出典: venus-news.com
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あなたは、日本のどこかに
『売り島』というものがあるのをご存じだろうか?
いわゆる男性が買い客としての“売り”である。
実は、その都市伝説化したうわさは本当に存在するようだ。
その島は、三重県の伊勢志摩国立公園内にある
『渡鹿野島(わたかのじま)』である。
平成も終盤に差し掛かった現代、
そのような不届きな場所が存在するのが
おかしいかもしれないが、今回はその一風変わった
“観光地”を掘り下げてみることとする。
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■人口はたった300人程度の小さな漁村
渡鹿野島(わたかのじま)は、
三重県志摩市(旧志摩郡磯部町域)にある島。
伊勢志摩国立公園内にある。
島の大半は志摩市磯部町渡鹿野
(いそべちょうわたかの)である。
郵便番号は517-0205。
人口は271人(2011年9月30日現在、志摩市調べ)
周囲約7km、面積は約0.7平方キロメートルを持ち
リアス式海岸の湾のひとつ的矢湾の奥に位置し、
的矢湾深部の外海から隔てられた島の西側海域は
波が穏やかな海面となっている。
そのため古くより荒天時の避難場所
風待港として使われていた。
島内の住所は大半が志摩市磯部町渡鹿野であるが、
一部に磯部町的矢の飛び地(小字間神・居森)がある。
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渡鹿野島は 100戸余り 海上神輿が終わると
街に繰り出し 各戸を回り 悪霊疫病祓いをする
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■風光明媚な島の主な産業は『観光』
観光が主な産業であるため2000年(平成12年)の
国勢調査に見られるように、島の人口の92%が
島内及び島外の宿泊・飲食業(第三次産業)に従事している。
海水浴やスペイン村の宿泊地として家族連れや
団体に利用されるとしているが・・・。
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風待ちの港として栄えたこの地で、
当時の賑わいを、そして旅の疲れを癒やすやすらぎを
楽しんでいただきたいとの願いで、
この湯は「風待ちの湯」と名付けられました。
日帰り入浴も可能ですので、海水浴の後にもおすすめ。
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■撮影にもよく使われていた渡鹿野島
古くは伊雑宮の神領であったとも言われ、
江戸時代には、江戸と大坂を連絡する菱垣廻船
樽廻船が増えたこともあり避難・風待をする
港としての重要性が高まった。
船乗りなどのための宿のほか、風待ちの船乗りを相手とした、
把針兼(はしりがね)と言われた水上遊女なども集まり、
遊郭街としても大いに栄え女護ヶ島といった
別名を持つこととなった。
史跡としては江戸時代に灯台に使われた石柱などがある。
1931年に俳優の上山草人が映画「唐人お吉」の撮影で訪れ、
島民と意気投合。
草人の別荘を建てる話がまとまり、
島から寄贈された大日山頂の別荘の門には、
谷崎潤一郎が書いた「草人漁荘」という竹の表札が掲げられた。
草人はこの島を東洋のモナコにすると意気込み、
と語ったが、門と亭のみで別荘は建たなかった。
第二次世界大戦中は島内に予科練の基地の
設置が計画された事などから、
激しい空襲にもみまわれた。
1954年にはこの島を舞台に、
伴淳三郎主演の「この恋!五千万円」
という映画もつくられた。
元警官が尽力した『売りの島』
発見!意外に知らない昭和史:
誰かに話したくなるあの日の出来事194
(歴史雑学探偵団 東京書店 2007年の123ページにあるとおり、
1971年に三重県警警部補が内偵特捜の捜査官として島に潜入し、
売春婦の女性と内縁となり諭旨免職される。
その後は島でスナック経営者兼売春斡旋者となっていたが、
1977年10月に実施された手入れで内妻とともに逮捕されて、
売春婦が保護されている。
このとき保護された売春婦は大半は家出少女などで、
借金付きで送られ売春をさせられていたという。
なお、この元警部補は出所後、島でホテル経営などに携わり、
島の観光産業の発展に尽力していく。
上記のような流れがあるものの、あまりにも『性産業』として
名高くなったしまった為、2013年9月、わたかの島観光協議会は、
志摩市や三重県警と連携し、
「性産業による島のイメージを無くし、健全な観光地を目指す」とした
「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」を出した。
と、しているが、果たしてその実情は・・・・。
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■往年の時代には一世を風靡したとも・・・。
渡鹿野島は、江戸時代以前より存在し、
漁業で賑わう島だったという。
江戸と大阪を結ぶ海路上にあることもあり、
船乗りたちが風を待つために立ち寄ることが多かった。
島の人々は、8人ほどが乗れる小舟「はしりがね」で
停泊する帆船に近づいて、娼婦が男たちの相手をすることから、
そのまま娼婦たちのことを「はしりがね」と呼んだそう。
島と対岸が船で埋まるほどの人の往来があったそうだが、
明治になると、蒸気船が登場し、風を待つ必要がなくなった。
娼婦たちは次第に姿を消していく。
多い時は島に350人ほどいて、一晩で何百万と
稼いだとされる渡鹿野島の娼婦は、現在は18人とされる。
ほとんどがタイなどの東南アジアの女たちだ。
彼女たちは、紛れもなく1970年代に現れた“
じゃぱゆきさん”の名残だ。
・ショート(2時間←置屋によっては50分とも。):大2
・オールナイト(23時から翌朝8時半まで):大4
・いかなる場合もディスカウントは出来ない。
・商談が成立したらその場でオールなら大4をやり手婆に支払う。
完全前金。
・宿を取っている場合、別途宿代がかかるが、2食付きで大1程度。
対岸の船乗り場との往復は旅館所有の船で送迎してくれるので無料、
駐車場も宿泊客は無料。
・宿を取っていない場合、民間の渡し船を利用。(片道150円/1人)
※夜間18時以降は別料金で最大500円まで上がるシステム。
対岸に駐車場がないため車で訪問の際は路駐する。
宿代はかからないがチェックインから23時まで時間を潰す場所がない。
夕食代も別途必要。
●桶屋
・置屋によって女の子の質も国籍も異なるが、
容姿レベルは総合的に下、年齢層も高く20代はほぼ皆無。国籍はタイが多い。
・それぞれの置屋によって得意分野が違う。
外国人しか置いていない置屋もある。
・つたや→峰席、青い鳥(日本人のみ)
・寿屋→樹々(カラオケスナック)
・福寿荘系→再会ビルのスナック南国(良質)
・浮島→恋の坂(純粋な二次会?)
●その他の注意事項
・最初に声をかけたやり手婆に斡旋の権利が発生する
という島のルールがあり、他の者は下手に動けない。
・旅館に宿を取っていても客室に女の子を呼ぶことはできない。
基本女の子のアパート兼プレイルームとなる部屋に泊まる。
・つたや系列だと宿泊は女の子の家ではなく近隣のビジネスホテル。
1階が置屋で3・4階の部屋がプレイルーム兼宿となる。布団ではなくベッド。
・宿を取っていない場合は必然的に民間の渡し船で島に渡ることになるため、
男性のみで乗船すれば黙っていても運転手のおっさんが声をかけてくる。
船着き場までの僅か3分ほどの間に島内のやり手婆と携帯で連絡を取り合い、
到着すると婆が出迎えてくれるという段取りの良さ。その間無駄な動き一切なし。
・23時(場合によっては22時)に姫が宿に迎えに来る、
それから姫とともに置屋に向かう。
・姫取りは早いもの勝ち、16時くらいに島に上陸し押さえた方がいい。
16時~23時は暇なので旅館を取ったほうが寛げる。
・殆どの旅館がコンパニオン宴会プランを取り扱っているが、
旅館が提供するのは宴会場での一次会まで、
二次会は外のスナックに移動。
客室にコンパニオンが入ることは原則禁止。
・渡鹿野島の2大旅館、1つはつたや、もう1つは福寿壮。
後者の系列は家族連れや女性客に人気で宿代も割高。
島遊びが目的で旅館を通すなら→つたや・寿屋が定番。
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以上が、都市伝説化したこの島の実情です。
どういった“目的”でこの島を訪れるかは個人の自由だが、
あまりにもその方面での名が売れているだけに、
いろいろ気を付けなければいけ事もあるだろう。
最後になるが、この島の観光ビデオがあったので載せておく。
こわいって聞きます