『働くなんて、めんどくさいんじゃ!』
尼崎事件裕福な家庭に育った角田被告
「金に困った事ない」
彼女の実家は尼崎市内にあったというが
今は残っていないという。
そこから少し離れた場所に美代子被告の祖母が暮らした自宅があった。
現在は廃墟と化していたが
近所の住民から一家について話を聞くことができた。
●「美代子被告の母や叔父もかなり好き勝手していて、誰も働いているのを見たことがありませんでした。
●一度、この叔父に『働かなあかんやろ』と言ったら『働くなんて、めんどくさいんじゃ!』と言い返してきました」
●だが、凄腕の手配師だった父のお陰で、家庭は裕福だったようだ。
●別の住民が回想する。「美代子被告は幼いころから金に苦労した事がなかったみたいです。高校も、学費の高い大阪市内の私立高校に通っていたようですから」
裕福な生活を経験してきた角田被告は
20代のころには
恐喝をしてでもお金を巻き上げるようになっていた。
古くから住む老人男性は、父親の仕事をこう語る。
「当時の尼崎には、全国から体力自慢で素性のよくわからない荒れくれ者が集まっていた。
そんな連中を自宅に住まわせ
手なづけるのが美代子被告の父親のような親方の役目です。
普段から睨みをきかせ
圧倒的圧力で彼らを抑えこむ。
もちろんいざとなったら恫喝や腕力も必要。
恐怖心を労働者に植え付け
『あの人には敵わない』と思わせないと務まらなかった」
さらに、アメとムチの使い分けが求められた。
「冷酷さも必要です。
労働者が汗水流して稼いだ日給は当時3500円ほどでしたが
そこから食事代や酒代といろんな名目で4割程度をピンハネするんですから。
しかしいっぽうでは食事を与え
ときには酒も飲ませて慰労する。
『人夫は生かさず殺さずで働かせるだけ働かせろ』
というさじ加減が必要です。
今の美代子被告がしていたことはまさに父親と同じ。
彼女は幼いころから父親の姿を見てきました。
そうして人心支配の英才教育を受けてきたのでしょう」
どれだけ、生い立ちが壮絶だったとしても
事件を起こしていい訳ではありませんし
生い立ちが壮絶だったとしても
人に対してやっていい訳ではないですので
生い立ちなんて関係なく
悪は悪です。
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