戦争に翻弄された兄妹の悲しい物語、『火垂るの墓』には実は原作があるのはご存知ですか。
『火垂るの墓』は作家・野坂昭如さんがご自身の戦争体験に基づき書かれたもので、野坂昭如さんには当時1歳4ヶ月の妹がいましたが、戦争で亡くなってしまいました。
野坂昭如さんが兄の清太、妹が節子のモデルです。
しかし、アニメ映画と原作の中には多数違うヵ所があるようです。
詳しく調べてみました。
現在は亡くなってしまいましたが、野坂昭如さんは『火垂るの墓』について
「実際の清太ほど、私は優しくなかった。」
と語っています。
確かに作中の清太は叔母の家から飛び出してしまい、結果節子を死なせてしまいましたが、節子に対しては優しく、節子の為に盗みなどの犯罪に手を染めるほどでした。
しかし、実際にモデルとなっ妹はたったの1歳4ヶ月なので、節子のようにしゃべることもしません。
そんな妹を守りながら、厳しい時代を生きるのはさぞかし大変だったでしょう。
と、清太とは自分は全然違ったといっています。
また原作の中では清太が空腹に耐えきれなくなり、節子の粉ミルクを飲んでしまうとの描写もありました。
まだまだ食べ盛りの子どもにとって飢えとは私たちが想像する以上に苦しい事だったんですね。
また、妹に対して虐待のようなこともしていたとの告白もしていました。
また、野坂昭如さんは後の作品『わが桎梏の碑』の中でこのように記し、妹に対して虐待をしてしまったと記しています。
とてもショッキングな内容ですが、非難されると予想しながらも妹への虐待を認めたことに妹への罪を最後まで感じていたことを感じます。
今の恵まれた時代でも育児のストレスに我が子に手を上げてしまう親はたくさんいます。
許されない事ですが、戦争中で、しかも親がいない状況で妹の育児をすべてやらなければならない状況に立たされ、虐待をしてしまうのは無理もないのかもしれません。
しかし、妹へ申し訳な気持ちもあったのでしょう。
あの切ないシーンは実話だったようです。
出典: stat.ameba.jp
『火垂るの墓』の冒頭のシーンでドロップの缶から節子の骨が出てくるシーンがありますが、これは悲しいことに実話だったそうです。
妹を守り切れずに餓死させたことに対する懺悔の気持ちからでしょうね。
妹が自分のせいで亡くなってしまったことだけでもショックなのに、それを自らの手で火葬するなんて辛すぎます。
『火垂るの墓』は野坂昭如さんにとっては懺悔の作品だったようです。
しかし、戦時中には清太と節子のような悲しい物語が多数あったでしょう…
戦争から長い年月がたった今ですが、戦争の悲壮さを後世へと伝える名作ですね。
最後になりましたが、このような名作を残した野坂昭如さんと、高畑勲さんのご冥福をお祈りします。