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あさま山荘事件の犯人の現在!

あさま山荘事件の犯人は現在どうなっているのでしょうか。
2018/06/07 UPDATE
 
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『浅間山荘事件』の概要

「浅間山荘事件」とは、1972年2月19日から2月28日にかけて起こった

「連合赤軍」が人質をとって立てこもった事件です。

人質拘束時間は、219時間で、日本で起こった

人質立てこもり事件では2017年9月現在最高時間になっています。

人質を取ったものの、警察に何も要求しなかった連合赤軍。

警察は、犯人グループの家族に説得を頼むものの

事件は一向に解決しませんでした。

犯人グループは、管理人の奥さんの代わりに人質になりたいと

申し出た民間人を至近距離から射殺しました。

2月25日からは放水・投石・擬音作戦で犯人グループを疲弊させるのです。

そして2月27日に鉄球を山荘にぶつけ、階段などを破壊しました。

2月28日に投稿勧告をしますが犯人が応じなかったことにより、機動隊が突入作戦を開始します。

機動隊との銃撃戦が行われますが、放水や催涙ガス弾が撃ち込まれ

バリケードも破られ機動隊が突入。

犯人グループは逮捕され、人質は無事に解放されました。

この模様は、NHKと民放各局で生中継されました。

全局合わせての視聴率は、89.7%を記録しました。

今尚、昭和に起こった大事件として記憶に残る事件です。

あさま山荘事件の犯人について

あさま山荘事件の犯人・坂口弘

坂口弘は1946年11月12日に千葉県富津市で生まれた。

東京水産大学に入学したが

左翼による労働運動に身を捧げる為に、大学を中退。

印刷工場に就職しながら

労働運動に従事する中で

革命左派に合流し

交番や銃砲店の襲撃で銃器を強奪。

革命左派は赤軍と合体して

連合赤軍となり

坂口弘はNo3の立場となる。

その後、山岳ベース事件に関わり

連合赤軍の森恒夫と永田洋子が下山したのちに

ベース内の同志たちをまとめていたが

脱走者が出た為にベースを移動。

移動中にあさま山荘を発見し

坂口弘は山荘に立て籠ることを決めて

あさま山荘に侵入し事件を起こした。

あさま山荘事件の犠牲者である

民間人を狙撃して死なせたのは彼であり

他にも報道関係者を狙撃し重傷を負わせ、山荘に突入した

機動隊員に爆弾を炸裂させて負傷させる。

あさま山荘事件の犯人・坂東國男

坂東國男は1947年1月10日に滋賀県大津市で生まれた。

実家は旅館を経営し裕福な家庭で育ち

京都大学農学部に進学するも退学となり、赤軍に参加。

赤軍の資金調達を担い

M作戦と言われる金融機関の強盗事件に関与し

後に赤軍と革命左派が合流し連合赤軍となった時には幹部に就任。

山岳ベース事件の後

坂口弘と他3名と供に

あさま山荘事件を起こし

包囲した警官に狙撃し命を奪った。

あさま山荘事件の犯人・吉野雅邦

吉野雅邦は1948年3月27日に東京都杉並区で生まれた。

父親は東京帝国大学を出て

三菱地所に勤めていたエリートである。

父と同じ東京大学への入学を

志望するものの不合格となり

浪人の後、横浜国立大学経済学部に入学。

学生運動に参加し、中核派の員となるが

デモ活動で逮捕され鑑別所に送られる。

途中、恋人との関係に

悩み自殺未遂をはかるなどの精神的脆さを見せたが

後に再び学生運動に参加し

革命左派の坂口弘と接触。

後に革命左派に加わり

脱走メンバーの処刑の実行犯となり

これが革命左派のトップ・永田洋子に認められて重要視される。

連合赤軍になってから

妻と供に参加していたが

山岳ベース事件で過激な闘争に反対し

総括を求められて妻はその際

総括という名のリンチで命を落とした。

その後、坂口弘らと供にあさま山荘に立て籠り

説得にきた母親の乗る装甲車に発砲する非情さを見せ

機動隊員3名に発表し重軽傷を負わせた。

あさま山荘事件の犯人・加藤倫教

加藤倫教は1952年に愛知県刈谷市で生まれた。

高校生の時に長兄で後に山岳ベース事件で

命を落とす加藤能敬に影響されて、革命左派に参加。

山岳ベース事件では長兄の総括に不本意ながら参加し

死なせてしまったことから

弟の加藤元久と脱走しようとするが失敗。

その後、連合赤軍のトップであった

森恒夫と永田洋子が下山し逮捕され

坂口弘と供に逃亡中にあさま山荘に侵入し

事件を起こした。

当時、加藤倫教は未成年であったため

報道時には少年Aとして報道。

あさま山荘事件の犯人・加藤元久

加藤元久は1956年に愛知県刈谷市で生まれた。

高校生時代から長男の加藤能敬に影響されて

街頭デモを行うが

父の反対に遭い家出をして、革命左派に参加。

山岳ベース事件では次男の加藤倫敬と供に

兄の総括に加わるものの死なせてしまい

脱走を試みたが失敗。

坂口弘や坂東國男らと供に行動し

あさま山荘事件に立て籠り、事件を起こした。

次男の加藤倫敬と供に

加藤元久も未成年であった為に

当時の報道では少年Bとして報道された。

あさま山荘事件の犯人の現在は?

あさま山荘事件の犯人・坂口弘の現在

坂口弘は1993年2月19日に死刑が確定し

長野刑務所に拘置中。

死刑判決から24年が経っておりながら

死刑執行が行われないことを疑問視する声は

現在でも多いようだ。

この理由は共犯者の坂東國男が超法規的処置により

国外逃亡して裁判が終わっていないことによる影響であると言われている。

あさま山荘事件の犯人・坂東國男の現在

坂東國男は現在も尚、警察庁に指名手配中とされている。

また日本赤軍に参加後に

ダッカ日航機ハイジャック事件に関与したことが分かっており

国際指名手配中の身である。

現在の詳しい詳細は不明であり

70歳であることから死去している可能性もある。

だが、公安当局の発表によると

坂東國男は中東に活動の拠点をおいており

中国やネパール、ルーマニアなどに入国していた形跡があるのだという。

今後、坂東國男が逮捕された場合は

あさま山荘事件

並びに連合赤軍などの裁判が再開される。

これにより、坂口弘の死刑執行も

行われるという状態になるのだが、果たして・・・。

あさま山荘事件の犯人・吉野雅邦の現在

吉野雅邦は1983年3月に無期懲役により千葉刑務所に移送。

現在も同所に服役しており

これまで自身が加担した連合赤軍などの手記を執筆しており

有志たちが結成した【連合赤軍事件の全体像を残す会】に

それらの手記を公開している。

あさま山荘事件の犯人・加藤倫教の現在

加藤倫教は2014年3月にフジテレビの特番で

あさま山荘事件の犯人としてインタビュー出演し、心境を告白。

現在は自由民主党に入党し

若かりし頃の思想とは真逆の立場になっているが

この理由を現在の行っている環境保護活動などの為と語っている。

あさま山荘事件の犯人・加藤元久の現在

加藤元久の現在は兄の加藤倫教が

一番、知っていると思われるが

テレビインタビューの際は何も語られていない。

よって、詳細は不明であるものの

ネット上には左翼活動家として名前と顔写真画像が残っている。

あさま山荘事件で逮捕された後の活動内容は

全く情報が無いために、それら左翼活動家としての

情報や顔写真画像の信憑性は低い恐れがある。

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