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山辺節子若い頃可愛かった!生い立ちや子供時代!

2018/05/18 UPDATE
 
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山辺節子若い頃可愛かった!

高校卒業後、病院の事務員として勤務。

父親が『娘(山辺)が、遊び歩いて家に帰ってこん』と心配し、早くに結婚させました。

お父さん心配は分かりますが、それは何の解決にもなりませんね・・・

そしてスナックを経営しママをしていたという情報も入ってきました。

写真を見てわかると思いますが

すごく可愛い女の子だったようです。

山辺節子酷すぎる男性遍歴

最初の旦那

自動車関係の会社に勤め、息子と娘を授かるが、男癖の悪さにより離婚。

息子は現在40代。

息子より若いタイ人男性に貢いでたんですね(TдT)

二番目の旦那

妻子ある男性と不倫関係になるが、離婚させて結婚。

夫と財産を奪われた、元奥様は、その後、息子2人を抱えてかなり苦労されたそうです。

しかし山邉節子は、また他に男ができて離婚。

この男性は離婚後しばらくして、亡くなっています(゚д゚)!

山辺節子の生い立ち~子供時代

つなぎ融資の女王として約20億とも100億とも

言われる莫大な金を集めて若いタイ人男性やフィリピン

男性、はたまた東京新宿のホストに入れ込んで金を貢いでいた山辺節子。

彼女の生い立ちは一体どんな生い立ちだったのか?

留置所や拘置所で手記としてデイリー新潮から発売

された『砂風』が話題となっています。

彼女は熊本県で誕生し両親の元、失礼ながら年代的に

珍しく一人っ子として育っていきます。

山辺節子氏曰く物心ついた事から男性の気を引く事が

得意だった彼女は両親との間でも母親より父親に溺愛され

そんな彼女を母親自身もどこか嫌っていた部分があったと語られています。

幼少期には貧しかったとの噂もあるみたいですが

それにしたって現在63歳の昭和20年代生まれの一人っ子です。

貧しいとは言え食べられない苦労とかのレベルでは

ないのではないでしょうか。

デイリー新潮からの引用では彼女の『砂風』にこうありました。

幼い時から、それらの生き物はノックすることなく私の中に入って来た。いやノックしたかも知れない。しかし残念ながら気付くことはなかった。私以外の人は、この生き物の正体を知っていたと思う。なぜなら私は、友達がひとりもいなかった。それは現在まで。いつもひとりだった

何となく同姓に嫌われるタイプの女性は誰の周りにも

見えるものですが、それが何が原因なのか正体がこれだと

言えない物体の無いものである事は何となく理解できます。

山辺節子の若い頃

このように幼少期から同姓の親友と言われる友達関係は

皆無に近かった状態の彼女はますます異性関係に没頭したのかもしれません。

高校時代に既に駆け落ちをして、かなり若い頃から

異性に人気はあったようでかなりの男性関係があったそうです。

そんな娘を心配して、父親が早くに結婚させることで

少しは落ち着くのではないか?との思惑から19歳で見合い結婚。

一男一女をもうけるも結局男遊びが収まる事が無く

夫婦関係も破綻となり離婚をします。

彼女をことのほか溺愛した父親は彼女が長男出産をする前に亡くなられ以後は母親と子供達との暮らしだったそうです。

それでも納まる事のない男関係は不倫から結婚

そしてまた彼女の浮気で離婚と留まるところが

無いレベルに転々と相手(男を変えて)人生を走り続けます。

既に子供がいた彼女はどうやって子供を育てていたのか?

子供の育児や面倒は自身の母親に一切を

任せて自分は遊び放題だったそうです。

どんな男性とも続く事のなかった彼女は

30歳で男性の支援の元スナックを経営。

かなり繁盛してその後また違う男性と交際して

クラブのママとしても活躍していた時期があったそうです。

学生時代から当時まで彼女を知る人物は

地元では評判の美人で松田聖子みたいだと

言われていた程の女性だったそうです。

とても逮捕時の雰囲気で松田聖子には見えません

でしたが雰囲気というのは現実に会ってみなければ分らないモノです。

良い悪いは別としても異性を引き付けるだけの

魅力があったことは確かでしょう。

その後の市場調査の会社経営も短歌集の出版パーティー

を開いたりと次から次へと男を乗り換えては生活の糧と

して面倒を見て貰った山辺節子さん。

そんな彼女は言います。

振り返ると私は自分から『お金が欲しい』とは言った事がありません。

まさに渡りに船とばかりに男性が欲しいモノを差し出して

くれたのだ~と言わんばかりの言いざまです。

そんな中とある知合いの女性に手形の譲渡を頼まれた

事から2000万円の借金を負う事になってしまいます。

この辺りから彼女の人生にほころびが出始めます。

これまで男性の支援の成果から派手な生活が

骨身までしみていた山辺節子氏は生活基準を

落とす事は出来ず、結局『つなぎの融資』としての

詐欺を働く事になるのです。

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