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土谷正実の生い立ち!サリンを製造した化学者が狂気すぎる!

土谷正実とはサリンを製造したとして教団の凶悪犯罪の代名詞となる毒物を作り出した人物。 そんな彼の生い立ちはどんなものだったのか!?
2018/07/06 UPDATE
 
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地下鉄サリン事件

地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)とは、1995年(平成7年)3月20日に、東京都で発生した同時多発テロ事件である。海外では「Tokyo Attack」と呼ばれている[2]。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件。


宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のない事件であり、国内外に大きな衝撃、影響を与えた。

土谷正実がサリンを製造した

土谷正実(つちや・まさみ)


生年月日:1965年1月6日

最終学歴:筑波大大学院化学研究科中退

ホーリーネーム:クシティガルバ

役職:第2厚生省大臣


地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):正悟師


化学者としての将来が期待された「頭脳」は、教団の凶悪犯罪の代名詞となる毒物を作り出した。

土谷正実の生い立ち

化学者としての将来が期待された「頭脳」は、教団の凶悪犯罪の代名詞となる毒物を作り出した。



 東京の都立高校を卒業し、1984年、筑波大学農林学類(当時)に入学した。化学に興味を持ち、88年に同大大学院へ進学して、有機物理化学を専攻。「非常に研究熱心」だったという。



 オウムとの出合いは大学院2年の時。同乗していた車での交通事故がきっかけだった。むち打ち症になり、知人に誘われ、水戸市内にあったオウムのヨガ道場に通うように。周囲には、



「オウムには大学以上の設備がある。1日に20時間以上も研究できる」

 と嬉しそうに話していた。



 修士論文は提出したものの、研究室からは足が遠のいていった。オウムにのめり込み、1日1回しか食事をとらず、朝から晩までアルバイトをして、収入を教団に布施していたという。両親は脱会するよう再三説得し、茨城県内の更生施設へも入れた。しかし、すきを見て抜け出し、91年に出家した。




化学の知識を重宝され、上九一色村にある教団施設には、自身のホーリーネームを冠した実験施設「クシティガルバ棟」が与えられた。「麻原の直弟子」を自任したが、同じ化学者で第1厚生省大臣だった遠藤誠一死刑囚とは、麻原の寵愛を競い合った。




「サリンというものがあります。作ってみませんか」




 麻原にこう提案したのは、93年の年明けだった。「やってみろ」と言われて製造を始め、同年6月にサリンの合成に成功する。94年から95年にかけて起きた松本、地下鉄サリン事件で使われたサリンと、信徒などへの3件の襲撃事件で使われたVXは土谷が製造した。




「(麻原への)帰依を貫徹し、死ぬことが天命と考えます」




 裁判では「直弟子」らしく、こう表明。麻原の指示には触れず、遠藤や村井秀夫に命じられるままサリンなどを作ったので、「何に使われるかは知らなかった」と無罪を主張した。



 不規則発言も目立った。




 検察官に「何言ってんだ、バーカ」「お前が死刑、求刑するのかよ」などと毒づき、「何を笑ってるんだよ」と傍聴人にすごんでみせた。人生で一番、後悔していることを聞かれた時は、

「(遠藤を)殴ってもいいと尊師から言われたのに殴れなかった」




 と答えた。



 一審の最終意見陳述では、大好きだったという漫画『ゴルゴ13』をもじった「オウム事件解析13の公式、オウム13」という小説風の物語を2時間かけて読み上げた。一連の事件はオウムの犯行ではない。遠藤と村井が教団を破滅に導いた――という内容だった。そして、こう締めくくった。




「松本サリン事件とVX事件の真犯人を見つけ出してくれたら、報奨金を払います。前金はオウム弾圧にかかった金額の1万分の1でいかがでしょうか。続く」




 一、二審とも求刑通りの死刑判決。最高裁では麻原への信仰がなくなったことを強調したが、2011年2月、死刑が確定した。

土谷正実関連事件

弁護士サリン襲撃事件

麻原彰晃(本名松本智津夫)被告は、中川智正ら4被告、19歳の女性信者と共謀、1994年5月9日、教団相手の民事訴訟に出席するため甲府地裁を訪れた「オウム真理教被害対策弁護団」メンバーの弁護士(39)を殺害しようと、弁護士の乗用車のフロントガラス付近にサリンを垂らし、中毒症を負わせた。


松本サリン事件

1994年(平成6年)6月27日に日本の長野県松本市で発生したテロ事件。警察庁における事件の正式名称は松本市内における毒物使用多数殺人事件。


オウム真理教教徒らにより、神経ガスのサリンが散布されたもので、被害者は死者8人、重軽傷者660人に及んだ。



地下鉄サリン事件

1995年(平成7年)3月20日に、東京都の帝都高速度交通営団で、宗教団体のオウム真理教が起こした神経ガスのサリンを使用した同時多発テロ事件で、死者を含む多数の被害者を出した。


警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件[1]である。この事件は日本だけでなく、世界にも大きな衝撃を与えた。


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