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【思わず冷や汗】猛暑も吹き飛ぶゾッとする話を集めてみました【R−2】

あと少しで、死ぬところでしたよ。
2016/07/25 UPDATE
 
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ねぇ、取り憑かれたの?

ねぇ、大丈夫?

ねぇ、何か言ってよ!!

静寂も時に、恐怖。

ゾッとする話は続きます!

【怖い話】隣のおばあさんが突然亡くなった。その後すぐに祖母がおかしくなった。

旦那がマスオさんしてて、祖母とまだ同居してた時、隣のお婆さんが嫌な人だった。ゴミが飛んできた、音がうるさいと、心当たりのない文句もよく言われた。

うちが一番困った事は、隣の敷地の雑草。息子がまだ小さく、白い花の毒草が気がかりだったから。でも隣のおばあさんは、その毒草だけは絶対刈ってくれなかった。

私は両親を早く亡くし、祖母と私、旦那と息子の四人で暮らしていた。旦那の仕事上、職場の近くに越したかったけど、祖母を一人残す事が心配だった。

祖母は心配要らない、私は一人でもここにいると言っていたけど、それはできない。


そんな日々の中、、隣のおばあさんが突然亡くなった。見つけたのは自治会の人で、電話をしても出ないから行ったら玄関先で倒れていたという。

うちは一番近くに住んでいたから警察の人に嫌味っぽく色々聞かれた。隣のおばあさんは身寄りがなかったらしい。葬式の時、自治会の人に毒草の処分を便乗お願いした事を今も覚えている。

その後すぐに祖母がおかしくなった。隣の空き家になったお婆さんの家に出入りし始めた。

隣の家の敷地でうろうろしていたり、食事中に「この家は音がうるさいね」と普段からは想像もしない事を言う。

そんな日が一週間ほど続いた後、私と旦那と息子が食事中に激しい吐き気に襲われた。どうにか自力で運転して病院に行き処置をしてもらった。毒草の食中毒だった。息子は痙攣状態だった。

祖母は食中毒にならなかった。私たちが車で病院に行くとき、私は行かないと言って祖母は私たちを見送った。

車に乗った私たちの状態を見て、明日からもご飯作ってまってると場違いに笑った祖母が今思うと変だった。

入院中に電話をするたび、祖母は「何でも出来るからご飯してまってる」と言ったが、変にズレた感じを受けた。

退院すると、玄関で祖母が冷たくなっていた。死因は心臓麻痺といわれたが原因は不明で食中毒ではなかった。

祖母がなくなったのは私が回復して、最初に病院から電話した頃だというが、その後何度も電話で話している。では、私は誰と話していたのだろうか?

玄関先で倒れている祖母を最初に見たのは私のはずだけど、そのときのことが今でもよく思い出せない。

ぼんやり覚えている事は、祖母が着た事もない服を着ていたこと。それは隣のお婆さんがよく着ていた服だった。

【宮崎勤】書こうかどうか長年迷っていたけれどもう恐れる相手もいないし書こうと思う【謎の郵便物】

書こうかどうか長年迷っていたけれど、もう恐れる相手もいないし書こうと思う。

私が小学校に入る前、あれは幼稚園の頃だったと思う。当時私は関東のある都市にいる祖父母に預けられていた。家庭の事情というやつだ。

祖父は物事を教えるのが上手く、私は小学校二年生程度の読み書きはできる子供だった。(書き順はめちゃめちゃでそれは未だに直らない)

ある日、幼稚園から帰ると郵便局のおじさんがいた。手には小包を持っていた。

「〇〇さんはここかな?」


「はい。〇〇です」

「××さんはいるかな?」

「いいえ、ここは〇〇です」

祖父母に育てられた私は妙に大人びた受け答えをする子供だった。

「〇〇さんの家に××さんが住んでるって言ってたんだけど…」

「いいえ、いません」

そんな問答をするうちに叔母が来た。叔母という大人による「いません」の一言で、郵便局のおじさんは小包を抱えて帰って行った。私は叔母に聞いた。

「何て書いてあったの?」

「うちにイマダユウコっていうお姉さんが住んでるって書いてあったんだけれど、いないわよね」

「変なの。間違いかな」

「でも、うちの住所だし〇〇様方イマダユウコって」

「それってどういうこと?」

「住んでるって意味よ」

「ふーん」

こんなやり取りがあったのを大きくなってから叔母が思い出した。私も奇妙な出来事なので覚えていた。

「あの時あの中には何が入っていたのかしら」

叔母と私はたまに思い出す。忘れることができないのだ。あの時開けていたかもしれない箱の中身を。

私の家は〇〇という。宮崎勤による被害者と同じ苗字だ。

当時の私は被害者よりだいぶ年下だったが、結局箱の中身も行方もわからず終いだ。

※虫注意※Gが苦手になった理由がヤバすぎる…

2年位前の話。

俺の部屋はいわゆる一人暮らしの男の典型的な部屋だった。カップラーメンの殻とか飲みかけのジュースや酒の缶とかがあちこちに散らばってる。

だからまあゴキブリが毎日のように大量に出るわけだよ。俺は別にゴキブリ自体は苦手じゃないから出てくるたびに殺してたんだけどね。

でもある時を境にゴキブリが苦手になったんだよね。ある夜にイヤにリアルな夢を見たんだよ。

最初は俺が部屋の中でゴロゴロしてるところから始まる普通の夢だった。でもしばらくしてゴキブリがわんさかわいてきたんだよ。

それも尋常じゃないような量。ゴキブリが波のように押し寄せてくるわけ。もうそれだけで気持ち悪くてトラウマになるだろ?

夢から覚めてもその夢ははっきりと記憶に残ってて吐き気をもよおしたよ。

でもそれで話は終わらない。その日大学の講義中に突然凄い腹痛がおきてトイレに行ったんだけど、毒素をすべて排出した後、便器を見てすげーおどろいた。

ゴキブリが2匹便器に浮いてたんだよ。ゴキブリが初めから便器の中にいたんなら最初入ったときに気付くわけで、どう考えてもおれの身体からゴキブリが2匹出てきたってのは間違いない。

それで夜に見た夢がフラッシュバックして便器に胃の中のもの全部リバースした。

その日からはもうゴキブリの夢は見なくなったし、ゴキブリが自分の体から排出されることはなくなった。でもゴキブリが大の苦手になって、いまおれの部屋はきちんと綺麗にしている。

偶然にしてはできすぎてるし、実際に体験した怖い出来事だったんで載せてみた。

信じられないかもしれないけどマジの出来事。

【不気味】気味の悪い歌と突然いなくなったU先生

近所の「霊感おばさん」から夏祭りの時に聞いた話。霊感おばさんの相談者の女性が幼稚園時代に体験した話だそうです。

私は幼稚園の頃に「光の誓い」という曲を歌った事を覚えている。だけれど大人になった今、光の誓いがどんな歌だったのか覚えていない…

今でも大切に取って置いている幼稚園の頃の歌の本にも載ってないし、ネットとかでも色々調べてみたけれど同じ名前の童謡はなかった。

曲名の似ている曲をいくつか調べてみたけれど、どうもどれもメロディが違う。光の誓いを教えてくれたのは私のいたチューリップ組のU先生だった。

チューリップ組ではとても人気のある歌だったが、私には何か「怖い」と感じる曲で、あまり好きにはなれなかった…どう怖かったのかは上手く言語化出来ないのだが、難しい歌詞と、なんとなく暗い音程のメロディが嫌だった。

あと、気になる事も一つ体験している…チューリップ組全員で近所の神社の森に遠足に行った時の事だ、U先生が

「さあ、みんな?神社にこれからちょっとだけ冒険に行きますよ!」

と急に言いだしたのだ。

私は「藁で作ったお人形」を持っていた。それはU先生に手伝ってもらいながら作った人形で、チューリップ組の皆も一体づつ持っている。

ちなみに、この遠足で大人はU先生しかいなかったと思う。手元にあるアルバムにもこの遠足の事が書かれていない…

神社に着くが、U先生は森の奥へとどんどん入っていく…園児も大分疲れて来た。その内に真っ黒な3本の木のある雑木林に出た。U先生が釘と金槌をリュックから取り出し

「皆さん!お人形さんを木にくっつけてあげましょうね!」

と言った…U先生に手伝ってもらいながらたくさんの「藁のお人形」が真黒い木に打ち付けられていく…最後にみんなで「光の誓い」を歌った。

歌いながら泣き出す子や、何かにおびえて強く目を閉じている子もいた…この歌声には、お経を逆再生した様な不気味な声が混ざっていた様な気がしました。

森から出ると、もう空は夕焼けだった…神社のそばにあった公園に園児を集めて「はい!自由時間ですよ」とU先生は言った。

ほんの短い間かくれんぼをしたりして遊んだ後に幼稚園に戻った。

翌日、熱を出したり、手にケガをしたりしてチューリップ組の園児の何人かが休みました、私もその一人です。数日後に熱が引いて幼稚園に行ってみるとU先生は幼稚園のどこにもいませんでした、

「U先生はどこ?」

と私は組中の友達にU先生の事を聞きましたが、皆

「わからない」

「もう幼稚園をやめちゃった」

とか言います。というか初めから「U先生など知らない」と言う子もいました。

遠足の事も覚えている子は少数でした。U先生はもう幼稚園をやめていたのでしょうか?お別れ会があったという話も聞きませんし、アルバムにもU先生の顔は写っていないのです。

今思うのですが、あれは普通の遠足ではなかったのだろうと思います。

幼稚園の他の先生達にも「U先生はどこ行ったんですか?」と聞きましたが変な顔をされるだけでした…その内になぜか幼稚園ではU先生の噂をする事が禁止されてしまいました…

でも、当然ですよね?何せU先生の名前…Uは「うでちぎり」というのだから…どう考えても人間の名前じゃありませんよね?

【異常者】見た目は美人。でも中身はサイコパス

少し長くなるかもしれない。

中学生だった頃、友達が出来ないわけではないし、成績もめちゃくちゃ悪いわけでもないけどなぜか浮いてた。

友達はできても気が付いたらそんな関係は消えてる感じ。なんとなくいつも一人でいた。

ある日、放課後公園で一人ぽつんとブランコに座ってた。家庭環境があまりいいわけじゃなかったから多分家に帰りたくなかったんだと思う。そしたらふいに綺麗な女の人が

「何してるの」

ってしゃべりかけてきてくれたんだ。とりあえず

「ちょっと一休みしてるんです」

と答えた。
そこからその人は

「悩みでもあるの」


とか色々聞いてくれて、なんとなくもやもやとしてた気分が晴れた。門限になったから帰りますって言って帰ろうとしたらその人は

「また来る?」

と聞いてきた。俺は人のほとんど来ない静かな公園がまぁまぁ好きだったから「多分来ます」とだけ言ってその日はそのまま帰ったんだ。

次の日も、そのまた次の日も女の人は公園にいて、俺と話してくれた。相変わらず友達とは微妙だし成績も大して上がらないけど、同級生といるよりその人といるほうが楽しくなってた。

話す内容は悩み事とか好きな食べ物の話とか別にふつう。でもそれが楽しかった。

ある日を境にその女の人は突然来なくなった。冬の雪が降ってて、風が死ぬほど冷たい日だったからさすがにいないのかな、と思った。

だけど何日たってもその人は来なかった。引っ越したのかと思って、その公園の近所をうろうろしていたら偶然近所のおばさんと遭遇した。

こんな所で何してるの?と聞かれたから、最近ここに来ない人がいて、その人を探してる、みたいなことを言ったはず。そしたらおばさんが

「もしかしてそれ美人さんやったやろ?」

って聞いてきた。だからその人の特徴をそれとなく伝えたら、そのおばさんは一瞬近所の様子を気にするようなしぐさをしてから

「その人ね、多分そこの角に住んでた人やわ」

みたいなことを言った。しばらく聞いてたらおばさんはなんと

「その人、つい最近人殺しかけて親戚の人に田舎に帰されたんや」

ってヒソヒソ声で言ってきた。

覚えてるぶんでは、よく話してくれる中学生ぐらいの男の子が可愛くてかわいくて仕方ない、みたいなことを言ってたらしく、それぐらいの子を見ると可愛さのあまり首を軽くしめかけてしまうらしかった。

親戚一同が集まった日に、俺によく似た子がいたみたいで、その人は親戚の前で首を軽くしめてしまったらしい。そして親戚に「危ない」と判断されて、田舎に帰されたんだとか…

綺麗でおだやかな人だったから、そんな事があったんだと思うと本当に怖かった。やっと長続きする良い友達できたのかなと思っていただけに、当時はショックだった。

長くてすいません。終わりです。

小さい時に神社の縁日で体験した実話

私がまだ小さかった時に体験した実話。

ある夏に近所の神社の縁日でたくさんの屋台が出ており、そこで『べっ甲飴』の屋台が出ていました。

飴は小さくてまるい物という認識しかなかった私は、色付きガラスの様なべっ甲飴とむせ返る様な飴の甘い匂いにわくわくしました。

一緒にいた両親は『綺麗ね』とは言うが、『虫歯になってしまう』『こんな大きいのは食べ切れない』などの理由で買ってはくれず、べっ甲飴にすっかり魅了された私は、次の日から毎日一人で屋台を見に行っていた。


数日続いた縁日の最終日になり、その頃には顔馴染みになっていたべっ甲飴屋のおじさんは最後に棒付きの小さいべっ甲飴を

「(食べ終わったら)歯ぁー磨けよ~」

と言いながらくれ、私は早速どこかで座って食べようと境内を見渡しながら歩き、他のおじさんにも

『これもやるよ』

と砕けたべっ甲飴が詰まった袋をもらいました。境内の脇でもらった棒付きべっ甲飴を食べ、途中でそろそろ帰ろうとべっ甲飴屋さんの屋台の前を通り

「バイバイ、飴ありがとう」

の意味で手を振ると、べっ甲飴屋のおじさんが片づけをしながら

『もう食ってるんか』

と笑いながら話しかけてきたので、私は
「まだこっちもある」

と砕けた飴が入っている袋を見せました。するとおじさんはじっとその袋を見ると、こっちへよこせと手招き。

袋の中は『割れたガラスの破片』でした。

もし「砕けた飴」の方から食べ始めていたら…今でも縁日に行ったり、屋台関連の風景を見ると思い出します。


ーーその後警察が来て、縁日の中で異様な雰囲気になった事を強烈に覚えています。

べっ甲飴屋のおじさんと話し、迎えに来た母と一緒に警察の方に事情を聞かれました。

私は泣いてしまいあまりまともに返答は出来ていなかったと思いますが、大人になってから母にこの時の事を聞いたところ、他の屋台の方が『怪しい男が袋を持って立っていた』と証言したらしいです。

捕まったかどうかは分かりません。

【闇が深い話】ファミレスに現れたそいつは完全に別人だった。鳥肌が引かなかった。あとで調べたところその名前の人物は1年前にタヒ亡していたそうです。

大学4年生の11月、Aの就職がようやく決まった。

本人は小さな会社だと言っていたが、内定を貰えたことに変わりはないし、晴れて仲間内全員の進路が決まったことで、1月に旅に行く運びとなった。

旅の発案をしたのはAだった。レンタカーを借りて、東京から日本海側を北上し青森を目指す計画だ。

当時運転免許を持っていた僕とCが交代で運転をする代わりに、AとBとDがレンタカー代とガソリン代を払うということで話が折り合った。僕をふくめて5人の旅だった。

僕たち5人は大学のサークルで知り合った仲だ。僕とCは同じ学部で同じゼミを専攻していたが、AとBとDは別の学部に通っていた。


旅の2週間程前に奇妙な出来事があった。宿の手配や旅の詳細な計画がおおむね完了した矢先だった。Bと全く連絡が取れなくなってしまったのだ。

電話をしても繋がらないし、家に行ってもBは留守だった。Bと仲が良かった別の友人にも連絡をしてみたが、Bの所在は分からなかった。

出発の5日前、最後の打ち合わせをするために集合した。依然としてBとは連絡が取れないままだった。さらにAとDの様子がおかしかった。

打ち合わせの結果、3日前になってもBと連絡が取れなかったら旅を中止することに決まった。

たしかに個人的にも、Bがいなければ旅をする意味が半減してしまう気はしていたし、何よりも心配だったので、このままBがこなければ中止という意見に反論はなかった。

しかし、AとDが異常なほどに旅は中止だ中止だと強く言っていたことが気がかりだった。

帰り道、僕は仲間内でも特に仲が良いCと個別に話をした。無論Bの事と、打ち合わせの時のAとDの挙動についてだ。

僕もCも同じことを考えていた。Bの身に何かあったのではないか。ということと、その事にAとDが何か絡んでいるのではないか。ということだった。

その日の内に僕とCは、Bの家に行くことにした。

相変わらずBは家にいないようだった。あきらめきれずに隣の部屋の住人に聞いてみると、Bのことは知らなかったが、大家さんの連絡先を教えてくれた。

早速電話し事情を話そうとしたが、大家さんからの一言に絶句した。

「Bさんという方は知りませんが、この家に住んでいた人は1ヶ月前に引っ越されましたよ」

住んでいた人の名前も確認したがBではなかった。もちろん、AとDにはこの事は話さなかった。

出発の3日前が来た。結局Bとは連絡が取れなかったので、予約した宿にキャンセルの電話をした。

3日前にキャンセルすること事態がもうし訳ない気持ちだったので、少しでも早いほうが良いのではと思い、朝一番で電話をしたのだ。

すると、泊まるはずだった3つの宿はすべてすでにキャンセルされていた。詳しく話を聞くと、1週間前にBと名乗る男からキャンセルの電話がきたとのことだった。

僕はそのキャンセルをした男はBではないと思った。直感だが、AかDのどちらかだ。そう思った。旅館の人には念のため、僕が今日電話をしたことは黙っておいて欲しいとお願いをしておいた。

その後すぐにCに連絡をし、きゅうきょ会うことにした。合流してすぐにCは言った。

「このことはAとDには言わないほうが良い。」

同意見だった。

「キャンセルの電話をこちらでするとカマをかけてみよう。」

そう続けた。Aに電話をし、3日前になったからキャンセルの電話を入れる旨を伝えると案の定、

「キャンセルの電話は俺がする!」

と言ってきた。

僕は冷静をよそおいながら、3件あるから分担しようという案を出したが拒否をされた。この日のやりとりで、AとDがBの失踪に絡んでいることがほぼ間違いないと睨んだ。

僕はAとDに状況を話して問いただそうと言ったが、Cはもう少しだけ時間が欲しいと言った。どうやら個人的にAとDについて調べるつもりらしい。

僕はあまり気が乗らなかったが、Bについては本当に心配だったので、大学に理由を話してBの実家の連絡先を聞くことにした。

冬季休暇中の大学は人が少なく、窓口にも誰一人並んでいなかった。窓口の人に理由を話すと調べてくれたが、AもBもDも僕が通う大学には在籍していなかった。

Bは先の件で偽名の可能性があったが、大家さんから聞いた名前でも在籍がなかった。もう3人の名前が本名なのかさえ信用できなかった。

出発日だった日の前日にAから連絡が来た。Bが戻ってきたと言うのだ。その後、2週間振りに5人が揃った。

最初はAの家でと言われたが、そこには行ってはいけない気がした。そのため、適当な理由をつけて街中のファミレスで落ち合うことにした。

ファミレスに現れたBはBではなかった。Bに似ているわけでもなく、完全に別人だった。正直、僕は冷静を保ててはいなかっただろうし、鳥肌が引かなかった。

見た目は普通の人間だが、その顔からはおぞましさ感じた。僕とCはBじゃないと言い続けたが、AとDはBだと言う。その間、Bと名乗る別人は僕とCのことを交互に見続けた。

聞いてもいないのに失踪の経緯を説明し始め、Bは今日まで泊り込みでバイトをしていたと言う。そして、そのバイトは期間中に外部と連絡を取ってはいけない仕事だったと話していた。

事前によく説明を聞いてなかったため、そのまま連絡が取れなかったというのが言い分だった。

さらにBは続けて言った。

「明日からの旅行は行ける?」

Bの顔がさらにおぞましく見えた。
説明するようにAが言った。

「実は宿はキャンセルしなかったんだ。だから旅は決行できる。」

すでに宿がキャンセルされていることを知っているということは、ばれていないようだった。あるいは、ばれていても良かったのかもしれない。僕は混乱していた。

「3日前に旅は中止と決まっただろ。その際に、俺とこいつは別の予定を入れてしまったよ。」

とCが言った。

散々引き止められ、断ることに時間を要した。その間、今すぐにでも逃げ出したかったが、大学はおろか住所も知られているため穏便に進める必要があった。

Cのおかげで俺も冷静を取り戻し、何とかその日は解散となった。解散となったあと、僕とCは3人の後をつけた。

すると3人は10分ほど歩いたところにある駐車場に入っていった。しばらく待つと、Aが運転をする車が駐車場から出てきた。Aは免許も持っていたのだ。

その後すぐに引越しをした。引越しをするまでの間も家には物を取りにいくための1回しか帰らなかった。引越しに日に久々に家に戻ると、誰かが侵入した痕跡があった。

卒業まではほとんど大学に行く必要がなかったため、C以外に会うことはなかった。AとBとDとは連絡も取ることなく春になった。

以上が体験した話です。

この話は1年前の出来事です。1年後にわざわざ書いたことには理由があります。

この1年間もCとは定期的に連絡を取り、数回飲んだりしていました。そのCから昨日連絡があり夜に会ったのですが、その席で思いもよらない話が出てきました。

Cが先日ふと思い、大家さんから聞いたBが住んでいた家の名義の名前を検索したところ、その人は1年前に死亡していたそうです。

死亡していた人が、僕たちの知っているBという人物である可能性は非常に高いと思います。

あのBと名乗る別人の顔が浮かび頭から離れません。

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