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上祐史浩が逮捕されない理由!現在はひかりの輪の代表

上祐史浩はなぜ逮捕されないのでしょうか。現在はひかりの輪の代表をしているようです。
2018/07/07 UPDATE
 
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上祐史浩のプロフィール

本名:上祐史浩
生年月日:1962年12月17日
出身:福岡県三潴郡城島町
ホーリーネーム:マイトレーヤ
ステージ:正大師
役職:外報部長、緊急対策本部長
オウム入信:1986年
関係した事件:亀戸異臭事件
国土利用計画法違反事件

上祐史浩さんは日本の宗教家

ひかりの輪代表でアーレフ(旧オウム真理教)の元代表です。

1962年12月17日

福岡県久留米市で銀行員の父と元教師の母の間に生まれました。

現在55歳となります。

最終学歴は早稲田大学大学院理工学研究科修士課程を修了しています。

オウム真理教信者としての名前はホーリーネームというのですが

そこでの名前はマイトレーヤだった上祐氏。

堪能な英語力と口八丁で巧みに詭弁を弄することから

「ああいえば、上祐」と世間を賑わせてくれました。


オウム真理教時代でもその雄弁さから

幹部の中で唯一麻原彰晃に「NO」といえるのは上祐氏だけだったそうです。

後にロシア支部長に赴任するのですが

このことが災いしての左遷とも噂されていました。

上祐史浩の現在

上祐史浩さんは現在

宗教団体「ひかりの輪」の代表を努めています。

「ひかりの輪」は2007年5月に設立しメンバー数は200人とされています。

その活動は宗教団体と言うよりも"仏教哲学サークル"に近いものとなっています。

不定期で「哲学セミナー」等をUstreamで動画配信しています。

上祐氏がオウム真理教とは完全決別している思想の元結成された教団のようです。

以下にざっくりまとめます。

◆ひかりの輪

ひかりの輪は、麻原・オウム信仰を脱却し、事件を謝罪して、被害者団体と賠償契約を正式に締結し、定期的な経済報告をしつつ、その実行に努めています。

また、松本サリン事件の被害者の河野義行氏らを招いて外部監査委員会を設置し、活動を定期的に報告し、その監査・指導・助言を受け、広報活動を含め、外部社会との融和に努めています。発足以来5年の間、団体の活動で摘発されたことは一切なく、さらには、下記のアレフの洗脳教化などの違法行為の告発・解決に努めています。

また、団体規模も、出家者は25名と小規模で、その中には、多数の高齢者・精神病患者が残っており(詳細後述)、その支援に努めています。また、一般会員を含めても、会員総数は180名で、入会を強調しない方針で、会員数は増えていません。

団体の性質も、特定の教祖・神を信じる宗教団体ではなく、盲信を否定した宗教学習センターのようなもので、入会しなくても学べる、新しいタイプの宗教の学びの場を提供しています。団体の思想や活動のお知らせは、こうした団体のHPや、ネットで所属と実名を明かした指導員が行っており、覆面布教は行っていません。

とまあ、しっかりと決別宣言をしています。

現在では、オウム真理教の被害者と会を代表しているのもなかなか驚愕ですが。。。

上祐史浩が逮捕されない理由!

上祐史浩さんがオウム真理教の幹部であったにもかかわらず

今では宗教団体のひかりの輪を創設し代表にまでなっている身。

なぜここまで自由な生活ができるのか?

なぜ逮捕されないのか・・・その理由は、

死刑事件に関与していない

これが本当の理由です。

上祐さんが逮捕されなかったのは意外と単純な理由なのです。

例えば、オウム真理教が起こした事件として残虐ではありますが

これまでこれだけの事件がありましたよね?


※ 坂本堤弁護士一家殺害事件
※ ’90年の総選挙
※ 地下鉄サリン事件


この中で関与している事件たるものは、上祐氏は実は一つもないのです。



唯一逮捕された事件として

熊本県波野村の土地取得をめぐり

国土利用計画法違反事件で1995年10月7日逮捕

偽証と有印私文書偽造・同行使の罪で10月28日に起訴されています。

裁判では懲役3年の実刑判決を受け

広島刑務所に収監されました。

教団のベースキャンプを熊本県波野村に設けようとしていたようで

法外手法に手を染めて逮捕に至ったそうです。

罪は罪であれ、他の残虐犯罪に関与していないのは事実のようです。

17年経った2012年の報道取材の一部で

猛毒サリンの製造やロシアに度々訪問し武器調達をしている教団の水面下の動きは陰ながら認識していたようです。

もしここで止められていたのなら…..そう思います。

また、坂本堤弁護士が殺害される前にも

教団活動に反対する両親の元に帰るべきという

坂本堤弁護士の主張を退ける交渉には関与していたようですね。

ただ、ギリギリ自分の手を染めるようなことはしていない。

自ら手を染めるようなことには加担しないものの

教団が起こしてしまった事件

殺戮は事実として認識していたようです。

こうした流れの中

自身の逮捕を機にオウムとは思想の違いがあり

自ら決別を決意したのです。

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