出典: www.oricon.co.jp
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ここ数年、朝ドラ、大河ドラマなど『NHK』に出演をきっかけにブレイク、もしくは再ブレイクするタレントはかなり多い。そんな中、そのNHKの琴線に触れ出入り禁止を食らっているタレントは意外と多いのをご存じだろうか?
実は“あの大物タレントも!!”
その顔ぶれは、お笑い芸人から大物歌手まで実にさまざま。いったい、どんな理由で嫌われることになったのだろうか?
そんな大物タレントたちのヤラカシた過去をまとめてみました。
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長寿番組『さんまのまんま』の打ち切り報道で話題の大物芸人“明石家さんま”最近では、引退報道までささやかれている。
そのさんまさん、NHKに長らく出禁になっていたことで知られている。
1983年2月27日に放送された『クイズ面白ゼミナール』の番組中に生あくびをしてしまったところ、視聴者から批判の投書が新聞各社に殺到。
さらに連続テレビ小説『澪つくし』(1985年)の制作現場でトラブルを起こし、NHKからの出演依頼がぱったりなくなってしまったという。
2013年に放送された『NHK×日テレ60番勝負』で、28年ぶりのNHK出演を果たすことになったが、 今までの穴を埋めたいのか現在は『紅白歌合戦』の司会にも意欲を示しているというから、その貪欲ぶりには驚かされる。
果たして、彼の芸能生活の有終の美を飾るに至ることはできるのだろうか?
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1990年 12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、第1部の最後にドイツ・ベルリンから生中継で『いつかの少年』『親知らず』『乾杯』の3曲を歌った。しかし、これがヤラカシの元凶だった!
番組中になんとNHKのスタッフをタコ呼ばわりして批判。予定外の曲まで歌い出したことから、17分間にわたって番組をジャックする形になってしまった。
その番組の全てタイトル・歌詞のテロップが示され長渕の終了後、予定通り20時55分からニュース、21時から第2部が開始されたが、長渕が出演する際にNHKのスタッフを批判していたため、「予定外の曲を披露」「長渕の暴挙により時間が押して、大物歌手の出番がカットされた」「NHKへの出入り禁止」など、様々な報道が当時された。
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最近でこそ大人しくなった?吉川晃司。
しかし彼は、デビュー当時から結構やんちゃなパフォーマーンスで知られていた。
デビュー2年目の吉川が初出場の紅白でステージにシャンパンをぶちまけ、セットを壊すなど大暴れ。その後の河合奈保子の歌の冒頭が切れ、シブガキ隊のフックンが濡れたでステージ滑る貰い事故も含めて大惨事に、その後吉川は10年以上出禁になった。
白組なのに真赤な衣装で、酒(シャンパン)を撒き散らしながら登場し、さらに観客に向けて吹き出す。
本来の出演時間をオーバーしたあげく、さらにギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊するというパフォーマンスを行った。但しギターを破壊するシーンは放映されることはなかった。
出演が終わってもパフォーマンスが続き、次の歌順の河合奈保子はオーケストラをバックに歌う予定だったが、吉川のせいでステージに出るタイミングがつかめず、オーケストラも混乱して出だしが歌えなくなって河合の怯える様がテレビに映った。
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彼たち?のヤラカシはNHK史上まれにみる暴挙だったのは非常に有名。
本人と一緒に演じた女性バックダンサーが、カーニバル風衣装の下の水着まで脱ぎ、裸体の描かれたボディースーツで踊るという演出を行った。ボディースーツであると気付かない視聴者も多くいたため、視聴者から「本当に裸ではないか?」との問い合わせが即時に寄せられ(放送内で対応できた分が約250件、放送以後1800件。対応できなかった分を含めると数千件以上)
オズマ自身はブリーフ姿になり、ブリーフの股間部分に、男性器を模した模型をつけていた。
しかし、これだけ大がかりな演出ならリハーサルでチェックが入りそうなものだが、実はリハでは別の演出で乗り越え、ぶっつけ本番でやってしまったというから大したものだ!
これは、いまだに“伝説”として語り継がれている!
その後、NHKの会長が謝罪会見を開く騒動にまで発展した。
(紅白には)1979年に「いとしのエリー」で出場して以来、2度目の紅白出場となったサザンだが、演奏が始まるや、ボーカルの桑田が国民的歌手とまで言われた三波春夫(サザンの1つ前の位置で歌唱)を真似ながら登場。三波は同番組の常連であり、この時も同じ会場に居合わせていた。派手な着物と顔は白塗りといった格好で、曲の間奏中に「神様です」「受信料は払いましょう!」「裏番組はビデオで見ましょう!」などの発言をする。曲自体も演歌調に歌っていた。
とは言っても
・翌1983年にも「東京シャッフル」で3度目の出場をしている。
・2010年、桑田の食道癌からの復帰ステージに紅白を選んだ。
など関係はとっくに修復されているようです。
短気が招いた大失態!
ある「ロケ中にディレクターが出した指示が気にくわなかったのか、アンナさんがそのディレクターに一発食らわせてしまった。
しかも、そのパンチが目に入り、ディレクターは病院に直行するハメになったんです」怪我は軽かったものの、ロケは中止となり一行は日本へと帰国した。「結局番組はお蔵入りになり、アンナさん側にはギャラも支払われなかった。NHKとの仕事がしばらくできない、いわば“出入り禁止”状態になったという話もあります。
どんなに気に入らない指示であっても、ワンパン食らわすとはさすが!
出典: laughy.jp
出禁の期間は短かったようだが、とんねるずも一度はヤラカシていた。
1991年に放送された『紅白歌合戦』において「受信料を払おう」というボディーペインティングを背中に施し、パンツ一丁の姿で登場したことが、NHKのひんしゅくを買ってしまったためといわれている。
歌手別視聴率で2位を記録したのに出禁になるとは、同情を禁じ得ない。とはいえ、翌年には同番組から出場オファーを受け、自ら辞退しておりその期間としては短め?だった模様。
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