生年月日: 1948年11月3日
出身地: 長崎県 平戸市
配偶者: 高田 恵子
学歴: 大阪経済大学
ジャパネットたかたの創立記念日である2015年1月16日で
代表取締役社長職を明から旭人に交代した。
2017年には、4月25日付でJリーグ・V・ファーレン長崎の代表取締役社長に就任した。
大学時代は英語の勉強に明け暮れていた明さん
このことが電子辞書を売るきっかけになったと本人は語られています。
卒業後、京都府内の機械製作会社の阪村機械製作所に入社し
東欧を中心に数年間海外赴任を経験する。
翻訳会社を設立しようと退社したが挫折されています。
この時は失意の底に居たといいます。
失望し、会社を退職してから、実家に帰った彰さんは、1974年から実家のカメラ店の手伝いを経て
1986年1月、佐世保市三川内本町にカメラ店「株式会社たかた」(ジャパネットたかたの前身)を設立しています。
1999年までは、実父の高田政雄が同社の会長を務めていたようです。
「株式会社たかた」では、カメラフィルムの「即日現像・手渡し」を旗印に
カメラ販売で業績を拡大しています。
また、一般家庭へのビデオカメラの普及を機に
ソニーの特約店にもなりました。
さらに、カラオケブームの到来に合わせて
パイオニアのカラオケセットを販売。
出典: www.sankeibiz.jp
明さんは知人を通じて
地元局の長崎放送ラジオの番組内で放送する通信販売コーナーへの出演を依頼されました
これが明さんの転機になるのです。
実際に放送でカラオケセットを売り込んだところ
数か月分の売り上げを1日で達成したことから
通信販売の分野への進出を決意されます。
自分が想像以上に実績を挙げられたことがキッカケはでした!
1990年3月に同局で本格的にラジオショッピング番組を始めると
1999年5月に社名の「たかた」を現在の「ジャパネットたかた」に改めるのです。
ジャパネットたかたでは
佐世保市日宇町の本社屋内に設けたスタジオを中心に
自社運営のスタジオで日本全国のテレビ・ラジオ局に向けてショッピング番組を制作しました。
明自身も、「代表取締役社長 高田明」として
肥筑方言訛りの甲高い語り口で商品を紹介していた。
やがて、紹介や放送の機会が増えるにつれて
高田の存在や特徴的な語り口が広く知られるようになった!
この訛りが成功の秘訣だったと言われています・・
明さんのあの甲高い独特な訛りは、最高の宣伝になりました!
ジャパネットたかたでは
2010年12月期に過去最高の売上高(1,789億円)を記録しています!
しかし、売上の6割を占めてきたテレビ受像器の販売が不振に陥るなどの影響で
2011年度から2年連続で売上高が減少しました。
この状況に危機感を抱いた高田は、2013年を「覚悟の年」と位置付けたうえで
2013年度中にジャパネットたかたが過去最高益を出せなければ同社の社長を辞任することを
インタビューや出演番組などで公言していた。
しかし、同年12月期決算の時点で過去最高益となる約150億円以上の経常利益を達成する見通しが立ったことから
「長くても2年(後の2015年度までに勇退する)」という条件付きで社長職を続けていたようです!
そして2015年1月16日までは初代の代表取締役社長を務めていました。
ジャパネットたかた元社長・高田明氏は現在サッカークラブの経営をしており
年商25億円と言われています。
赤字経営だったサッカークラブの経営に名乗りでて
高田明氏は年商25億円にまでさせました。
ジャパネットたかたも成功させ
サッカークラブも成功させ
高田明氏が成功する理由というのは一体なんなのでしょうか。
出典: goodstory.biz
サッカーに関しては、素人と呼んでも差し支えない高田さん。
ひたすらクラブの経営再建に徹することになるも、ふたを開けてみれば
そのシンプルな姿勢が功を奏したようである。
「私が社長に就任した当初、V・ファーレンは収支のバランスが合っておらず
選手の給料も払えないような状態でした。
私は数カ月、サッカーの専門家としてではなく“一経営者”として現状を把握し
正常な形に戻すという努力を続けてきました。
また、クラブ運営をジャパネットが引き受けたところで
長崎県民のみなさんやファンのみなさんからすれば『V・ファーレンを強いチームにしてほしい』という願いは変わりません。
私が考えていたのは、経営を安定させるのはもちろん
どうすれば監督と選手の気持ちを鼓舞し
J1昇格を目指してもらえるかということでした。
そうなるとやはり、監督と選手には余計な雑念を持たず
練習と試合に集中してほしいということになります。
クラブ運営のことは会社が、サッカーのことはプロである監督や選手たちが
それぞれ役割をきちんとシェアしながら進めるのが最も効率的ですよね。
私はみんなに『経営は私が立て直しますから、安心してください』と伝えました。
それで監督の手腕、選手の努力の甲斐があって、それまで以上の力を発揮でき、J1昇格に行き着いたのだと思います」
経営は会社
サッカーは監督と選手
同じ会社内でしっかり役割を分け
自分の役割に全員が集中した事でサッカークラブの経営を立て直す事に成功したのでしょう。
高田氏の名言で
「多くの人は失敗したことを後悔するのではなく、ベストを尽くさなかったことを後悔する。」
というものがありますが
全員が自分の役割に対しベストを尽くした事がよかったのでしょう。
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