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大迫勇也子供時代が半端ない!恩師が語るエピソード!

大迫勇也子供時代がやばすぎた! 周囲とは比べ物にならないほどの選手だった!
2018/06/21 UPDATE
 
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大迫勇也とは

1990年5月18日

出身地 鹿児島身長/体重 182cm/71kg所属クラブ名 ベルダー ブレーメン



所属クラブ履歴 加世田市(現南さつま市)スポーツ少年団-

鹿児島育英館中学校-

鹿児島城西高校-

鹿島アントラーズ-

860ミュンヘン/ドイツ-1.FCケルン/ドイツ



主な経歴 14W杯主な

個人タイトル 13Jリーグベストイレブン、11Jリーグ杯MVP

A代表出場試合数 29

A代表得点数 7


日本代表・大迫勇也は“半端ない”負けず嫌いな性格らしく、その才能はW杯でも発揮された!

大迫勇也子供時代

大迫は3歳の頃から兄の影響でサッカーを始め、小学5年生で体のことを考えて炭酸飲料を飲まなくなるほどストイックだった。この頃の練習中に、「誰にも負けたくない」とリフティングを1時間続けコーチから「もうストップ」と言われたこともあるという。



 鹿児島育英館中でFWとして頭角を現し、鹿児島城西高1年生の時にはU-16日本代表に選出された。3年の時、2009年全国高校サッカー選手権で大会最多の10得点を記録したが、決勝で広島皆実に2-3で敗れ準優勝に終わった。



 その時に「いくら点を取っても決勝で勝たないと意味がない。点を取れる場面がたくさんあったけど決められなかったのは自分の力不足。自分は苦しいときに点を取れないFWだ」と悔やみ、表彰式で受け取ったメダルをすぐに外してしまったという。



 「ミヤネ屋」で解説した元代表FWでサッカーコメンテーターの武田修宏氏(51)は「これくらいの負けず嫌いじゃないとやっていけない」とコメントした。

大迫勇也の恩師が語るエピソードも凄い

鹿児島城西高等学校の小久保悟監督が、大迫勇也選手を初めて見たのは、彼が小学校6年生の時だった。提携校である鹿児島育英館中学校にサッカー部が新設され、その第一期生のセレクションに大迫選手が参加していたのだ。

その時、小久保さんは、それほど大きなインパクトを受けたわけではない。

「そんなに大きくはなかったですし、他の選手に比べて技術がずば抜けているわけではなかったです。ただ、ゲームをやらせたら点をたくさん取るので、面白い子がいるなという印象でしたね」

同時に小久保さんは、こうも思ったという。「この子は、まだまだ伸びしろがたくさんあるな」と思われていたそうです。



ひとりよがりなプレーが目に付くようになってきて、周りが見えない時期があったようだ。



「このままではダメになるぞ。もう少し周りを使ってプレーしなさいと。一旦預けて、またゴール前でもらうような動きをしたほうがいいということを、彼には伝えました」



大迫選手がさらに成長できたのは、周りの意見を聞く耳を持っていたからだろうと語る。

ネットの声

大迫勇也に注目がかなり集まっているようだ!

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