林芳正さんは、通産官僚だった林義郎さんの議員の家庭に生まれた長男です。
父親が旧山口1区から出馬するために、東京から山口県下関市に引っ越します。
高校は、山口県内でもトップクラスの難関校である下関西高等学校に進学し、
東京大学法学部に進みます。
大学卒業後は三井物産に入社。
その後林家ファミリー事業のサンデン交通、山口合同ガスで働きます。
1991年ハーバード大学ケネディースクールに入学しますが、
父親の林義郎が大蔵大臣に就任したため、
大学院を休学し、帰国して大臣の秘書になります。
1994年に大学院に復学しケネディースクールを終了すると、
林義郎の秘書を務めます。
自身の政治家としてのデビューは1995年です。
第17回参議院議員通常選挙で初当選し政界に入りました。
林芳正議員の評判ですが、外交、安全保障、財政、金融と幅広く精通した
政策通として評判があります。
思い切りや突破力に欠けるという指摘もありますが、
周囲からの信頼は厚そうです。
≪両親や親族の家系≫
高祖父・林平四郎:衆議院議員、貴族院議員
曾祖父・俵田明 :初代宇部興産社長
祖父・林圭介 :実業家、衆議院議員
叔父・林孝介 :サンデン交通取締役会長、山陽自動車学校相談役、山口県バス協会会長理事、大津屋前代表取締役社長
父・林義郎 :元大蔵相、厚生相、通産官僚
母・林万里子 :祖父が宇部興産初代社長の俵田明
林家は地元の名家です。
もともと家業は醤油醸造業の大津屋で、バス事業のサンデン交通、一般ガス事業の山口合同ガスの経営を行っています。
下関には「春帆楼(しゅんぱんろう)」という割烹旅館があります。
ここには日清戦争の終結時に下関条約が締結された場所ですが、
大正時代に廃業の危機がありました。
その時に救いの手を差し伸べ、現在の数十億~10億円くらいの大金で買い取ったのは、
林芳正議員の高祖父の林平四郎さんだそうです。
林芳正議員は、自他ともに認める宏池会(こうちかい)のエースです。
通称岸田派です。
ちなみに安部晋三総理は、細田派です。
林芳正議員は、将来の総理候補として期待されているようですが「参院議員」であることが弱点となっています。
実は、林芳正議員は父親の林義郎の代から安部家とは山口県で同じ選挙区のライバル関係でした。
山口県は4つの選挙区があり、もともと政治家が多いので選挙も激戦区です。
その関係は二代にわたっています。
実は2012年に山口3区への鞍替えを狙った騒動がありましたが、
河村健夫議員が反発し不発となりました。
文部科学相の就任は、「いつもごめんね」という配慮でもあるのでしょうか。
文句も原稿棒読みの害相だ、
山口の名家出身の世襲政治屋日本の将来は暗い。