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秋の夜長に怖い話はいかがですか?「チョコレートのお礼」「禁じられたすべり台」他

どうして「禁止」なのか分かるまで、好奇心は尽きない…
2016/09/21 UPDATE
 
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4年越しに…

小学校4年生のころのことです。
学校の授業が終わってランドセルを家に置いた私は、家が近くて学年が二つ下の仲が良かった女の子と、近所の公園で遊んでいました。
まだ辺りは明るかったので、夕方3時~4時頃だったと思います。

いつものようにすべり台で遊んでいると学ランを着た男の人に「こんにちは」声をかけられました。
制服ではありましたが顔が幼かったので、高校生というより中学生のお兄さんだと思ったことを覚えています。
私たちが「こんにちは」と返すと、学ランのお兄さんは「○○中学校ってどこにあるかわかる?」と聞いてきました。

○○中学校は私たちの通っている小学校の生徒のほとんどが進学する中学校で、小学校から徒歩で10分圏内にあります。
直接行ったことはなかったのですが場所がなんとなくわかっていたので、「なんとなくなら知ってます」と答えました。
するとお兄さんは
「用事があるから行きたいんだけど場所がわからないんだ」
「君たち連れていってくれない?」
と言ってきました。

困っている人は助けなくてはいけない、という変な正義感をもとに私たちは「いいですよ」とそのお願いに答えることにしました。

三人で他愛もない話をしながら公園を出て並んで歩き始めたのですが、少しするとお兄さんが先頭になって私たちが後ろをついていくという順番になっていました。

「どうして道を知らないお兄さんが先頭を歩いているのだろう」
という違和感に気付いた瞬間から
「このまま誘拐されてしまったらどうしよう」
という恐怖が私を襲いました。
急に黙った私たちに気付いたのかお兄さんは「大丈夫?ちょっと小学校で休憩していこうか?」と提案してきました。

ちょうど目の前に小学校があったので、「ここなら先生もいるし安心だ」と思った私は「そうしましょう」と答えました。

小学校に入って座って少し話をしているとお兄さんは「友達になってくれる?」といって私のことを抱きしめてきました。そして全身を触り始めたので、勇気を振り絞って「嫌です!」といって友達の手を引いて逃げました。
走りながら後ろを振り返ってもお兄さんは追ってこなかったので、安心しつつもその日はまっすぐ帰宅しました。

しばらくはその出来事が頭から離れず、公園で遊ぶことは減ってしまいましたが時間が経つにつれてその時の恐怖感などは薄れていきました。

時が経って中学校一年生になった私は、テニス部に入りました。毎日部活があるので中学校を出るのはだいたい夕方の6時頃でした。
いつもは家が近い同じテニス部の子と帰っているのですが、たまたま一人で帰っていた日のこと後ろから「すみません」と男性に声をかけられました。
振り向くとなんとなく見覚えのある顔の学ランの男性が立っていました。

「○○中学校ってどこにあるか知っていますか?」

というその男性の言葉を聞いて鳥肌が立ちました。
見覚えのあるその男性は、小学校4年生のころに同じように声をかけてきて、小学校で抱きついてきたあの男性だったのです。

心臓がバクバクいっているのを感じましたが、周りには同じように部活帰りの生徒がちらほらいたので「わかりません」と無愛想に答え、早足で歩きだしました。
少しして恐る恐る振り向くと、その男性は私と逆方向に歩いていました。

男性は私のことを覚えていなかったかもしれませんが、4年越しで同じ男性に同じ手口で声をかけられたことにはゾッとしました。
そういった変質者が出たという話は聞かなかったですし、その後出くわすことなく過ごせているのは救いですが…怖かった体験でした。

狐目の男

小学生の頃の話です。私はピアノ塾に通っていました。
その当時、通り魔事件が多発していたこともあり、行き帰りは母と一緒でした。

ピアノレッスンへ行こうとしたところ、私の自転車がパンクしていて運転が出来ないため、その日は母の後ろに乗って行く事にしました。
レッスンを終えて迎えにも来てもらい、母とのんびり帰宅していたら、前からもの凄い早さで自転車を漕いでくる男がいました。
それまで会話をしていた私と母は何かを察知し、無言で自転車のスピードを早めました。

すると男は私達とすれ違った瞬間、急ブレーキをかけ急に方向転換し、元来た道を戻り出しました。つまり、私達を追う状態になっているのです。
得体のしれない恐怖に母は必死で自転車を漕いでいました。
私も黙って後部シートに座っていましたが、怖くなりながらも振り返って後ろから迫ってくる男を見ました。
すると、ハンドルを握る手にはアイスピックの様なドライバーの様な物を持っている事に気づきました。思わず母の服を握りしめました。

男の漕ぐ自転車の速さは女の母が漕ぐそれより断然速く、今にも追いつきそうでした。
しかし突然、母が近くの駐車場に入りました。

私は母の行動の意味がわかりませんしたが、駐車場に入るとちょうどトラックの運転手さんが降りて来て私達の側へ来てくれたのです。
運転手さんは、私達の背後から迫ってくる男の元へ寄って行きました。運転手さんを見た男はまた方向転換をし、逃げて行きました。
運転手さんは私達の所へ戻り「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました…。

どうやらただならぬ様子に気づいて降りてきてくれた様で、母はお礼を言い、私を連れて帰路につきました。

男の顔は目が釣り上がった狐顔でした。一瞬しか見ていないのに今でも覚えています。

後日、学校のチラシに通り魔事件の犯人の顔が出ました。その男は紛れもなく私達を追ったあの男でした。
その男は公園で何人もの男の子を桐で刺して捕まったそうです。私が見たアレは桐だったのです。

もし私がパンクした自転車のままレッスンに行っていたら、もしかしたら被害者は私と母だったかもしれないと思い、ゾッとしました。
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定年直前のIさん

私が勤めている会社には、50代でとても仕事熱心な方がおられました。
仮にIさんというふうに呼ばせてもらいますが、Iさんは年をとられてから課長になられたので、すごく張りきって仕事をしていました。
平日は遅くまで仕事をして、休日も出勤して仕事をするという具合です。

会社は地方に工場があるため、課長になるとその工場に移動することはよくあります。
Iさんも仕事ぶりを評価されて、地方勤務の単身赴任になりました。
赴任先でも仕事に対する情熱には変わりなく、以前にも増して仕事をこなすようになっていました。
しかし激務の影響かわかりませんが、Iさんは体調を崩してしまい1ヶ月ほど入院することになりました。ところが入院しているのにもかかわらず、休日には会社に出勤して仕事をしていたそうです。
黙って出勤していたそうですが、たまたま会社にいた人が見かけたので問題になり、注意したもののそれでもやめないで休日に出勤していたそうです。

さすがに会社も黙認してはいられなくなり、退院すると地方工場ではなく元の職場に復帰させました。
Iさんは移動にがっかりしたそうですが、家族の説得もありやむをえず受け入れたそうです。
会社にでられたIさんを見ると、顔や体がパンパンになっていました。薬の副作用らしいのですが足つきもおぼつかなくなっていたので、さすがに仕事を控えるのかなと思っていたのですが…やはり変わらず熱心に仕事をこなしていました。
Iさんは退院してからも何度か短い入院を繰り返していたそうですが、それでも休日には無断で会社に出勤することを続けていました。
するとその頃からおかしな噂が流れてきました。

それはIさんは入院しているはずなので、実は休日に出勤しているのは別の人ではないのか、というものでした。

実際に休日出勤していた人がIさんを見かけたのだが、普段は気軽に会話を楽しむのにもくもくとパソコンを操作していて、様子が違うと周りの人が言っているのは聞いていました。
しかし私も会社周辺で車を運転しているIさんを見ていたので、恐らく本人なのだろうとあまり気にしていませんでした。

そうこうしているうちに、Iさんの定年である6月が近づいてきました。そこで職場の人達と退職祝いを何にしようかと考えていた矢先、Iさんが亡くなられたという訃報がはいってきました。
実はIさんは半年ほど前から、もはやほとんど立ち上がることができないほど病気が進行していたらしいです。
この事実を知り、職場は少しパニックになりました。

ではあの休日に見かけていた人は誰だったのか?
実際に目撃した人の話では、それは確かにIさんだったと言います。
しかしIさんは、もう半年ほど寝たきりの状態だった…。
あれほど仕事熱心な方でしたから、きっと退職するまでしっかり仕事をしたかったのかな…なんてみんなで話ながら、不思議なこともあるものだとその時は思いました。

そしてIさんが亡くなられてから1ヶ月ほど後、仕事が忙しくなり私も休日出勤することになりました。
平日とは違って職場には私以外誰もいないので、自由気ままに仕事をこなしていてふとトイレに行こうとした折、デスクに見慣れたシルエットが見えました。
まさか…と思いつつ近づいてみると、げっそり痩せたIさんがそこにいました。

私が最後に見かけたIさんはパンパンの顔をしていたので、まるで別人のようでしたが確かにそれはIさんでした。
しかし、Iさんは既に他界しているので目の前にいるはずがありません。
私はふいに訪れた恐怖で思わず立ち止まってしまいました。心臓が飛び出るとはこういうことかと実感しました。
しばらく目を離せないでいると、Iさんは私の眼の前を横切って休憩所の方に移動していきました。
それを見届けた私は仕事もそっちのけで逃げるように帰宅しました。

その後、私は怖くて休日出勤することは断固として拒否しています。
亡くなってからも仕事に打ち込むなんてIさんらしいですが…あの痩せこけた表情は今でも忘れることができません。

チョコレートのお礼

ある雨の日、小腹が空いたのでコンビニに食べ物を買いに行った。
以前は自炊だのなんだのと張り切っていたが、一度自堕落な生活に慣れてしまうと毎日自分のために飯を作るよりも、一食ごとに買いに行った方が楽だと感じるようになってしまう。
実際後片付けしなくて良いことを考えると、楽なんだけどな。

雨の日を嫌う人は割と多いが、逆に好きな人もいると思う。
私も雨の日は好きで、朝目覚めた時に雨音が聞こえていると浮かれた気分になる。

いつものコンビニでおにぎり数個とお茶、あと今流行の妖怪ナンチャラが出している、チョコ菓子を数本買った。
それまでにも何度か買っており、なんとなく気に入って食べている。
水たまりを避けながら、すっかり綺麗になったゴミ集積所を通り過ぎ、自宅への道を急いでいると前方の水たまりに何やら黒い物が蠢いているのに気付いた。
動物の飛び出しが多い地域なので、イタチか何かの死骸かと思って素通りしようとするも、そうではないようだった。

気になると確かめずにはいられない。
この好奇心がいつか命取りになる様な気がしないでもないが、迷いなく水たまりに近寄った。

一掴みの粘土のような物が、水の中で鈍く動いている。
以前に動画で見た水銀のようにも見えるが、それは黒色をしており、表面はドロドロしたような印象を受けた。
近くに落ちていたアイスの棒でつつくと、塊の中から細かな触手のような物が数本出て来て、しばらくアイスの棒を触っていると急に音を立てて棒が折れた。
おお怖い。

怒らせたかなと思い、ご機嫌取りのために例のチョコ菓子を与えてみた。
包装をといて、チョコ菓子の部分を黒いのに押しやると、棒の時のように触手が現れしばしチョコを触ると、固まり全体が一本の触手になりチョコを持ち上げた。
そしてガリガリと音がして、塊に触れている箇所からチョコが小さくなっている。

食ってるのか?

しばし見ていると、チョコはすっかりなくなり、触手は物足りなさそうにしている。
もう一本食うかと与えてみると、今度は警戒せずにチョコを受け取り、またガリガリと食べた。

ちょっと可愛いなと思い始めた頃、チョコを食べていた箇所と思われるところから、ぶっと何かを吐き出してきた。
手に取ると、六ミリほどのくすんだ赤色の丸いビーズの様な何かで、金属のようでもあり、粘土のようでもあり、ガラスのようでもある。
触手はウネウネと身を捩ると、そのまま地面に溶け込んでいった。

何だかよく分からないが、奴なりのお礼だろうと解釈してもらっておいた。今では加工してピアスになっている。
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Aさんの呪い

学生時代にあった、漫画のようで本当の話です。
私の仲良しのグループに、ちょっと変わった人がいました。
Aさんは、絵を描くのが好きな人でそれはいいのですが、ストレスが溜まると人間がロープで吊られている絵とか、手首とかだけで血が流れている絵とかを楽しんで書いているのです。
なんか妙に怖い人だな…と思いましたが、普段は可愛い感じでニコニコしていて人当たりが良く、いい子って感じの人なので、ま~こういう一面も人間だからあるよな、くらい思ってました。

ところがある日、そのAさんとちょっとした誤解で仲たがいをするようになりました。
私も誤解を受けた一人でしたが、もう一人の友達のほうが激しく喧嘩をしてしまったのです。
そしてその日から事が始まったのです。
私が翌日の朝起きてみると、喉の調子がどうもよくないのです。
朝食を取ろうとすると、まるで喉に大きな魚の骨のようなものが突き刺さっている。そんな感触を受けました。

なんだろう、別に風邪を引いているわけでもないし。
変だな…と思いながらも、食事が喉を通らなくてそのまま学校に行きました。

登校する途中で、もう一人の喧嘩した友達に会ったのですが、大変しんどそうな雰囲気でいるのです。
どうしたんだと聞いたところ、昨日一晩中せきが出て眠れなかったとのこと。
風邪でも引いたのか?っと聞いたのですが、イヤそうじゃないというのです。

教室に着いてみると、喧嘩した相手のAさんが席に座っていたのですが、目の下が真っ黒になってクマが出来ていました。
一体どうしたんだろうと思って見ていると、彼女が近づいてきて

「私、昨日あなたたち二人のわら人形作って庭の木に釘さしてきた」

と無表情で目の焦点も合っていないような状態で言ってきました。
私達は言う言葉なく青ざめて、その場を逃げるように立ち去りました。

改めて私たち二人に起きた不思議な出来事を思い出してみると、お互いに喉の不調を訴えています。原因はわかりません。
でも「わら人形なんて…」と思い馬鹿にしていましたが、もしかしたら本当に効果があって私たちの身に異変が起きているのでは…と思うとなんだかゾッとしました。

幸い私の異変は数日でなくなったのですが、恨みを深くかっていた友達の方は、原因不明の咳で大分長いこと悩まされてました。
その後まもなく卒業となる予定だったので、静かに時を過ごしましたが…Aさんとは二度と会おうとは思えないですし、もう関わりたくないなというのが正直なところです。

禁じられたすべり台

小学校低学年の頃の話です。
その頃の私はいわゆる鍵っ子で、家に帰っても誰もいない寂しさから、いつも夕方遅くなるまで学校に居残って遊んでいました。

たいていは友達といっしょに運動場でボール遊びをしたりしていました。
それでも4時半くらいを過ぎると友達はみんな帰ってしまいます。
運動場に誰もいなくなると、私は遊具を一通り遊んでから帰ることにしていました。

鉄棒、ブランコ、うんてい、のぼり棒。そして最後がすべり台でした。

そのすべり台はちょっと変わった形をしていました。
ハシゴを上りきったところからV字に分かれて、すべり台が2本ついていたのです。まるで鼻が2本あるゾウのようにです。
2人の子供が同時にすべるように作られたはずですが、実際にすべることができたのは、左のすべり台だけでした。
右のすべり台はベニヤ板でふさがれ
「たちいりきんし」
の紙が貼られていました。

先生の話によると
「すべり台にトゲがあって、ケガをした子がいるから」
とのことです。

けれど「してはいけない」といわれると、やってみたくなるのが子供です。
夕暮れ時、みんな家に帰ってしまって、運動場には私ひとり。
今なら誰も見ていません。
私は好奇心をおさえられませんでした。
ドキドキしながらベニヤ板をのり越え、「たちいりきんし」のすべり台をすべっていきました。
すべり台ですから一瞬で下に着くはずです。
なのに、なんだかいつもより長いような気がしました。

「あれ?」
と違和感を感じた次の瞬間、すべり台の脇から、大きな赤い顔がでてきて
「ぐあああああ!」
ものすごい声をあげて襲いかかってきたのです。

何が起こったのか、正直ワケがわかりませんでした。
ただとにかくびっくりして、地面に着くと走ってすべり台から離れました。

赤い顔はすべり台の脇にいて、ちょうど大人の顔の高さにありました。
だけど大人の顔よりずっと大きくて、人間の顔ではありませんでした。
赤くて大きい、今思えば獅子舞の獅子のようなナマハゲのような…とにかく鬼のお面のような、そんな感じだったと思います。

誰かが私をびっくりさせようとして、オバケのお面をかぶって出てきたのかと思って足元を見てみました。
だけどどうみても、その赤い首の化け物は宙にふわふわ浮いていました。
そして次の瞬間、その化け物は私を追ってきました。ふわふわ浮かんで上から追ってくるのです。

私は怖くて走って逃げました。
後ろからは
「ぐあぐあ」
という声が聞こえてきます。

「先生!先生!」
と呼びながら校舎にむかって走り、職員室に助けを求めようとしました。
ところが不思議なことに校舎には鍵がかかっていて、入ることもできません。校門も閉まっていました。
校舎をぐるっと逃げ回る間も、ぐあぐあ言う化け物はゆっくりですが、確実に私を追ってきます。
赤い口はばくばく開いて、よだれをたらしています。

私は泣きわめいているのに誰も助けてくれません。というか、私とその化け物以外に人の気配がないのです。
そして校舎に入ることも校外に出ることもできません。
どうしようもない事態に、私はこのまま化け物に食べられてしまうんだ…と考え始めました。

走って走って、汗と涙でぐちょぐちょになりながら、私はもとの運動場に帰ってきました。
そして、あのすべり台に上りました。
なんとなくですが、またそのすべり台をすべれば元に戻るのかと思い、さっきとは逆の、左側のすべり台をすべり落ちました。
立ち入り禁止じゃないほうのすべり台です。

すべり台をおりると、何かが変わった気がしました。
重苦しい空気に流れが出たというか…不思議な感じがしました。

振り返ると、赤い化け物はいなくなっていました。
校舎にはちゃんと入れて、職員室には先生もいて、校門も開いていました。

そしてその後、さらに不思議な事が起こりました。
なんと2つついていたはずのすべり台が、1つになっていたのです。

私は友人にも先生にも「あのすべり台って2つあったよね?」と確認したのですが、皆口を揃えて最初から1つだったと言うのです。
確かに誰がどう見ても、すべり台は一つしかすべり落ちる所がありません。
ですが、私の記憶では間違いなく2つありましたし、友人と遊んで「たちいりきんし」の紙や板も確認した記憶があります。
先生もそのすべり台のたいちりきんしについて、説明していました。
そして何より、あの赤い顔との恐怖体験は、今でも鮮明に記憶しています。
なのに私以外、誰もすべり台が2つあったことを知らないのです…。

この記憶や体験が何だったのか今でもわかりませんし、自分の思い違いだったと深く考えないようにしています。
ですがこれが私の幼い頃の一番怖い思い出です。

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