お笑い界のトップを走り続ける
明石家さんまさん!!
ひょうきんに笑う姿から、
いつも元気をもらえますよね?
そんなさんまさんですが、
笑いを取るその姿からは想像できない
壮絶な過去をお持ちだということを
みなさんは、ご存じでしょうか?
いつも笑っていて、悩みが無さそうにも
見えてしまいますが、
実は人一倍、過酷な生い立ちがあったのです…
お笑い界のトップを走り続ける
明石家さんまさん!!
ひょうきんに笑う姿から、
いつも元気をもらえますよね?
そんなさんまさんですが、
笑いを取るその姿からは想像できない
壮絶な過去をお持ちだということを
みなさんは、ご存じでしょうか?
いつも笑っていて、悩みが無さそうにも
見えてしまいますが、
実は人一倍、過酷な生い立ちがあったのです…
出典: endia.net
両親と兄・正樹さんとの4人家族で
明石家さんまが、3歳の頃に
母親が病気のため亡くなってしまいます。
明石家さんまが、小学校高学年になった頃に
父親が再婚!
継母には連れ子がいたため、
明石家さんまには、年の離れた弟ができました。
明石家さんまは、この年の離れた弟を
”チビ”と呼んで可愛がり、
大変喜んでいたそうです!
思春期前でもあった明石家さんまは
新しい母に対する遠慮もあったのでしょう。
それでも、明石家さんまは
継母に心を開いてもらおうと
毎日面白いことをして喜ばせようとしていたようです。
しかし…
継母は、明石家さんまと正樹さんに
心を開くことはなく、
その頃のことを正樹さんは
次のように語っています。
まだまだ母親を求めたい
年頃の二人にとっては、
継母の態度は身を切るような
辛さがあったでしょうね…。
ほんとに、ひどい言葉。
このことがトラウマで、
明石家さんまはお酒が苦手になり、
お酒を飲む女性も
苦手のままだということです。
しかし、皮肉にも継母を喜ばせようと
面白いことをし続けたことで、
お笑い芸人を目指すきっかけとなり、
学校でも人気者となったようです!
また、この経験により
後に結婚する大竹しのぶの連れ子だった
二千翔にはとても気を遣い、
帰宅するとIMARUよりも先に
二千翔に触れるようにしていたそうです!
可愛がっていた弟ですが、
19歳の時に火事が原因で
亡くなってしまいました…
明石家さんまさんが27歳でした。
最愛の弟を失ったショックから、
明石家さんまは
番組で笑いが取れなくなり
芸人を辞めようと思っていたそうです。
出典: pluspiritual.com
1985年8月12日に起きた
『日本航空JAL123便墜落事故』
「上を向いて歩こう」の
坂本九さんをはじめとした
520名の方が犠牲になった
痛ましい事故です。
明石家さんまさんは当日、
フジテレビで『オレたちひょうきん族』の収録後、
JAL123便で大阪へ移動し、
毎日放送『ヤングタウン』に出演予定でした。
しかし、たまたま「ひょうきん族」の収録が
予定よりも早く終わったために、
JAL123便をキャンセルして
一つ前の便で大阪に向かい、
この墜落事故を逃れたのです!!
墜落事故の情報を受け、
大きなショックを受けたさんまさんは、
出演した事故当日の生放送ラジオ番組を
報道特番に切り替えました。
この事故をきっかけに、
さんまさんは新幹線で行ける場所へは
飛行機ではなく、
新幹線を利用するようになったそうです。
人の運命を考えさせられるエピソードですね。
出典: i.pinimg.com
『生きているだけで丸もうけ』
この言葉は、母と弟の死、
そして自分自身も
日航空機事故で死にかけた経験から
生まれた言葉なんですね。
明石家さんまさんにとっては
実は『重い言葉』なのであるのは
間違い無いですね…。
明石家さんまさんの家族との死別
壮絶な生い立ち。
いかがでしたか?
あの笑顔の裏には
こんな過去があったなんて
思ってもいませんでしたよね。
ファンに対しても、
写真、握手、サイン
嫌な顔せずに、対応してくれたり
とても素敵な方ですね。
明石家さんまさん!
できれば生涯現役で
お笑い芸人を続けて欲しいですね!
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