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震災の時に、産後で走れないという私に対し、旦那が言い放った衝撃の一言とは??

2018/04/28 UPDATE
 
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家族からの反対を押し切って出産したが・・・

私が嫁いだのは今回の震災で大基な被害を受けた土地です。

私は関西出身なのですが、義理の両親は結婚に反対でしたが、私があの土地でナースとして働きだしたら手のひらを返したように結婚を認めると上から目線で言われました。

その頃、私はエネだったので義実家が2世帯住居にするに当たり、費用が足りないからと旦那がほぼ全費用ローンを組むことになり、義両親と義妹は一銭も出さないということに疑問を持ちませんでした。

旦那の給料はほぼローンで消えるため私がナースとして夜勤のあるきつい仕事に転職することになったのです。

そんな時に私の妊娠が発覚し、義実家はおろせとしつこく迫られましたが、私は譲れません。

産休が取れるから給料は少し減るけどその分貯金で賄おうと思い産むことを決意しました。

生まれたのは女の子でした。

しかし、ごくつぶしを産んで役に立たないと全員に言われ、これ以上逆らうようなら離婚だと離婚届にサインさせられました。

義両親が保証人となり、気に入らないことがあったら提出すると言われたのです。

旦那は親の言いなりで助けてくれません。でも子供のことは可愛がってくれるので我慢しました。

そんな時にあの震災が起きたのです。

震災が起きて逃げる時に言われたこと

その日旦那は夜勤明けで家にいました。

母屋に様子を見に行くと「逃げろー、逃げろー」という声がして近所も逃げ出し始めていました。

母屋に旦那を追いかけて、「私は産後で思い切り走れないからこの子を抱いて逃げて」といいました。

すると旦那は「子供なんかより親が大事!女なんかいらない!」と言って両親を連れて車に乗っていってしまいました。

私と赤ちゃんはおいてきぼり。

ぼーぜんとしていたら近所のおばさんが来て、「こんな時は車より足」と言って高台の方に一緒に逃げてくれました。

津波は私達が逃げた高台のすぐ下まで来ていてあの時の恐怖は今でも忘れられません。

その高台で一晩過ごして皆の好意で赤ちゃんと避難所までたどり着くことができました。

寒いし、おむつはないしで本当に大変でしたが、古着を破いておむつにしてくれたり、優先的に食べ物をくれたりと沢山の人に助けてもらいました。

(ここで改ページします)

災害から数日が経ち、出てきたものとは

数日が経ち、家のあったところに行くと家はなくなっていました。

少し残っているものがあったので掘り返してみると義両親が使っていた金庫が会ったのです。

中身は空っぽでしたが、義両親が出したのだろうと思い中をよく見ると離婚届が残っていました。

それを見たら目の前が明るくなり、避難所の人に頼んで両親に連絡をとってもらい迎えに来てもらいました。

近所のおばさんと助けてくれた人たちにお礼を言って両親が持ってきた支援物資を渡して実家に戻りました。

そして両親に弁護士を手配してもらい離婚協議になったのです。

ちなみに旦那も義両親、義妹も助かり、避難所が違ったので調べるのに時間がかかりましたが、わかってもそちらの避難所には行きませんでした。

義両親は私が離婚をしたいと思っていなかったようで、赤ちゃんを実家に預けて仮設に戻って働きなさいと言ってきたのです。

でも近所のおばさんが私と赤ちゃんを旦那が置いてきぼりにしたことを証言してくれたのと、すでに記入済みの離婚届もあったので裁判でも親権を取ることができ、離婚することができました。

混乱していたので時間はかかりましたが、私は少しの額の慰謝料をもらうことになりました。

多分支払われないと思いますが・・・

流れてしまった家のローンがあり、職も失いました。

意地悪な義妹の職もなくなりました。

新聞を読んでいると美談ばかりですが、このようなこともあったということで書かせていただきました。

避難所にはたくさん親切な人がいて、近所のおばさんも普段から私がいびられていたことをかわいそうに思ってくれたのでにげるときに声をかけてくれたそうです

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