福田和子の最初の逃走資金は60万円程度で
福田和子は金沢市内で仕事を探したようだが
30歳という年齢が原因で
飲食店関係への仕事へ就くことはできなかった。
だが、福田和子はスナックに飲みに行くようになり
そこの経営者が情深い方で
福田和子を雇った。
雇われた2日後に
福田和子は整形の為に
上京し整形手術を受け
店に戻った。
そして、そこで和菓子屋の店主と知り合い交際をスタートさせ
内縁関係になった。
ここに福田和子は実の子を親戚の子と言い
和菓子屋に呼び寄せて
和菓子屋で働かせていた。
その3年後に福田和子の指名手配所が全国に張られるようになった事で
和菓子屋の家族も福田和子の素性を疑うようになり
警察に通報した。
福田和子が知人の通夜の手伝いをしている際に
金沢県警が急行したが
福田和子は警察の動きを察知したようで
自転車で逃走した。
自転車で名古屋市内まで逃走し
ラブホテルで住み込みの客室係として採用され働き始めた。
だが、そこの同僚が免許証の更新に警察署に行った際に
福田和子の指名手配所を見て
福田和子本人に自首を勧めた事がきっかけで
逃走。
別のラブホテルへの面接にも行ったが
名古屋を離れ福井市に現れ、求職し住み込みでホステスを始めた。
1992年大阪市内の売春宿に移るが、すぐに辞めてしまった。
時効までの15年近く日本各地を転々としていた福田和子。
潜伏生活の中で最も大胆だったのは
石川県根上町の和菓子屋の後妻(婚姻せず。事実上の内縁関係)
の座に納まっていたことである。
福田和子は非常によく働き接客も得意だったことから
福田和子がきてから店は繁盛するようになっていたそうだ。
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