情報をまとめて創造するキュレーションメディアです

明石家さんま 生い立ちが壮絶すぎた…笑顔の裏には想像を絶する過去が…

明石家さんま 生い立ちが壮絶すぎた…『生きてるだけで丸儲け』この言葉に隠された本当の意味とは…笑顔の裏には想像を絶する過去を紹介します!
2018/05/09 UPDATE
 
1,098 views

明石家さんま 生い立ちが壮絶すぎた…笑顔の裏には想像を絶する過去が…



お笑い界のトップを走り続ける

明石家さんまさん!!


ひょうきんに笑う姿から、

いつも元気をもらえますよね?


そんなさんまさんですが、

笑いを取るその姿からは想像できない

壮絶な過去をお持ちだということを

みなさんは、ご存じでしょうか?


いつも笑っていて、悩みが無さそうにも

見えてしまいますが、

実は人一倍、過酷な生い立ちがあったのです…

明石家さんま

プロフィール


本名
杉本 高文(すぎもと たかふみ)

ニックネーム
さんまさん、さんちゃん

芸能界の“お笑いBIG3”

生年月日:1955年7月1日

出身地:奈良県奈良市

血液型:B型

身長:172 cm

最終学歴:奈良県立奈良商業高等学校

師匠:2代目笑福亭松之助

事務所
よしもとクリエイティブ・エージェンシー

活動時期:1974年 -

同期

関根勤
島田紳助
オール阪神・巨人
桂小枝
桂千朝
桂吉朝

明石家さんまの幼少期



両親と兄・正樹さんとの4人家族で

明石家さんまが、3歳の頃に

母親が病気のため亡くなってしまいます。

明石家さんまが、小学校高学年になった頃に

父親が再婚!


継母には連れ子がいたため、

明石家さんまには、年の離れた弟ができました。


明石家さんまは、この年の離れた弟を

”チビ”と呼んで可愛がり、

大変喜んでいたそうです!


思春期前でもあった明石家さんまは

新しい母に対する遠慮もあったのでしょう。

それでも、明石家さんまは

継母に心を開いてもらおうと

毎日面白いことをして喜ばせようとしていたようです。

しかし…

継母は、明石家さんまと正樹さんに

心を開くことはなく、

その頃のことを正樹さんは

次のように語っています。

その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら、『うちの子はこの子(弟)だけや……』って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。二人でよう二段ベッドで泣きましたわ…。




まだまだ母親を求めたい

年頃の二人にとっては、

継母の態度は身を切るような

辛さがあったでしょうね…。

ほんとに、ひどい言葉。


このことがトラウマで、

明石家さんまはお酒が苦手になり、

お酒を飲む女性も

苦手のままだということです。


しかし、皮肉にも継母を喜ばせようと

面白いことをし続けたことで、

お笑い芸人を目指すきっかけとなり、

学校でも人気者となったようです!


また、この経験により

後に結婚する大竹しのぶの連れ子だった

二千翔にはとても気を遣い、

帰宅するとIMARUよりも先に

二千翔に触れるようにしていたそうです!

大好きな弟の死



可愛がっていた弟ですが、

19歳の時に火事が原因で

亡くなってしまいました…


明石家さんまさんが27歳でした。

大好きな弟さんの死について…


ぼくのことを、

昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。

ぼくがいうことは、

すべて正しいと思っていたみたいですよ。

自分にも、それから他人にも、

素直に自分をさらけだせるやつでしたね。

ぼくもサッカーやったけど、

チビのほうがすごいんですよ。

サッカー部のキャプテンで、

インターハイにも出たし、

国体選手にも選ばれたしねえ……。

去年の10月、

大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、

今度のワールド・カップをふたりで

一緒に見に行こう。

キップはぼくが買っとくからって、

約束しとったのに……。

まだ納得できません、

あのチビが死んだなんて……。
出典:



最愛の弟を失ったショックから、

明石家さんまは

番組で笑いが取れなくなり

芸人を辞めようと思っていたそうです。

明石家さんまが搭乗予定だった飛行機が墜落

次ページに続きます♫
(ここで改ページします)

明石家さんまが搭乗予定だった飛行機が墜落


1985年8月12日に起きた

『日本航空JAL123便墜落事故』


「上を向いて歩こう」の

坂本九さんをはじめとした

520名の方が犠牲になった

痛ましい事故です。


明石家さんまさんは当日、

フジテレビで『オレたちひょうきん族』の収録後、

JAL123便で大阪へ移動し、

毎日放送『ヤングタウン』に出演予定でした。


しかし、たまたま「ひょうきん族」の収録が

予定よりも早く終わったために、

JAL123便をキャンセルして

一つ前の便で大阪に向かい、

この墜落事故を逃れたのです!!


墜落事故の情報を受け、

大きなショックを受けたさんまさんは、

出演した事故当日の生放送ラジオ番組を

報道特番に切り替えました。


この事故をきっかけに、

さんまさんは新幹線で行ける場所へは

飛行機ではなく、

新幹線を利用するようになったそうです。


人の運命を考えさせられるエピソードですね。

『生きているだけで丸もうけ』



『生きているだけで丸もうけ』

この言葉は、母と弟の死、

そして自分自身も

日航空機事故で死にかけた経験から

生まれた言葉なんですね。


明石家さんまさんにとっては

実は『重い言葉』なのであるのは

間違い無いですね…。



さいご…



明石家さんまさんの家族との死別

壮絶な生い立ち。

いかがでしたか?


あの笑顔の裏には

こんな過去があったなんて

思ってもいませんでしたよね。



ファンに対しても、

写真、握手、サイン

嫌な顔せずに、対応してくれたり

とても素敵な方ですね。



明石家さんまさん!

できれば生涯現役で

お笑い芸人を続けて欲しいですね!

コメント

0
コメントを投稿する

※ URLを入力すると、リンクや画像に自動的に変換されます。
※ 不適切と判断させていただいた投稿は削除させていただきます。

こんな記事も読まれています

関連する記事

PICKUP

ピックアップ

Ranking

ランキング

人気のキーワード

いま話題のキーワード