔法の言葉」を明かす

2018/11/13 UPDATE
 
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真矢ミキ

元宝塚歌劇団花組トップスターとしても有名な真矢ミキさん。1998年に引退してからは、女優や情報番組のメインキャスター、CMなど数多くに出演し、現在も活躍し続けています。

そんな真矢さんは40歳の誕生日に実父が他界しており、その後、実家でひとり暮らししている母・雪子さんの元へ週に3~4回ほど通っていたといいます。

しかし、8日に更新されたブログで雪子さんが10月27日に心不全のため88歳で亡くなったことを明かしました。

母の魔法の言葉とは?

宝塚歌劇団花組のトップスターとしてきらびやかなイメージのある真矢さんですが、幼少時代はサラリーマンの父と専業主婦の母という、普通の一般家庭を過ごしたのだとか。お菓子や子供達の洋服などは雪子さんがいつも手作りし、普通を楽しむ“やりくり上手な愛情”を受けて育ったといいます。

また、市販のポテトチップスは大人になるまで買った事がなく、一枚づつ微妙に厚さの違う、薄く揚がったじゃがいもをビニール袋の中で塩とまぶす母を見て育ったと明かしました。

さらに、15年の年月をかけ真矢さんが宝塚のトップになり帰宅したその日、開口一番に雪子さんの口から出たのは「そのいただいた花束を置いて、早くゴミ出ししてきなさい…」そして「下の後輩たちに、直ぐにトップの立場譲ってあげなさいよ、貴女より実力も容姿も綺麗な人ばかりなんだから…」という、なんとも衝撃的な予想外の言葉だったといいます。
トップスターになっても、おごらず、いつも普通にかえる感覚を真矢さんに植え付けたのは他ならず母・雪子さんであり、そんな雪子さんの口癖は「普通が一番、普通が。」だったそうです。

雪子さんが亡くなった今、真矢さんは口癖だったこの魔法の言葉が“善き時も悪しき時も普通に戻る精神を持ちなさい”という意味だと言うことを実感したといいます。

(ここで改ページします)

芸名の名付け親は母・雪子さんだった!

もともと宝塚に興味がなかった真矢さんをこの道に導いたのも、女子高の演劇部出身で宝塚ファンだった母・雪子さんだったのだとか。また、『真矢ミキ』という芸名を考え出したのも、雪子さんだといいます。

真矢さんは幼少期から破魔矢を買うのが好きで、“真っすぐ矢のように”と思いつき、あとは本名の『美季』と組み合わせて『真矢みき』が生まれたそうです。

そんな母・雪子さんの思いの詰まったこの芸名で、これからも活躍していってほしいですね。

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