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中川智正の生い立ち!坂本事件に関わったオウム信者の末路!

中川智正は坂本事件に関わった一人だ。 そんな彼の生い立ちを調べてみた。
2018/07/06 UPDATE
 
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坂本堤弁護士一家殺害事件

坂本堤弁護士一家殺害事件

場所 神奈川県横浜市磯子区

日付 1989年11月3日 - 11月4日

攻撃手段 窒息

死亡者 3人

犯人 麻原彰晃率いるオウム真理教徒ら

岡崎一明・村井秀夫・新実智光・早川紀代秀・中川智正・端本悟

動機 教団を批判する弁護士の殺害

坂本堤弁護士一家殺害事件(さかもとつつみべんごしいっかさつがいじけん)は、1989年(平成元年)11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士であった坂本堤(当時33歳)と家族の3人を殺害した事件である

中川智正とは!?

生年月日:1962年10月25日

最終学歴:京都府立医科大医学部

ホーリーネーム:ヴァジラティッサ

役職:法皇内庁長官

地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):師長


オウムに出家してからの人生は、教団の犯罪の歴史と重なり合う。

中川智正死刑囚の死刑を執行

地下鉄サリン事件などで殺人などの罪に問われ、死刑が確定したオウム真理教の元幹部・中川智正死刑囚(55)の死刑が執行されました。


 中川死刑囚は坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件、地下鉄サリン事件など、オウム真理教による11の事件に関与したとして殺人などの罪に問われました。裁判では「麻原のマインドコントロール下にあった」と責任能力を否定しましたが、一審、二審で死刑判決を受け、2011年に最高裁で死刑が確定していました。




中川死刑囚は元医師で、坂本弁護士一家殺害事件では実行役、地下鉄サリン事件ではサリンの製造に関与しました。



平田信受刑者や高橋克也受刑者の裁判に証人として出廷した際は「誠に申し訳ない」と被害者に謝罪しました。法務省は今年3月、中川死刑囚を東京拘置所から広島拘置所へ移送していました。オウム真理教による一連の事件を巡って死刑が執行されたのは4人目となります。

中川智正の生い立ち

地元・岡山県の名門高校から京都府立医科大学へ進学。在学中は柔道部で活躍し、5年生の時は学園祭の実行委員長を務めた。車いすのボランティアを6年間続け、学園祭では車いすを押して会場を回った。正義感が強く心優しい青年――そう評価する声が多かった。



オウムとの出合いは、医師国家試験を間近に控えた6年生の冬だった。冷やかし気分でオウムの道場を訪ねたとき、早川紀代秀死刑囚に瞑想を勧められてやってみると、光が体を通り抜け、あたりが真っ白になるような「神秘体験」をした。



 その日から、オウムの道場に通うようになった。



「道場に行かんと体に力が入らん」




 周囲にはこう語っていた。

 卒業後は道場に通いながら、大阪鉄道病院に研修医として勤務したが現場に適合できず、1年余りが過ぎた1989年8月に退職。

「人のために尽くしたい」と、出家してオウム真理教付属病院の顧問になった。



 出家の約2カ月後、坂本弁護士一家殺害事件の実行役に選ばれる。

 弁護士の寝室に入り、他の実行役が夫妻を攻撃するのをしばらく見ていると、足元で幼児が泣き始めた。




「子どもをなんとかしろ」と自分の心臓から声が聞こえてきたため、タオルケットで口のあたりを押さえると、幼児の泣き声はやみ、動かなくなった。続いて、隣で手間取っていた村井秀夫に代わり、夫人の首を絞めた――。



 公判での供述によれば、殺害はこんな様子だったという。人を殺めたにもかかわらず、「息が聞こえるくらいの近さに麻原氏がいるという一体感を感じてうれしかった」という。




 その後、麻原の主治医となり、麻原と家族の世話をする法皇内庁の長官になった。同時に、松本、地下鉄サリン事件や信徒殺害事件、仮谷さん逮捕監禁致死事件など教団が犯したほとんどの凶悪事件にかかわった。起訴された事件は、麻原の13件に次ぐ11件で、死者は26人にのぼった。



 裁判では、ほとんどの信徒が、麻原の指示に抵抗を感じても服従するしかなかったと語る中、積極的に加担したと認めた。事件に関与するたび、「神秘体験」をしたと繰り返し主張した。




 当初は麻原を「尊師」と呼んでいたが、「正確な証言をするのに、言葉に引きずられたくない」と、途中からは「麻原氏」と呼ぶようになった。麻原の裁判に証人として出廷した際は、



「サリンを作ったり、サリンをばらまいたり、人の首を絞めて殺したりするために出家したんじゃない」

 と、証言台に突っ伏して泣き崩れて訴える一方、こうも言った。



「麻原氏のせいという気持ちはない。確かに教祖である麻原氏がいなければ事件はなかったが、私たちがいなければ事件はなかった」



 最高裁の判決前には「どうして事件が起こったのか、明らかになっていない」とコメントを出した。2011年11月、死刑が確定した。

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