野球選手として、引退後はタレントとして、常に一流の道を歩いてきたはずの清原和博さん。
しかし2014年に違法薬物使用疑惑が週刊誌によって報じられ、2016年には覚醒剤取締法違反で逮捕されました。
多くの野球ファンを絶望させた清原さん。
現在は薬物依存症と闘う日々を送っているようです。
そんな苦しみの中にある清原さんの手元に、あるものが戻ってきたそうです。
野球選手として、引退後はタレントとして、常に一流の道を歩いてきたはずの清原和博さん。
しかし2014年に違法薬物使用疑惑が週刊誌によって報じられ、2016年には覚醒剤取締法違反で逮捕されました。
多くの野球ファンを絶望させた清原さん。
現在は薬物依存症と闘う日々を送っているようです。
そんな苦しみの中にある清原さんの手元に、あるものが戻ってきたそうです。
幼い頃から地元のリトルリーグで大活躍していた清原さん。
他の同級生よりもずば抜けて体格が良く、小学校4年生の時には6年生に交じってレギュラーを務めていたほどの実力があったそうです。
中学生になっても活躍し続け、高校入学時には30近いスカウトがあったそうです。
その中からPL学園を選び、同期には桑田真澄さんもいました。
清原さんは桑田さんの投手としての才能に驚愕し、自分も当初目指していたピッチャーを諦めたと言います。
そしてプロ野球ドラフトでは念願の巨人から指名を受けられず、西武が交渉権を獲得し、西武入団となります。
逆に桑田さんが巨人から一位指名を受け、会見で悔し涙を流した清原さん。
この出来事は「KKドラフト事件」として世間の注目を集めました。
プロ野球界に入り、ルーキー時代から活躍をつづけた清原さん。
王貞治を超えるのは清原しかいないとまで言われ、西武黄金時代を築き上げます。
やがてFA権を取得し、憧れだった巨人に入団。
しかし、やがては怪我に悩まされるようになり、戦力外通告を受けます。
しかしオリックスの仰木監督から熱心に誘われ、オリックスへの入団を決めます。
オリックスでは思うような活躍ができず、2008年に引退を決めた清原さん。
引退後はタレントとして、野球評論家として活動を始めます。
しかし心の中では「いずれ監督になりたい」と願っていたようです。
そんな中で報じられた薬物使用疑惑、そして逮捕。
清原さんの監督姿を願っていたファンにとっても、まさに裏切られたといった感じだったに違いありません。
現在、薬物依存症とうつ病に苦しんでいるという清原さん。
今でも誘惑に負けそうになると言います。
そんな苦しみの中、清原さんのもとへ帰ってきた一本のバット。
それは1985年夏の甲子園決勝、PL学園対宇部商戦で、劇的な連続ホームランを放った時に使っていた金属バットでした。
甲子園歴史館に展示されていたものが、事件の後、清原さんの元に戻ってきたそうです。
バットを手にしたとき、いろいろな記憶が甦り、高校時代の自分の力に驚いたという清原さん。
輝いていたあの頃の自分を見つめ直して、これから迎える試練にも耐えていってほしいものです。
そんな清原さんの近況についてはコチラ↓↓
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