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売春島を追ってみる! 禁断の離島 『渡鹿野島』の都市伝説を真剣に掘り下げる!

三重県にあるとある離島。すぐ近くでサミットまで行われた風光明媚な島の都市伝説に迫る!
2016/08/28 UPDATE
 
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  • 売春島を追ってみる! 禁断の離島 『渡鹿野島』の都市伝説を真剣に掘り下げる!

  •  あなたは、日本のどこかに『売り島』というものがあるのをご存じだろうか?いわゆる男性が買い客としての“売り”である。

    実は、その都市伝説化したうわさは本当に存在するようだ。

    その島は、三重県の伊勢志摩国立公園内にある『渡鹿野島(わたかのじま)』である。

    平成も終盤に差し掛かった現代、そのような不届きな場所が存在するのがおかしいかもしれないが、今回はその一風変わった“観光地”を掘り下げてみることとする。
  • 渡鹿野島の概要

  •  
  • ■人口はたった300人程度の小さな漁村

     
    渡鹿野島(わたかのじま)は、三重県志摩市(旧志摩郡磯部町域)にある島。伊勢志摩国立公園内にある。


    島の大半は志摩市磯部町渡鹿野(いそべちょうわたかの)である。郵便番号は517-0205。人口は271人(2011年9月30日現在、志摩市調べ)。

    周囲約7km、面積は約0.7平方キロメートルを持ちリアス式海岸の湾のひとつ的矢湾の奥に位置し、的矢湾深部の外海から隔てられた島の西側海域は波が穏やかな海面となっている。そのため古くより荒天時の避難場所・風待港として使われていた。
    島内の住所は大半が志摩市磯部町渡鹿野であるが、一部に磯部町的矢の飛び地(小字間神・居森)がある。

  • 渡鹿野島は 100戸余り 海上神輿が終わると
    街に繰り出し 各戸を回り 悪霊疫病祓いをする
  • ■風光明媚な島の主な産業は『観光』


     観光が主な産業であるため2000年(平成12年)の国勢調査に見られるように、島の人口の92%が島内及び島外の宿泊・飲食業(第三次産業)に従事している。海水浴やスペイン村の宿泊地として家族連れや団体に利用されるとしているが・・・。
  •  
  • 風待ちの港として栄えたこの地で、当時の賑わいを、そして旅の疲れを癒やすやすらぎを楽しんでいただきたいとの願いで、この湯は「風待ちの湯」と名付けられました。日帰り入浴も可能ですので、海水浴の後にもおすすめ。
  • この島の一部の旅館に泊まると無料でこのサービスがついてくるらしい。

    観光用のホームページでは、

    “的矢湾花火ナイトクルーズに無料でご招待しています。7月中旬から8月末までの夏休み期間、リゾート施設、志摩スペイン村から打ち上げられる花火を船の上からゆっくり観賞。
    一生忘れられない贅沢な時間を、ご家族やお友達とお楽しみ下さい。”

    とうたっている。
  • この島を紹介しているホームページによると、

    “渡鹿野島(わたかのじま)は三重県志摩市、伊勢志摩の中心に位置し、離島風情と人情を今でも感じられるハートのかたちをした小さな島です。
    渡鹿野島の人口は約270人。こども達は渡鹿野島の島外の学校へ通います。大自然の癒やしと安らぎを求めて、年間3万人以上の観光客が渡鹿野島へ訪れます。また、伊勢志摩の主要観光施設へのアクセスが良く、ご家族やご夫婦での旅行、宿泊にも渡鹿野島は最適です。”

    とつづっているように、景色がよく近隣の名高い観光地へのアクセスの良さもうたっている。
  • ■渡鹿野島への交通


     【電車】
    ・大阪・京都・名古屋から近鉄線にご乗車いただき、志摩市の中心「鵜方(うがた)駅」で下車します。

    ・「鵜方駅」から三重交通バス6番のりば「渡鹿野渡船場経由安乗(あのり)行き」にご乗車いたき、「渡鹿野渡船場」で下車します。

    ・バス停の目の前が渡船場となっています。船は常に島と本土を行き来しています。
    車いすの方、介助が必要な方は事前に旅館などへご連絡いただくとスムーズです。


    【車】
    ・伊勢自動車道または国道23号線を利用して伊勢方面へ。

     伊勢から伊勢道路、または第二伊勢道路を利用して鵜方へお越しください。鵜方から標識に従って5分ほど進むと、渡鹿野渡船場です。駐車場を各旅館へお尋ねください。


    参照:http://www.watakano.net/access.html
  • 渡鹿野島の歴史は古くからある

  • ■撮影にもよく使われていた渡鹿野島


     古くは伊雑宮の神領であったとも言われ、江戸時代には、江戸と大坂を連絡する菱垣廻船・樽廻船が増えたこともあり避難・風待をする港としての重要性が高まった。船乗りなどのための宿のほか、風待ちの船乗りを相手とした、把針兼(はしりがね)と言われた水上遊女なども集まり、遊郭街としても大いに栄え女護ヶ島といった別名を持つこととなった。史跡としては江戸時代に灯台に使われた石柱などがある。


    1931年に俳優の上山草人が映画「唐人お吉」の撮影で訪れ、島民と意気投合。草人の別荘を建てる話がまとまり、島から寄贈された大日山頂の別荘の門には、谷崎潤一郎が書いた「草人漁荘」という竹の表札が掲げられた。草人はこの島を東洋のモナコにすると意気込み、「文壇、画壇、劇団のあらゆる友人を誘って、猟奇的なこの島でなければ味わわぬ変わった情趣をもつエロ探検と波静かな絵画美に富んだ島の風景を満喫させようと計画している」と語ったが、門と亭のみで別荘は建たなかった。


    第二次世界大戦中は島内に予科練の基地の設置が計画された事などから、激しい空襲にもみまわれた。 1954年にはこの島を舞台に、伴淳三郎主演の「この恋!五千万円」という映画もつくられた。
  • 元警官が尽力した『売りの島』

  •  発見!意外に知らない昭和史: 誰かに話したくなるあの日の出来事194(歴史雑学探偵団 東京書店 2007年の123ページにあるとおり、1971年に三重県警警部補が内偵特捜の捜査官として島に潜入し、売春婦の女性と内縁となり諭旨免職される。

    その後は島でスナック経営者兼売春斡旋者となっていたが、1977年10月に実施された手入れで内妻とともに逮捕されて、売春婦が保護されている。

    このとき保護された売春婦は大半は家出少女などで、借金付きで送られ売春をさせられていたという。なお、この元警部補は出所後、島でホテル経営などに携わり、島の観光産業の発展に尽力していく。

    上記のような流れがあるものの、あまりにも『性産業』として名高くなったしまった為、2013年9月、わたかの島観光協議会は、志摩市や三重県警と連携し、「性産業による島のイメージを無くし、健全な観光地を目指す」とした「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」を出した。と、しているが、果たしてその実情は・・・・。
  • ■ネット上に、この島のとある体験記があったのでその一部を紹介しておく。

  •  一度は行ってみたかった渡鹿野島。

    そこは三重県志摩湾に浮かぶ、知る人ぞ知る売春島――。どうせ満喫するなら1週間ぶっ続けで楽しみたい。そんな衝動に駆られて、仕事を放り出してなけなしの貯金を手に、いざ売春島へ。

    数年前にはビーチが完成し家族連れで賑わうようになったとの情報も。もしや売春は摘発でなくなったのか? 焦りにも似た感情を抱きながら新幹線で名古屋へ。そこから特急電車に飛び乗り約2時間半で鵜方に到着。

    さらにそこからバスに揺られて30分のところにある船着場へ。ポンポン船に揺られて渡鹿野島へ上陸したのは夕方頃だった。
    もちろんホテルなど予約していない。海を臨めるホテルの受付に飛び込みで行くと、笑顔で応対してくれた。
    「お一人ですか? え~、団体さん用の部屋しかありませんけど、よかったら泊まっていってください」
    と広さ10畳ほどの部屋に案内される。夕食つきで1泊1万円ジャスト。
    しかし10畳の部屋に一人とは何とも心さびしい。
    なんでもひと昔前は、この島に来るのは女目当ての団体客ばかり。
    昼から温泉、酒に浸り、夜は女を買って、深夜はマージャン大会。
    「飲む、打つ、買う」に興じる土建屋のオジサンたちの姿が目に浮かぶ。

    しばらく部屋で横になって日没を待つ。そう、この島の名物ともいうべき置屋がオープンするまで少し時間があった。

    江戸の時代から風待ちの船乗りたちで賑わった渡鹿野島。
    昼間は健全な観光リゾート地。しかし日が暮れると通りには怪しいネオンがまたたき、置屋の娘たちが春を売る。それがこの島の本来の姿といっていいかもしれない。

    ふらりと入った居酒屋で知り合った事情通がこんなことを教えてくれた。
    「ちょっと前まで警察の摘発を危惧する声もあって、イイ子はみんな大阪や京都の置屋街に行っちまった。外国人もだんだんいなくなった。昔はタイにロシアにフィリピンに、世界各地からイイ女が集まってきたんだけどね。最近はもっぱら借金を抱えた人妻ばかりかな」
    居酒屋を出て渡鹿野のメインストリート(といっても30メートルくらいしかないが)に繰り出す。

    通りで客を引いていた婆さんに話しかけてみる。
    「もう遊べる?」
    「あ~、うちは日本人ばかりだから安心だよ。遊んでいくかい?」
    お値段はショートで2万、泊まりで4万。さっそく置屋に連れていってもらう。

    スナックのような店には50代のママ。そして20代から30代の女性がズラリ。
    「若さで選ぶならタイ人、サービスで選ぶなら日本人」 先ほど会った事情通の言葉を思い出しながら、さんざん迷った挙句、目鼻立ちのハッキリしたタイ人女性を指名し・・・・。



    この後は、元記事を参照してください。
  • ■往年の時代には一世を風靡したとも・・・。


    渡鹿野島は、江戸時代以前より存在し、漁業で賑わう島だったという。江戸と大阪を結ぶ海路上にあることもあり、船乗りたちが風を待つために立ち寄ることが多かった。島の人々は、8人ほどが乗れる小舟「はしりがね」で停泊する帆船に近づいて、娼婦が男たちの相手をすることから、そのまま娼婦たちのことを「はしりがね」と呼んだそう。

     島と対岸が船で埋まるほどの人の往来があったそうだが、明治になると、蒸気船が登場し、風を待つ必要がなくなった。娼婦たちは次第に姿を消していく。多い時は島に350人ほどいて、一晩で何百万と稼いだとされる渡鹿野島の娼婦は、現在は18人とされる。ほとんどがタイなどの東南アジアの女たちだ。彼女たちは、紛れもなく1970年代に現れた“じゃぱゆきさん”の名残だ。

    参照:『娼婦たちから見た日本』(角川書店)より
  • 出典: www.cyzo.com
  • ■他にもこの島を訪れた体験談



     上記の話のように、渡鹿野島が生まれ変わったかというと、決してそうではない。最近、渡鹿野島を訪れた50代の男性がいう。

    「サミット開催地決定のニュースを見て伊勢志摩の観光地を調べていたら『売春島』という言葉を見つけて興味を持ったんです」

     近鉄鵜方駅からバスで20分ほどで渡船場に着く。島まで船でわずか3分で、運賃は片道180円。男性は午後4時過ぎに乗船したが、平日だからか着いた港に人影はまばらだったという。

    「ネットには『島に着いたら客引きがわっと寄ってくる』と書き込みがあったので拍子抜けしました。島民の男性に聞いたら『3年前から客引きは一切いなくなった』ということです」

     宿にチェックインすると、夕食時間を確認された後に、女将が「ところで、お遊びのほうはいかがしますか? どんな子がいいですか?」と尋ねてきた。料金は、ハーフ(50分)が2万円、延長が50分毎に2万円、フル(23時~翌朝7時)が4万円だという。


    どんな女性がいるのか女将に問うと、

    「約30人のうち、ほとんどがタイ人で日本人は3人くらい。フルは近所のスナックで女の子と一緒に飲んで仲良くなってから部屋に行くんですけど、ハーフだと会っていきなりという感じになりますからねぇ……」

     と説明した。女将によればほとんどの客がフルを選ぶというが、複数の女性との出会いを優先した男性はハーフを選択し、タイ人の女性を希望した。

     夕食後に2万円を女将に支払うと、数軒隣へ案内された。数戸の部屋がある2階建ての建物で、部屋のドアを開けると30代後半に見えるタイ人女性が待っていた。ワンルームで、テーブルやテレビの他は一組の布団が敷いてあるだけ。壁にはタイ国王の肖像画が掲げられており、その部屋で生活しながら客をとっているようだった。

     女性は片言の日本語で男性にこう話した。

    「この島に遊びに来るお客さんは60歳以上の人がほとんど。みんなお酒を飲んで部屋に来るので、布団の中でイチャイチャするうちに寝てしまう。だからとってもラク(笑い)。でも中には乱暴に扱う人もいるから怖い思いをすることもある」

     日々の出来事については饒舌に語ったが、家族構成や島で働くきっかけを尋ねると女性は言葉を濁した。

    出典:週刊ポスト2015年6月26日号
  • 現在でも残るしきたりも・・・。

  • ■それはそれで、その筋でのルールがあるらしい。


    ※あくまでもイチ意見としている事をご了承ください。
 
 
 

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