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ホームへ転落した男性を救助!若者が秘めていた思いとは…??

2017/12/30 UPDATE
 
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駅のホームで・・・

これはかつて千葉から都心に掛けて繋がる、私鉄・北総線新鎌ヶ谷駅のホームで実際に起きたことです。

2003年9月4日のこと。
時刻は午前0時20分。

アルバイトを終え、当時22歳の大学生の伊賀崎俊さんは、駅のホームでフラフラと歩いている男性を見かけました。

明らかに彼は酔っていたのです。

そのまま、線路上へと転落しました。

ホームにいた数十名の乗客は、誰一人として動こうとはしませんでした。
そこで俊さんは意を決し、ホームへと降り立ったのです。

俊さんが転落した男性を助け起こした時、もう一人の乗客が降りてきました。
そのまま二人で力を合わせ、男性をホームへと押し上げることができたのです。

俊さんのこの行動には、驚くべき理由がありました。

俊さんのハンデ

明くる日のこと。

千葉県印西市の自宅で俊さんの母である真理子さんは、俊さんの危険な行動を叱りました。

なぜなら、俊さんは生まれつき耳が聞こえないというハンデを背負っていたからです。

しかも、聴覚障害ではもっとも重度とされる2級。

しかし、俊さんは言い返しました。

「人が倒れているのに、ほったらかしにするのか」と。

(ここで改ページします)

俊さんの生い立ち

俊さんは京都府八幡市で、三人兄弟の二男として生まれました。
生後半年して、俊さんは「感音性難聴」と診断されました。

真理子さんは幼い俊さんを連れ、施設に通いました。
補聴器のことなどで苦労もありましたが、真理子さんは強く生き、俊さんを育てようと決意したのです。

千葉に引っ越し、小学校に上がった俊さんは、「宇宙人」と呼ばれました。
会話のスピードについていけず、コミュニケーションが満足に取れなかったためです。

それでも学校では手を貸してくれる友人はいましたが、予備校ではそうもいかず。
俊さんは先行きに不安を感じざるを得なかったのです。

大学に入り、俊さんは真理子さんから災害救援ボランティアの講習を勧められました。

俊さんは、いつまでも周りには頼れない、自分の身は自分で守らなければ、と思い、講習の合宿に参加したのです。

今まで、トラブルをおそれ人を助けたことはなかった俊さん。
ですが、止血法や蘇生(そせい)法を習得し、「セーフティリーダー」に認定されました。
それは俊さんの自信となり、ホーム転落者の救出へと繋がったのです。

救助の後に

半月後、真理子さんは、俊さんが救った男性の妻から電話を受けました。
男性の妻は事故の翌日に救助者について駅に尋ね、俊さんにたどり着いたといいます。

繰り返し告げられる感謝の言葉に、真理子さんは俊さんを叱ったことを悔いました。

人の役に立ってほしいと願ってきた自分の子供が人命を救ったということを、真理子さんは誇りに思ったのです。

「もしも俊の耳が聞こえたら、この電話を聞かせてあげたい」

真理子さんはそう思ったといいます。

ハンデを背負いながらも、勇敢に人を救った俊さん。
その行動の裏には、このような事情があったのです。

勇気をもらったような気持ちになれますね。

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