40台以上の方は、記憶あるのではないでしょうか。
♪よんよんまるまる わんわんわんツカサーのウィークリーマンション
バブル時代には、このフレーズが頭から離れない位くらい連日CMが流されていた、ツカサグループ。
「爆報!THEフライデー」に出演し、資産3000億ともいわれた成功からの転落人生を語りました。
40台以上の方は、記憶あるのではないでしょうか。
♪よんよんまるまる わんわんわんツカサーのウィークリーマンション
バブル時代には、このフレーズが頭から離れない位くらい連日CMが流されていた、ツカサグループ。
「爆報!THEフライデー」に出演し、資産3000億ともいわれた成功からの転落人生を語りました。
出典: waseda-links.com
元社長の川又氏の実家は、地元の小さな不動産屋であった。その為か、それなりの資産のある裕福な生活を送っていたようだ。
彼は高校卒業後、アメリカに留学をしていたが、父親が病で倒れたのを機に帰国。
その後、他社で働くも母親のもとで仕事を始め25歳で社長に就任する。
当時は木造アパートがメインで、老朽化が進み、流行の兆しを見せていた新築ワンルームマンションに客足を取られていた為、経営は思わしくなかった。
そんな状況を変えるために、大勝負に出て始めたのが、家具付き短期契約の賃貸住宅だった。しかし、これは旅館業法違反と指摘されため、一週間以上貸し出すという日本初のウィークリーマンションが誕生したのだ。
老朽化したアパートを改築し始めたこの手法が、長期出張のサラリーマンや地方からの学生を中心にヒットする。
その状況を見ていた銀行から、
『ワンルームマンションとして建築中の物件90室を丸ごと買わないか』と持ち掛けられ10億の借り入れをし購入。
これを機に、この後のバブルに乗り全国に4000室、借入金1500億とパンパンに膨らんでいく。
当時の彼の自宅は、渋谷の一等地に7LDK、23億の物件という大成功者。さらに、ハワイ、伊豆、苗場、水上などに別荘も構えるなどしていた。
ところが、1990年3月に当時の大蔵省が、地価高騰の対策として不動産業への貸し出し規制を通達したことで、一気に窮地に追い込まれた。
1500億あった借金はそのままに、3000億の資産は10分の一まで激減してしまった。
今度は手のひらを返した銀行から、『何でこんなに借りたんだ』『どうやって返すんだ』と貸しはがしに。
そして、銀行の取り立てと共に経営は火の車になってしまう。そんな中、彼本人も脳こうそくで倒れてしまうのだ。
その後、20年以上にわたり借金を返済しながら会社を運営してきたが、リーマンショックで完全に倒産となった。
会社790億、個人830億を抱え2010年に自己破産した。
ピーク時23億の豪邸生活から、現在は福島県の猪苗代で築45年、2.5万の一軒家で生活をしている。
成功と転落、天国と地獄、すべて紙一重なんですね。しかし、死ぬことなく再起を誓う元成功者たちは、いつになってもチャレンジャーとして輝いて行ってほしい。
やり直しという、最大の武器を手に・・・。
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