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「あさま山荘事件」の連合赤軍メンバーのその後が壮絶すぎる。

あさま山荘事件の連合赤軍メンバーのその後が壮絶すぎました。
2018/06/07 UPDATE
 
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連合赤軍とは

1971年から1972年にかけて活動した日本のテロ組織

新左翼組織の1つ。

共産主義者同盟赤軍派と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)が合流して結成された。

山岳ベース事件

あさま山荘事件などを起こした。

山岳ベース事件

1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。

当時の社会に強い衝撃を与え

同じく連合赤軍の起こしたあさま山荘事件とともに日本の新左翼運動が退潮する契機となった。

浅間山荘事件

1972年2月19日から2月28日にかけて

長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の

保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。

連合赤軍メンバーのその後

森恒夫(最高幹部) 獄中にて自殺

昭和48年1月1日、元連合赤軍最高幹部・森恒夫は

初公判を待たずに東京拘置所で首吊り自殺しているのが発見された。

森恒夫は、前年の7月に同じく東京拘置所で遺書めいた文章を書いている。

「私は自分が狂気の世界にいたことは事実だと思う。

私は革命の利益から考えて有罪であり

その罪は死刑である、ということである。

私が亡き同士や他のメンバーに対して言った

『革命家たる者は革命の利益に反することをした場合

自らの死を持って償(つぐな)わなければならない。』

ということを文字通り守らなければならないということである。」

永田洋子(最高幹部) 脳腫瘍で寝たきり後、多臓器不全

1971~72年の一連の連合赤軍事件で殺人や死体遺棄罪などに問われ

93年に死刑が確定した元連合赤軍幹部の永田洋子死刑囚(65)が5日午後10時6分

東京拘置所で死亡した。

死因は多臓器不全とみられる。

複数の関係者が明らかにした。

永田死刑囚は84年に脳腫瘍の手術を受けたが

2006年3月に東京拘置所で倒れ、脳萎縮と意識障害が認められ

同5月に八王子医療刑務所に移送。

07年3月に東京拘置所に移されたが

この間、寝たきりの状態が続いていたという。

坂口弘(浅間山荘事件主犯) 現在も東京拘置所在監

1993年2月19日、最高裁で上告棄却し、死刑確定。

最高裁判決はあさま山荘事件発生日からちょうど21年であった。

判決訂正の申し立てをするが、3月9日に棄却され、死刑が確定する。

東京拘置所在監。

17人殺人(司法の認定としては16人殺人と1人傷害致死)

は死刑囚としては当時の戦後最悪の数字であり

オウム真理教事件で27人殺人(司法の認定としては26人殺人と1人監禁致死)

を犯した麻原彰晃の死刑判決が2005年9月に確定するまで破られなかった。

坂口の死刑が執行されていないのは

共犯者である坂東國男が国外逃亡して裁判が終了していないためとされている。

あさま山荘事件のリーダー格;坂口弘の著作。 坂東國男(浅間山荘事件主犯) 超法規的措置により釈放・国外脱出し日本赤軍に参加。

あさま山荘事件から3年後の昭和50年8月4日

「日本赤軍」がクアラルンプールのアメリカ大使館を占拠

日本で投獄中のメンバーの釈放を要求するという事件が起きた。

この日本赤軍がアメリカ大使館を占拠して人質を取り

その交換条件として連合赤軍の釈放を要求してきたのだ。

日本政府はこの条件を飲み、超法規的措置として

5人のメンバーを釈放したが

そのうちの一人が坂東国男であった。

坂東国男はこのまま海外へ逃亡し

日本赤軍と合流することとなった。

この時、元連合赤軍のNo.3で「あさま山荘事件」の主犯格であった

坂口弘も釈放の対象として日本赤軍から要求があったが

坂口本人が釈放されることを拒否している。

吉野雅邦(浅間山荘事件主犯) 千葉刑務所にて服役

刑務所では「あさまさん」と呼ばれており

1998年時点では高齢者や体に障害を持つ受刑者を集めた所内の工場で

「計算夫」という役割(工場内での受刑者の実質的な責任者)についていた。

加藤倫教・元久(浅間山荘事件主犯)

1987年1月仮釈放。現在は実家の農業を継ぎ

また野生動物保護

自然環境保護の団体でも理事を務めている。

弟・元久は事件時16歳であるため保護処分

山岳ベース事件でリンチ死したメンバー

▽1971年12月31日  尾崎充男   (22歳・革命左派)
▽1972年1月1日    進藤隆三郎  (21歳・赤軍派)
▽1972年1月1日   小嶋和子   (22歳・革命左派)
▽1972年1月4日   加藤能敬   (22歳・革命左派) 
▽1972年1月7日   遠山美枝子  (25歳・赤軍派)
▽1972年1月9日   行方正時    (25歳・赤軍派)
▽1972年1月17日  寺岡恒一   (24歳・革命左派)
▽1972年1月19日  山崎順     (21歳・赤軍派)  
▽1972年1月30日  山本順一   (28歳・革命左派)
▽1972年1月30日  大槻節子   (23歳・革命左派)
▽1972年2月4日   金子みちよ   (24歳・革命左派) 
▽1972年2月12日  山田孝     (27歳・赤軍派)

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