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【後味が悪い話】そんなことってあるんだ…! 怖いうえに後味の悪い話まとめ

そして、ゾッとする。
2016/08/10 UPDATE
 
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【イジメ報道】個人的に後味の悪かった話

個人的に後味の悪かった話。母からの聞いた話なんで、ところどころあやふやだけど。

母の知り合いの娘さん(以下Aちゃん)はこの春、中学校に進学した。中学校に上がったので、Aちゃんは待望の携帯電話を買ってもらった。

クラスでの友達や、メル友もできてそれなりに楽しくやっていたある日、とあるニュースが流れた。

昨年、とある地方都市のとある中学校でいじめによる自殺者が出た。

だが、教師たちや市の教育委員会の偉い人たちがそれを握りつぶした。自殺した少年は、ただ衝動的に自殺したということにされてしまった。
ニュースでは公表されなかったが、その中学校こそAちゃんの通うB中学校だった。

中学校内部はいろいろとごたごたしたらしい(さすがにこのあたりは詳しく聞けなかった)。マスコミに何を聞かれても答えるなとか、ネットで情報を公開するなとかは言われたとか。

B中学校は制服・私服が自由な学校なんだけど、制服で通っても、私服で通ってもB中学校の生徒とばれるしで、Aちゃんも学校を休もうか、けっこう悩んだらしい。

それでも真面目に中学校に通っていたある日、メル友から

『たしかAってB中に通ってるんだよね、見そこなった』

というメールが届き、以降返信しても届かなくなったらしい。母が珍しく言葉を濁していたので、もっとひどい書き方だったんだろう。

でも、一番最初に書いたとおりAちゃんは一年生。はっきり言って、件の事件にはいっさい関係のない女の子。

なんでそんな子が被害にあわなくちゃいけないんだ……と、一度もあったことない子だけど後味が悪かった。

その当時、ネットでは大津市民=全国でもトップクラスのくそ人間ども、B中学校=その中でも生え抜きのクソ、という扱いで、どこにもグチれそうになかったけど、今はだいぶあきられたようなのでここで書き捨て。

爺ちゃんは若いころ学生運動をやってたらしいんだけど…

小4の頃、弟が生まれるから実家に預けられてた時期があった。

ばあちゃんも爺ちゃんもすげー優しくて楽しい日々を過ごしてたんだが、ある日、トイレ行こうと思って12時ぐらいに起きたんだ。トイレは一階で俺がいた部屋は2階だったんだ。

階段下りて、トイレしてかえろうとしたら爺ちゃんがいる和室からうめき声が聞こえてきたから、爺ちゃん病気か?と思いふすまを開けたんだ。

そしたらじいちゃんが、うーんとか言ってうなされてえたんだけど、爺ちゃんの布団のすぐ横に、人型の真っ黒いなにかがジーッと爺ちゃんを見てるんだよ。

わけわかんなくて固まってたんだけど、うめき声の主が、その黒い何かなのはわかったんだ。


俺は霊感とかないんだけど、その黒いのがすげー怒って爺ちゃんをにらんでるのは分かった。

数分間そうして固まってたんだけど、不意に黒い奴が俺をにらんだんだよ。睨まれた最初はすごい怒りと殺気を感じたんだけど、だんだん怒りのオーラがなくなってったのがわかった。

そして泣き声?みたいなオォン…オォン…って言いながら消えてったんだよ。俺は怖すぎてもうわけわかんなかったんだが、そこから動けなった。

そいつがいなくなると爺ちゃんも落ち着いて、静かに寝始めた。

その部屋にいるのはもちろんこわいが、自分の部屋に帰る途中に黒い奴に遭うかもしれないと思うと、その場を動けなかった。結局その日はそこで寝たんだ。
次の日、爺ちゃんに夜中のことを話して、なんか知ってるか聞いたんだ。そしたら爺ちゃんはなかなか話したがらなかったんだけど、しつこく聞いたらこんなことを話してくれました。

爺ちゃんは若いころ学生運動をやってたらしいんだけど、あるデモの日、機動隊にデモ隊が投石やパイプなんかをして攻撃したらしい。

機動隊は、あまりの攻撃の激しさに撤退を始めたが、盾を持ってないガス銃を持ってた隊員が一人、デモ隊につかまったんだって。

その隊員は数十人にパイプやビン、角材で暴行されて重傷を負い意識を失った。するとデモ隊のリーダー格のやつが、その隊員にガソリンをかけてそいつの合図でデモ隊が一斉に火炎ビンを投げた。

隊員は燃えながらも途中で意識が戻り、必死に火を消そうとしたらしいが数十秒くらいして死んだらしい。じいちゃんはその現場にいて、ほかのデモ隊のやつらと一緒に歓声を挙げたそうだ。

それから学生運動のブームはすぎ、じいちゃんは普通に就職してばあちゃんと出会い、結婚し父が生まれたんだが、ちょうど子供が生まれたぐらいから、夜布団にその機動隊員が来るようになったそうだ。

機動隊員はただ何をするでもなく、怒りながらじいちゃんをじっと睨むんだそうな。

その話を聞いてから、俺は爺ちゃんとその後いっさい口をきかなかった。爺ちゃんがそんな人だとは思わなかったからマジショックだった。

後悔してるとか反省してるとか言ってたが、そんなんで許される分けねえだろごらああ!

爺ちゃんは数年前に病気で他界したが、死ぬ直前までごめんなさいと連呼してたんだって。もう機動隊員の方に申し訳なくて…

戦国時代に起きた後味悪い話

戦国時代に起きた後味悪い話。

奥州統一を目指す甥の伊達政宗と争い、謀略に優れ家族への愛も深いと言われた最上義光(もがみよしあき)。

彼には東国一の美女と言われた駒姫(こまひめ)という娘がいた、最上義光は駒姫をとても可愛がっていたが、時の関白(ほぼ最高権力者と言える)であった豊臣秀次(とよとみひでつぐ)に見初められ、側室にと要求されてしまう。

最上はこれを渋ったが、豊臣に逆らうことが出来ずに駒姫を差し出すことになる。

だが駒姫が大阪に向かう中で「秀次事件」が起きる。豊臣秀次が太閤豊臣秀吉(たいこう とよとみひでよし)に謀反(むほん)を起こそうとしたとして切腹させられたのだ。


これに対する処罰はあまりに重く、秀次の子供をふくむ家族(ほぼ全員だが一部は生き延びた)の他に側室、侍女(じじょ)ですら秀次に近しかったものは全て処刑された上、遺体は全て同じ場所に捨てられ埋め立てられた。

これは当時としても異例中の異例といえる、あまりに非道な仕打ちだった。
そんなことも知らない駒姫は大阪に入る。駒姫は側室になるために大阪に来たが、まだ正式には結婚していなかった。しかし他の側室と同様とみなされ、処刑されることになってしまう。

これを知った最上は、豊臣家への絶対の忠誠を誓う血判状(けっぱんじょう)を差し出してまでも娘の命を救おうとし、他の大名からも助命嘆願(じょめいたんがん)が寄せられる。

秀吉もさすがにこれはやりすぎと思ったのか、処刑中止を命令したが時すでに遅く、駒姫は何の咎もない身でありながら15歳でその命を散らす。

そして他の者達同様に遺体をまとめて埋め立てられてしまう。最上は愛する娘の遺体を引き取ることすら出来なかった。

さらにこの14日の後に、最上の駒姫の母である正室も後を追うように亡くなる。最上は「これも全て前世の行いのむくいなのであろう、受け入れるしかない」と漏らし悲嘆したという。

晩年の秀吉のアレな行為の犠牲者達のエピソードの一つ。

ちなみにこの事件でひどい目にあった大名は、軒並み関ヶ原の戦いで徳川側に付いている。

俺が投げたリモコンが妹の後頭部を直撃→やるせない結果に…

高校生の頃、いつもケンカしてた妹がいた。

ケンカといって他愛もない口げんかで、ある程度言い合ったらどちらかが自然と引く。ニュースであるような殺傷事件には到底至らないような軽いケンカだった。

高校三年の春だった。成績が凄く落ちてて、志望校に合格するのが危うかった。そのせいで親の風当たりがきつく、テストが悪い時なんか一人だけご飯のおかずがニボシだけ、なんてこともあった。

追い込まれていたからか、妹のいつもの態度がやけにイライラしてくる。

何を言われたかは覚えてないが、カッとなって妹にテレビのリモコンを投げた。リモコンはちょうど妹の後頭部に直撃。妹は頭を抑えて倒れた。


俺はあせった。死んだのか?とりあえず近づいて確認。脈をはかると死んではいないよう。

でも気絶してるから病院にいったほうがいい。そう思ったのだが、俺につらくあたる母にこの事がバレたらどうなるかわからない。

俺は気絶したままの妹をそのままソファーに寝かせ、二階に上がった。

次の日、妹に何て謝ろうかと思って二階から降りてくると、妹は普段どおり朝飯を食べていた。どうやら怒ってはいないようだ。

昨日の事を申し訳なく思っていたのか、久しぶりにこちらから声をかけた。すると、全く反応しない。やはり怒ってるのだろうか?そう思ったんだが、今考えると怒っていただけの方がよかったんだ。
妹はその日から性格が変わってしまった。学校から帰ってくるといつも友達と遊びに行ってたのに、学校にいく以外部屋から全く出なくなった。

そして家族内で会話をしないようになった。親父がわざと無視でもしてるのか、と問い詰めた時があった。それでも妹は全く無表情で通した。

妹がしゃべらなくなって一ヶ月。親父とオフクロが俺を呼んだ。お前何かしたのか?そう聞かれた。何を?と聞き返すと、なにかいいにくそうなのだ。

親父はこう考えた。妹は何か凄く落ち込む事があった。でもそれは人に話せるような事じゃない。だからしゃべらないと。つまり俺が性的虐待をしたと思ったのだ。

なんとか疑いを晴らすことはできた。だけど妹をああいう状態にしたのは俺なのだ。やり方は違えど原因は俺なのだ。なんとか妹に元に戻ってもらおうと思った。

次の日、学校から帰ってきた俺は、妹の部屋にいった。妹はまだ家に帰ってきてない。帰ってきた後だと部屋に鍵をかけて出てこないので、今しか部屋に入る機会がないのだ。

妹の部屋は、しゃべらなくなる前と変わりなかった。もし壁中黒塗りなんて事になってたら俺は泣こうと思っていた。

本当に最悪なんだが、俺は妹の胸中を知るため妹の日記帳を探した。妹が幼い頃から日記をつけていたのを俺は知っていた。

机の上にある本棚の中から日記帳を取り出し、中身を見た。

日記帳をパラパラめくると、とくに異常はない。だが、ページ数が半分くらいになった時、妙なページが見えた。俺はそこをよく見た。

そのページから先のページは、妹の字ではない、とても大きくて、歪んだ字の羅列だった。よく見るとその字はちゃんとしたひらがなだったが、文章が意味不明だった。例えば

「だいこんはかえるにくつしたさえしいたけ」

こんな感じの文が数十ページ続いていた。俺は妹の脳を損傷させたんだと思った。凄く後悔した。

妹に悪いことをしたという気持ちも大きかったが、俺は刑務所に入れられるんだなと思ったからだ。

半泣きで頭をかきむしっていると、後ろに誰かいる事に気づく。振り返るとそこには妹が立っていた。

妹は、全くの無表情だった。夕方で電気をつけてなかったから、無表情の妹の顔が真っ黒だった。

妹は何もいわずにゆっくり部屋に入ってきた。俺は後ろにさがった。妹はカバンを机の横にかけると、俺が部屋に入っていることが不快なのか、俺の方向を見たまま静止した。

あせりつつもなんとか頭を整理した俺は、妹に土下座で謝ろうと思った。なにも返事はしてくれないだろう。でも土下座をしなければ俺の罪悪感が納まらなかった。

土下座をしようと中腰になろうとした。その時、妹が物凄い速さで俺の腕にしがみついた。一瞬何をしたのかわからなかった。その勢いで妹はそのまま部屋から出て行った。

俺は唖然としつつ、右手にもっていた妹の日記が奪われた事に気づいた。妹はその日の夜、姿をくらました。現在も妹はうちに戻らない。

妹が今も生きてるなら24歳。まだ帰ってきてない。全く勉強に身が入らなくなり、受験、就職と失敗しまくり。

今の俺は本当に底辺だ。親も妹に期待してたから、いなくなって人が変わってしまった。

これだけは言える。リモコンは投げる物じゃない。

近所に2m近くある知的障害者の男がいたんです。彼はあの日もしかしたら、

うちの近所に、とてもでかい2m近くある知的障害者の男がいたんです。そいつは、いつも近所を走り回ってました。

走るときは決まって、「ヴぉわああああ~」と言いながら拍手をしながら走ります。

3~5mくらい走ると立ち止まり、しばらく周りをキョロキョロ見て、別方向に向かってまた同じように走るシステム。目的は不明。

そいつは本当に邪魔!とにかく、人間の存在そのものが見えてないのか、周りには目もくれず走り回るのです。

小道からも突然飛び出して来るので、それを知っている近所の車を運転する人たちは(うちの親もそうでしたが)、車2台がゆうに通れる大きい道路なのに、そいつが出没する道だけは徐行しながら走っていました。

車の速度で、近所の人かよそ者かわかるくらいでした。

こんなこともありました。夜中の2時ごろでしたか、私がコンビニで買い物をした帰り、30mほど先の暗闇の中に見覚えのある人影が!

そうなのです。こんな時間なのに、そいつが走り回ってたのです。昼間とは違い、不気味な気配を感じました。襲い掛かられたらどうしよう?

少し遠回りになってしまいますが、別の道から帰ることにしました。

そんなある日、私が自動車教習所に通っていた頃のことです。近所の公園の門の前で教習所のバスを待っていると、突如うしろから「ヴぉわああああ~」の声。

とっさに振り向くと、公園の中からそいつが猛烈な勢いで私に向かって突進してきます!つい「ひぃやぁ!」なんて情けない悲鳴を上げてしまうと、そいつは私の前で立ち止まりました。

そばに立つと、でかいからそれだけで威圧感がある。手もでかいから、ぶん殴られたら吹っ飛ばされそう。

「なん・・・なの・・・?」

ちょっと情けないか細い声を出し、そいつを見上げてたのですが、そいつは私には目もくれずあたりをキョロキョロして、またいつものように走り出した。

そいつとちょっと距離を置いて落ち着いたのか、私の中で急に怒りのゲージが増してきて、

「バカじゃなかろーか!?」

と、そいつに向かって叫んだの。

するとそいつ、私のほうを振り返り、数秒のあいだ私の顔をジーっと無表情で見つめていましたが、私が言ったことを気にしてないのか理解できてないのか、走り去って行きました。
人には危害は加えないんだなと、安心していた矢先のことでした。私は見てなかったのですが、ある日、そいつが近所の小学生の手を引っ張ってたんですって。

それを見ていた母や近所のおばさんたちは、小学生の手からそいつの手を振りほどき、叱ろうとすると、今度は、そのおばさん衆のうちのひとりの手を引っ張りだしたんです。

あわてて母がそいつの家に行き、そいつの母親を呼んだんですが、誰もいる気配がありません。

結局、あとからかけつけて来た近所のおじさんたちが引き離して、その場は収まったんですが、夜になって、その話を聞いた小学生の父親が怒って、そいつの家に怒鳴り込みに行ったんです。

戸を開け名前を呼んでも、誰も出てきません。それどころか、家の中は真っ暗で人の気配がしないんです。

それでも、ひとこと文句を言ってやらないと気が済まない小学生の父親は、家の中にあがり込み、廊下の電気を付け、ひと部屋ひと部屋探していくと、台所で暗闇の中に立っていたそいつを見つけました。

小学生の父親が文句を言おうとしたそのとき、フトそいつの足元を見ると、そいつの母親が倒れており、すでに死んでいました。原因は心臓発作だったそうです。

彼の家は母ひとり子ひとりだったので、彼は東京の親戚の家に引き取られていきました。私がその話を聞いたのは、彼が引き取られていったあとのことでした。

彼があの日、小学生さんやおばさんの手を引っ張ったこと。それは彼なりに、母親が倒れたことを誰かに知らせたかったからではないでしょうか。

多分、私だけでなく、みんなそう思っているはずだと信じています。

テレビで東京の風景、たとえば浅草、お台場、渋谷、汐留、丸の内などが映るたびに、その東京の空の下、今日も彼が元気に走り回っている姿が目に浮かびます。

虐待をされていた友人の悲惨な人生

Aという友達がいた。小学校の頃はよく遊んでた。良いやつだった。

何歳の頃だったかも覚えてないけど、誕生日会に呼ばれた。

リビングに通されると部屋の中が暗かった。Aが泣きそうな顔だった気がする。Aのお母さんが出てきてカーテンを開けた。すると一部だけ濡れた布団がベランダで干されていた。

Aは母親のそでを引いて泣きわめいていたが、当の母親はニタニタと笑っていた。Aがおねしょをするたびにどれだけ大変か、その誕生日会はAの母親の自慢話大会となった。

その翌日からAはオネションというあだ名をつけられた。


またある時遊びにいくと、Aの母親が突然部屋にどなりこんできた。その手には、ほとんど〇がついた答案用紙がある。

俺なんて半分は×だったから、どなられるくらいはなれっこだが、Aは俺の目の前で往復ビンタをされた。Aの母親はやはりニタニタと笑っていた。

「B君はこんなささいな間違いしないわよね」

俺は首を横にふった。ちょうどその日に小テストがあったので、その答案用紙の惨たんたるありさまを見せた。

「おかあさんはどういう教育をなさってるのかしら」

勝ち誇ったような笑みだった。

Aはよく体育を休んだ。喘息の俺が最後尾を走っている姿ですら、うらやましそうに見ていたところをよく見かけた。

Aは頭が良いやつだった。良い点をとるとにっこり笑っていたが、だんだんそれもなくなってきた。

誰かへのあてつけのように白紙の答案用紙を提出して、校長室に呼び出されることも増えてきた。

中学二年くらいになると、Aにとって友達と呼べるのは俺だけになった。Aは夏場でもよく長そでを着ていた。俺はAに何がおこってるか気付いていた。

校長室にたびたび足を運んで、Aを助けてくれと教師達に懇願した。

ある日Aの母親が学校にどなりこんできた。俺のクラスまでやってくると、いきなり俺は首をしめられた。嘘つきと連呼されながら気が遠くなっていった。問題にはならなかった。

その日を境にAは俺にも声をかけなくなった。俺からはあいさつをしていたのだが、返事もしなくなった。

学校にはAの母親がたびたび来るようになった。俺は途中まではがんばって戦った。だがA自身が虐待がないと証言した。
俺こそが嘘つきであるといったのだ。Aが起こした事件がテレビをにぎわせたころ、テレビの中でAの母親がこう答えていた。

「しかるべき罰をうけるべき」

俺はその場で気を失うほど怒り狂った。迷わずテレビ局に電話をかけてAの弁護士の連絡先を教えてもらい、俺はA側の証人として立つことを決めた。

現役を退いた昔の校長先生なども来ていた。Aの父親すらAのために証言台にたった。Aへ加えられていた虐待の内容が法廷ですべて明らかになっていった。

唯一無二といえる友達とも絶縁せざるをえなくなった。Aの悲しい子供時代が皮肉にもAを救った。

日常的な性的暴行。公衆の面前で我が子をはずかしめることも多々。常に完全であることを要求し、できないと暴行を加えることも多々。

Aの住まう家は地上にあらわれた地獄だった。それをおこなっていた悪魔は一体何を考えていたんだろう。

Aの母親の罪状は明らかになった。Aの母親は表向き被害者へ詫びるとして自殺した。しかしその実態は自らの時効を迎えた犯罪暦が公判記録として公のものとなったからに違いない。

病院に収容されて数年、あいつは病室のベッドからろくにおりもしないでいる。筋肉が衰えて、もはや立つこともできないらしい。

ガリガリひょろひょろの体だ。極まれに正気に見えるときがある。そのときは決まって自傷行為をはじめる。

「おんなじ!おんなじ!」

加害者になってしまった自分が許せないという意味だと思う。

被害者のご遺族からの手紙に、許すという言葉があることを何度教えてやっても、Aは決して喜ばない。

生きている限り、彼は償わなくてよくなった罪を償い続けるのだろう。地獄の家は崩壊したが、地獄は彼の心の中にある。

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