羽生結弦選手といえば、平昌五輪で66年ぶりの連覇を果たし
更に注目を集めることとなったフィギュアスケート選手
ネットでも今回の連覇達成に多くの声が上がりました
羽生選手 66年ぶりの快挙
五輪連覇
羽生結弦さん、あたらめて、五輪2連覇おめでとうございます。たくさんの感動をありがとうございました!!!!! #羽生結弦 #YuzuruHanyu https://t.co/c3cVgvmanv
keico フォローする 2018-02-25 13:55:15羽生君へ
オリンピック連覇おめでとう。
これから色々いそがしくなるね。
活躍すればするほど、色んな敵も待ち構えてるよ。
でもね、世界中のたくさんの人々が、応援しているよ、信じて。
羽生君、「負けんな!!」
あっそうそう熊本地震の時、お水ありがとうね、助かったよ!!
史上最高に美しいスワンでした。羽生さん、改めて金メダル、オリンピック連覇おめでとうございます。幸せを、感動をありがとう。
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羽生結弦選手は
「日本のフィギュアスケート発祥の地」
と言われる宮城県仙台市で育ちました。
そんな羽生選手の4歳年の離れたお姉さんが
スケートを始めた際
よく、お姉ちゃんについて行っていたという
お姉ちゃんがスケートを滑る姿を見て
自分もやりたい!っと思ったんだとか
本人の意思を尊重して、羽生選手もスケートを
始めましたが、両親にはもう一つの目的がありました
実は羽生選手
なんです。
フィギュアスケートは室内のスポーツの為
ホコリをあまり吸い込むことがなくなるので
喘息持ちでも負担が少なく行えます
両親の気持ちとしては、喘息を治す為
というのがあったようですよ
出典: www.asahi.com
出典: xxhuyuzero.jp
今となっては、羽生選手=フィギュアスケートのイメージが
強いですが、羽生選手は父親が野球好きということもあり
野球も大好き。
フィギュアスケートでつまづいたとき、野球に進もうか
悩んだこともあったそうです
羽生選手が野球に進んでいたら、今の羽生選手はなかったでしょう
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