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介護施設で暮らすある老人が残したメッセージ…介護の在り方を問うほど深い。。。

2018/07/13 UPDATE
 
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介護施設にいた1人の老人

どんな人でも、やがては迎える老い。

自分が、また家族が、どんなふうに歳を重ねていくのかを、いずれは考えねばなりません。

最後まで家族と家で暮らしたいと思う人もいれば、施設などに入り、家族の手を煩わせないようにと思う人もいるでしょう。

最近では、早いうちからマンション型の介護施設に入り、いざという時に備える高齢者も増えています。

しかし、住み慣れた場所から離れ、一人で施設に入り、孤独を感じる人達もきっといるでしょう。

マック・フィリザーさんは、介護士や施設のスタッフから「愚痴の塊」と呼ばれる男性でした。

スタッフ達から手がかかると思われていたマックさんですが、亡くなってから、彼の部屋から一通の手紙が発見されたのです。

発見された手紙

施設スタッフから「愚痴の塊」と呼ばれていたマックさん。

しかし、彼の死後、部屋から見つかった手紙がありました。

それは、現場のスタッフ達の在り方をも考えさせられる内容でした。

「介護師さん、何が見えますか?私を見るとき、何を考えますか?賢くもない気難しい老人で、行動が読めず、いつも遠くを見つめてる。食べ物をこぼし、返事もしない。「頑張ってみましょうか?」と大きな声であなたは言う。あなたがすることには何も気づかない様子で、いつも靴下や靴を失くしている。抵抗され、意に沿わない。今日は入浴もある長い日だっていうのに?何を考えているのですか?何が見えます?目を開けて見て下さい、介護師さん。あなたは私を見てない。あなたの指示を聞きながら、食べさせられながら、じっとここに座りながら、私について少し話してみよう。私は10歳の子供だった。父と母、兄弟姉妹と共に愛されて育った。私は16歳の少年だった。足取りは軽やかで、いつか出会う愛について夢見ていた。私は20歳の新郎だった。心を躍らせ、愛を誓い、必ず幸せにすると約束した。私は25歳の父親だった。子どものために、安全で幸せな家庭を守った。30歳。子どもたちが成長し、絆は固く、永遠に続く気がした。40歳。若い息子たちが巣立ち、寂さは、妻が埋めてくれた。50歳。孫に足を掴まれ、妻と私は再び子どもとの生活を始めた。そして失意に耐える日々がきた。妻が亡くなった。未来を思い、私は不安に怯えた。子どもたちはその子どもたちを抱え、私は過ぎさった年月と愛を、懐かしむようになった。今の私は老人だ。自然は残酷で、老いた者を愚かに見せる。体は壊れて、気品と活力が失われ、心のあった所には、今は石がある。でもこの体には、若い男がまだ宿っていて、私のすでにボロボロな心は、何度も気持ちで溢れそうになる。過ぎた幸せや、痛みを思い出すことで、再び人生を愛し、生きることもできる。そして、あまりにも短く、あっという間に過ぎていった人生を振り返りながら、永遠が存在しないという厳しい現実を、受け入れようとしている。だから目を開いて、見てください。気難しい老人じゃない。見てください、私を!」

(ここで改ページします)

高齢者の心の中に

高齢者の心の中には、10歳の時の子どもも、16歳の少年や少女も、そして青年の自分自身も存在しています。

気難しい老人がそこにいる、と思ってしまいがちですが、心の中にはさまざまな年齢のその人がいつまでも居続けるのです。

高齢者との接し方は、時に難しいこともあります。

しかし、尊敬の思いを忘れずに、コミュニケーションをとっていきたいですね。

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