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かぐや姫の物語 罪と罰の意味とは!?作品に秘められた真実は…?

ジブリ作品『かぐや姫の物語』のキャッチコピーである「姫の犯した罪と罰」とは一体何だったのか、様々な解釈をまとめてみました。その結果、仏教を背景にした驚きの設定が明らかになりました。
2018/05/18 UPDATE
 
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かぐや姫の物語 罪と罰って何だったの!?

ジブリ作品『かぐや姫の物語』をご存知でしょうか。


昔話「竹取物語」をモチーフとした作品ですが、手書きの繊細な絵が美しく、今までになかった映画として話題となりました。


カンヌ映画祭で上映され、海外での評価も高く大絶賛された作品です。


今回はそんな『かぐや姫の物語』についてご紹介します。

かぐや姫の犯した罪と罰って何だったの!?

映画公開当時も話題となったのは映画のキャッチコピーでもある、『姫の犯した罪と罰』の意味でした。


ジブリ映画には各作品に作者の思いや隠れた設定などが潜ませてあり、それを紐解きながら楽しめるのも魅力の1つですね。


見る人によって解釈や感想が全く変わってしまうのがとても面白いです!


今回は、キャッチコピー『姫の犯した罪と罰』にあるかぐや姫の罪は何だったのか?そしてその罪を償うための罰は何だったのかを調べてみました。

作品のあらすじ

あらすじは日本昔話の竹取物語(かぐや姫)とほぼ同じです。


相違点としては、かぐや姫が竹の中からではなくタケノコの中から生まれることと、子どもの頃よく遊んでいた捨丸の存在、引っ越し後の家出の教育係の女性はオリジナルのようです。


あとは私たちの良く知る竹取物語と同じですが、宴会の最中に猛ダッシュで元の家に帰る様子など私たちのイメージするかぐや姫とは違った面も見れます。

かぐや姫犯した罪と罰とは!?

『姫の犯した罪と罰』については様々な解釈があります。


その中でも話題となったのはこちらです。

月に帰りたいと思う=死を望むこと
彼女にとっては自分の心に従うことが罪だったのだ。
ならばそれに対して自分で下せる罰とは? 自分の心を殺すことだ。
記憶を失って去ることは、周囲の人にとって彼女の死に等しい。

「私はここから逃げ出したいと月に願ってしまった。
 すぐに後悔し、連れて帰らないでくれと願ったが、
 彼らは聞き入れてくれなかった」

この言葉の意味が今は掴める気がする。
この世から抜け出したいと願うことは死を願うこと。
そして一度死んでしまえば、
いくら後悔しても取り返しは効かない。
罪悪感、そして自罰の意識。
彼女は自分で自分を裁いて、空へ消えてしまった。
出典: eiga.com
恵まれていることが罪。周りを不幸にするのが罰。
姫は自分から何かしなくても、産まれながらの美貌やお金を持っていることで、それに振り回される他人がいて不幸せにしてしまうのが、罪と罰なのかなと感じました。

月へ向かうのは死を連想しました。
姫がここへいたくないと願ってしまい、後戻りが出来なくなったことも死を感じました。

かぐや姫の罪と罰が何なのかを考えながらみると面白いと思います。
見るたびに新しい発見がある映画だと思います。
昔の日本の美しさや赤ん坊のしぐさが忠実に表現されていて、感動しました。
出典: eiga.com
地球に憧れたのが罪。地球で生きることが罰。
かぐや姫は月で居た頃に、命あふれる地球に想いを馳せたことが罪となり、罰として人として生きる事を強要されます。
月は病気、死、喜怒哀楽さえない、安定した世界。無の世界ともいえると思います。
しかし、そんな月の世界から見れば、地球の世界は不安定で穢れた世界だと認識されている。かぐや姫は地球を見てみたいと思った、知りたいと思った。地球で人として生きる事はかぐや姫にとっては罰ではなく願ったり叶ったりの出来事だったんだと思います。
出典: eiga.com
罪は無機質な月の人が色々な感情がありそれ故に、穢れもある地球に行きたいと願った事で、

月の人sideの罰は実際に地球に送られ、その穢れを体験させる事で

かぐや姫sideから見たら罰は地球との別れかなーって見てて思いました
出典: eiga.com
感情に憧れたことが罪。感情を知ったことが罰。
最初はそんな感情の無い世界で、感情に憧れた、感情を持ちたいというのが「罪」だと思いました。
しかし、感情の無い世界で「罪」を「憎む」という事があるのか?
本当は「罰」ではなく、ただの戯れだったんじゃないだろうか?

かぐや姫の中で感情が大きく膨らむたびに身体が急成長していく演出
都に行ってからは成長が著しく遅くなっていたこと
「罰」と言いながら、金品で豊かな生活をさせようとする意志からも感じました。

しかし、エンドロールの最中
「罪」とは感情に憧れた事であり
「罰」とは感情を知ったことだと思いました。


どの解釈も素晴らしいですね。


罪と罰の解釈は作品を見る側が決めることなので、どれが正解とかはないと思います。


しかし、個人的に私が「これ!!」と納得したのは、月と地球を仏教の煩悩に支配されている状態と涅槃とに例えた解釈です。


竹取物語が作られた当初、日本は仏教の影響を受けていました。


仏教において目指すものは涅槃(ねはん)です。

悟りをひらいた状態と言うと分りやすいかもしれません。


涅槃とは感情に支配されず、心を乱すもののない安らかな気持ちでいられることです。

しかし、感情に支配されないで生きることって難しいですよね。

生きること=辛く、苦しいことだったのです。

仏教では輪廻転生が信じられており、生まれ変わって生きることはとても辛いことだと考えられていました。


なので仏教徒は心の安堵(涅槃)を求めて修行に励みます。





作中では月の民が仏のような姿をしていたことから、月が涅槃を描写していると考えられます。

月の民は涅槃の境地にたどり着いた者で、だから月は無機質で感情がありません。


ラストシーンの天女が不気味で恐怖を覚えた方も多かったようですが、涅槃に達している状態で感情がないからこそ、不気味な無表情をしていたのかもしれません。



一方、地球の民は煩悩があり、心が乱されている状態を指しています。

仏教でいうところの涅槃にたどりついていない、未熟で愚かな存在です。



かぐや姫は涅槃の境地に達していながら、煩悩に苦しみながら生きる地球の人々に憧れを抱いてしまいました。

それこそが、かぐや姫の犯した罪です。


そして、この罪に対して与えられた罰が、地球に行くこと=煩悩の世界で苦しむことです。

そうすることにより、もう一度心の安堵を求め、より揺るぎない涅槃を手に入れることが出来るからです。



かぐや姫は地球で様々な感情を感じ、最終的に苦しみます。


そして、月に帰ること=涅槃を求めてしまうのです。


これが月の民からすると「罪を償うこと」です。


贖罪したことで、月からの迎えが訪れ、羽衣をかけらることでかぐや姫は煩悩から解放されたのです。

羽衣をかけられた途端、表情が無くなったのは煩悩から解放されたことによって感情がなくなったからでしょうね。


そして、記憶を消されたかぐや姫は月へ帰っていきました。




パンフレットでは、かぐや姫が月にいた時に地球の歌を歌いながら涙を流している人物の存在について書かれていたようです。


かぐや姫も月へ戻った後、記憶を失いながらも涙を流して地球の歌を歌うのかもしれません。

その様子を見て、第2・第3のかぐや姫が生まれるのかもしれません。




出典:

あくまで個人の感想なので、これが絶対というものではありませんが、私はとても腑に落ちました。


色々な見方を知ったうえで、作品を見てみると一層面白く感じますね。


高畑勲監督の才能を改めて感じますね。

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