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シャケを万引きした35歳の主婦が抱える苦悩、そして知られざる貧困の実態

誰に相談していいかもわからない。相談するという発想にさえ至らない。そんな彼女に待っていたのは、万引きだった。
2016/07/08 UPDATE
 
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ノンフィクションライターの中村淳彦氏が、東洋経済オンラインにて
「貧困に喘ぐ女性の現実」という記事の連載を行っている。

飽食の現代、貧しいということはあっても「食べられない」ということが
現実にあるのだとどれだけの人間が知っているのだろうか。

ドラマでしか観たことのない世界は誰しもある。
しかし、”現実”に、この”日本”に起こった貧困の根は実に深かった。

35歳主婦 シャケを万引き

以下、中村氏のルポの引用である。

「奥さん、今回は普通の生活に戻れるから。明日からまじめに生活してくださいね。旦那さんに言うか、言わないかはあなた次第だから。生活が苦しいのはわかるけど、犯罪に手をそめるのは絶対にダメだよ。みんな、苦しい中で頑張っているんだから」


5月中旬の平日。人通りは少なく、一歩外に出れば暗闇が広がる夜9時半。北関東のある街の警察署の待合所にいる。取調室から出てきた鈴木百合さん(35歳、仮名)は、厳しい表情の警察官にそう諭された。私は身元引受人として突然本人に呼ばれ、到着して1時間後に彼女を引き渡された。「勤務先の上司」と説明した。彼女は涙目で、「ご迷惑をおかけしました」と警察官に頭を下げる。

今から7時間前、午後2時半ごろに彼女は市内最大のショッピングモールの食品売り場で万引きをして捕まった。私の携帯に連絡があって「お久しぶりです。実は……今、万引きして捕まっちゃいました。本当にお手数なのですが、身元引受人として来てもらえないでしょうか。誰も頼れる人がいないのです。お願いします」と頼まれた。高速道路に乗り、言われた警察署に駆け付けた。東京から車で1時間半~2時間ほど、最寄り出口を降りてからは延々と田園風景が広がった。

万引きをする人と聞けば、「スリルを楽しみたい」とか「ゲーム感覚でやっている」
というイメージがあるであろう。

しかし、この女性の場合はそのどちらにも当てはまらなかった。

小学校のPTA役員を務める

鈴木さんは2人の子供を育てるお母さんだ。典型的な田舎の地味な主婦といった風貌で、1年前から地元小学校のPTA役員を務める。日々、家事と子育て、パート、PTA活動に追われる日常を送る。誰が眺めても、窃盗という犯罪に手をそめるような女性には見えない。

警察署を出て車に乗った。彼女は助手席に座った。5分ほど走って国道に出ると、気持ちが落ち着いたのか話し始める。

「盗ったのは、食料品です。午前中に入院する姑のお見舞いに行って、その帰り。夕方からPTAの会合があって、ちょっと時間が空いたの。病院の近くのショッピングモールで夕飯の材料を買って帰ろうとして、そこで万引きして捕まっちゃいました」
盗んだのは味噌、鮭の切り身、牛肉の細切れ、豚しゃぶ肉、キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、豆腐、納豆、牛乳、ヨーグルト、冷凍食品、コカ・コーラゼロ2リットル、食器用洗剤だった。合計金額は4700円。所持金は6000円あった。私服の女性万引きGメンに捕まった後、所持金で支払って会計している。ショッピングモール側はすぐに警察を呼び、警察官に鈴木さんを引き渡した。

「最初は2000円までだったら、ちゃんと買おうと思っていたの。でも、広い売り場を回っているうちに、これも、これもってなっちゃって4000円以上の物をカゴに入れちゃった。とっさにもう、盗っちゃおうって思った。それでもっと必要な物ないかなって、いろいろカゴに入れて、そのまま駐車場に行こうとした。売り場を出たところで、女性に腕をつかまれて『忘れていることがありますよね?』って言われました」
犯行を決めたのは、カゴに入れた食料品が3000円を超えてからという。周りを見回して、出入り口を確認。市内で最も広い食料品売り場である。出入り口はレジ奥だけでなく、両サイドにあった。レジから最も遠い出入り口から、カートを引き、そのまま外に出て駐車場へと向かった。食料品を車に積んで、そのまま帰れるはずだった。

「最初は牛乳と鮭の切り身だけ買うつもりだった。買い物しているうちに次のパートの休みは3日後になっちゃうと思って、仕事のある日は買物に行く時間がない。だから3日分の食料は欲しいなって。3000円超えちゃって。どうせ万引きするなら、旦那のお弁当のおかずと思って冷凍食品も入れた。4700円はちょっと高い。今月、本当に厳しくなっちゃいました」

彼女は真っ暗な田園風景を眺めながら、そうため息をついた。

盗んだものの中に、自分だけが使って楽しむような娯楽品は一切ない。
すべて、生活に必要なものだけだった。

買えないわけではなかったが、盗んでしまった。
その背景に、いったい何があったというのか。

家計の赤字が重なっての借金

鈴木さんは、結婚11年目。旦那は中小企業に勤めるサラリーマン、2人の小学生の男の子の母親だ。夫婦げんかはしたことがない、仲はいい。結婚する24歳まで地元の会社でОLだった。結婚を機に旦那の実家で暮らすようになり、27歳のとき長男出産で退職、31歳で次男を出産する。5年前から地元の野菜即売所で、時給750円でパートを始めている。

突然、電話がかかってきたが、私と鈴木さんは友人ではないし、たいした関係ではない。彼女は5年前「女性の貧困」を取材しているとき、たまたま出会った地方の専業主婦で、当時、家計の赤字が重なって、ノンバンクから140万円の借金をしたことでパニックに陥っていた。

当時、2人の子供は小さく、時間的な制約があり、140万円という負債をパートと家計のやり繰りで捻出するのは不可能と嘆いていた。クルマのローンの返済日が1週間後に迫り、真っ青な表情の彼女に「私、どうすればいいでしょうか?」と迫られた。「旦那に借金のことを話し、一緒に返済すれば」と答えたが、彼女は勢いよくクビを振った。ノンバンクで借金をしたことに大きな罪悪感があり、「旦那には絶対に言えない」と繰り返し言っていた。

目先のお金に困ってAV出演

身内に相談できなかった彼女は、1、2回しか会ったことのない中村氏の何気ない
一言でAVに出演することを決めてしまう。
ただ、借金が返済できればとの思いだけだった。

私は冗談半分で「熟女風俗は単価が高いし、時間の融通が利く」と伝えた。そうするとその日のうちに血眼になってインターネットで高額求人を探し、彼女は風俗店ではなく、素人熟女AVに出演してしまった。その後、旦那に秘密のまま、目先のおカネに困ってAV出演を数回繰り返す。結局、AV出演で得たおカネは、3本出演で10万円程度だった。

カメラの前で裸になって、目先の支払いを切り抜けながら弁護士に依頼して債務整理をする。「弁護士先生に利子を止めてもらって、なんとか返済します」とメッセージをもらったところで、連絡は途絶えた。そして5年後、今日の万引き事件だ。彼女の小さな人間関係の中で、万引きがバレても問題なかったのは、たまたま電話番号を知る私しかいなかった、という事情だった。

「5年前はもうノンバンクでおカネを借りることができなくなって、月末の車のローンが間近だった。延滞しちゃうと、ディーラーに旦那の車がとられちゃう。そう焦って。結局、AVに出ちゃった。AVでなんとか目先のおカネを作って、姑に子供を見てもらうことにして地元の野菜即売所のバイトを始めました。債務整理で借金が80万円くらいに減って、毎月3万円の返済。それは、旦那にバレないでなんとかなりました」

鈴木さんと会うのは、今日で3度目だ。本当に地味でまじめな田舎女性で、風俗はもちろん、万引きをするようなイメージはない。熟女AVや風俗の仕事は、私が伝えたことで初めて知ったようだった。「さすがにカラダを売る選択はありえない、リスクが高すぎる」と言ったが、目先の数万円の支払いのために決断してしまった。

学生時代は道をそれるような経験はない。初めての恋人は19歳のときに専門学校の同級生。2人目が社会人になって知り合った現在の旦那だ。経験2人で結婚して、AV出演以外に、浮気や遊びは1度もしたことがない。男性経験の3人目はAV撮影現場で登場した男優だ。
「本当に生活は苦しいです。ギリギリです。万引きしちゃったのは、食費しか切り詰めるものがなかったから」

ため息をつきながら、そう言う。旦那の実家暮らしで家賃はなく、世帯収入は県の平均に近い。旦那は年収400万円、彼女はパートで年収80万円程度を稼ぐ。世帯収入480万円は決して貧困ではなく、一般的な家庭といえる。

「おかしくなったのは3年前、義父ががんになって入院してから。胃がんが再発して、抗がん剤治療をしたのでおカネがかかりました。病院から毎月13万円くらいの請求があって、しばらくしてから高額医療費の制度で3万円くらいが戻ってくるみたいな感じ。結局、義父が亡くなって、その後すぐに義母もがんになって。今、義母は入院中で抗がん剤治療をしています」

旦那は手取り月24万円、彼女のパート代は月7万円。夫婦で31万円の収入がある。支出は義母と2人の子供を含めた5人分の保険料4万5000円、光熱費2万2000円、食費3万円、旦那の小遣い2万円、ガソリン代2万円、2人の子供の塾代2万5000円、携帯代2万円、旦那のクルマのローン4万7000円、それに毎月10万円以上の医療費。
単純計算で、この支出だけで32万9000円だ。確かに家計は破綻している。そして現在、まだ未払いの2台の自動車税と固定資産税の請求が来ている。貯金は限りなくゼロに近い状態だ。

「義母は自営業をしていて、たぶん10万円くらいの収入があった。だから義母が元気な頃は、光熱費と固定資産税は払ってくれた。それが突然がんになって、医療費が請求されて、光熱費と固定資産税を私たちが払わなければいけなくなって、もうどうにもならない。もっと働こうと思っても子供を見てくれる義母はいないし、どうしていいかわからない状況です。子育てしながらできる仕事は、田舎なので、今の時給750円の職場しかない。それに風俗みたいな仕事は、私にはとても無理です。旦那を裏切りたくないし」

彼女は助手席で語りながら、泣きだしてしまった。5年前の破綻のときは表情が青ざめていたが、涙を流すことはなかった。万引きして警察官に怒られたのか、本当に追い詰められているのか。

”車”がないと、生きていけない

支出を眺めると、月4万7000円という車のローンが圧迫している。家賃のない実家住まいの利点は、帳消しだ。どうして経済的に追い詰められた経験があるのに、高額なクルマを買うのか。

「2年前に義父が亡くなったとき、これで医療費がなくなってラクになったねって、旦那はクルマを買った。240万円くらいの新車で、話し合って5年ローンを組みました。まさか、義母もがんになるとは思わなかったから……。田舎は車がないと生きていけない、それと世間体みたいな意味で、旦那にはとても軽自動車には乗せられない。家計は厳しいけど、新車の普通車を買うのは、この辺では当たり前のこと。だから車のローンは苦しいけど、仕方ない。義母にはお世話になったので長生きしてほしいけど、毎月10万円は限界を超えています」

クルマを買わなければいい、中古車で支出を抑えれば、というのは都心部の住人ならではの意見のようだ。クルマ社会である北関東では、クルマを所有しないと生活ができず、さらに世帯主が軽自動車や中古車に乗るのは“恥ずかしい”という感覚がある。平均的な世帯収入があって質素な暮らしを心掛けても、たった1台のクルマや家族の病気に圧迫され、簡単に生活は破綻する。時間を見つけながら共稼ぎし、毎日お弁当を作って節約しても、おカネは余らないどころか赤字。二世帯で暮らしても、親の病気や入院で、突然、生活苦に陥る。彼女の苦境には、地方ならではの現実があった。

亡くなった義父ががんになったことで毎月10万円以上の支出が始まり、後を追うように義母もがんになり、家計を預かる彼女は追い詰められている。もともと、無駄遣いはしなかったが、どれだけ切り詰めてもおカネが足りない。パートでもっと長い時間働きたくても、子供の面倒を見てくれる義母は入院してしまった。少しでもおカネを使わないため、万引きに手を染めた。

夫に話せない家計の状況と、やめられない万引き

「実は万引きしたのは、今日が初めてじゃないです。捕まったのも2度目」

小さな声で、そう言う。初めて万引きしたのは、3年前。がんになった義父が隣の市の大病院に入院することになり、週2回は身の回りの世話に通うようになってから。

「入院費で月10万円以上の請求がきて、本当に苦しくなって、どうしようって考えたとき、切り詰められるのは食費しかなかった。そこから。地元のスーパーでは、絶対にできません。義父のお見舞いで隣の市に行ったとき。ちょうど子供もいなかったし、大丈夫かもってやっちゃいました。きっかけは夕飯の材料費何千円かが浮いたら、すごくラクだなぁってことだけ。足りなかった塾のおカネも払えるって」

隣の市での万引きに成功してから、地元から離れた病院に行くとき、そして子供がいなくて1人のとき、その2つがそろえば万引きをした。義父が倒れた3年前から、病院に通い続けている。そして、万引きをしている。何度か成功して、当たり前のように盗んだとき初めて捕まった。

「最初に捕まったのは、2年半くらい前。100円ショップです。子供のキャラ弁で使う可愛い小さな装飾品みたいなのを盗っちゃいました。今日みたいに警察に突きだされて、親戚のおじさんに身元引受人を頼んだ。しかられました。2度目はまずい、いけない、いけないって思ってもやめられなくて……それで、また」
何度もおカネを払わず食料品を手にした成功体験で窃盗症(クレプトマニア)になってしまったか。捕まった2度は不起訴処分で終わったが、3度目になると窃盗罪で逮捕となる可能性がある。私は旦那に家計の厳しい事情を話し、クルマを売却するように助言したが「そんなことは無理です」と大きく首を振った。

「子供に会えなくなるのが、怖い。だから、大丈夫です。もうやりません」

夜10時半、そう言って旦那と子供の待つ家へと帰った。旦那にはショッピングモールで捕まった後、「母親が急病になって実家に戻る。今日だけ子供をお願い」と連絡している。給与の全額を妻に預け、すっかり妻を信用して安心する旦那は、彼女に混乱が降り注ぎ続けていることを何も知らない。

引きつった笑顔で「大丈夫です、もうやりません」と言われても、義母の医療費と車のローンは続く。そして時間に余裕がない彼女にはカラダを売る以外、最低賃金に張りついたパートしかない。また万引きして捕まるのも、時間の問題のような気がした。

経済苦で精神的に追い詰められた彼女の万引きが、精神障害の一つである
「窃盗症」である可能性はある。

なぜ、万引きを繰り返してしまうのか。
なぜ、やめられないのか。
なぜ、相談できないのか。

経済苦なのも、彼女が浪費したわけではないのだから夫に相談すればいいのにと
周囲は思うだろう。

でも、相談できないのだ。
彼女自身の心の底を、すべてを打ち明けた時に理解されないのではないか、
子供と引き離されてしまうのではないかという真っ黒な不安が覆っている。

中村氏の言うように、また万引きをして捕まるのも時間の問題であろう。
彼女のように悩んでもシグナルさえ出せない人々が、今日もどこかで万引きを
しているかもしれない。

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