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【涙腺崩壊】家族になれて本当によかった 泣けるエピソードまとめ

自分の家族が世界一
2016/08/05 UPDATE
 
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お父さんお母さんありがとう

生まれてすぐに出会う家族。

生きていくなかで大変なことも多いけれど、濃厚すぎる家族の泣ける
エピソードをまとめました!


読んだら、家族に会いたくなる!!

父の飯で育った

小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
出典: mamesoku.com
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星形のにんじん

俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。
出典: mamesoku.com
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日課

自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、
夜中にふいに目が覚めると、父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。
大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、
しかも父はとにかく強くてかっこいい!と信じていたので、凄く吃驚して変に印象に残ってる。
その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも
「夢でも見たんだろう」と言っていたので、何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。

が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。
当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、朝は私が起き出す前に出勤。夜は就寝後に帰宅の日々。
寝顔をそっと覗き見るのが日課で、このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。
そんなある日、いつものように寝顔を眺めていると、私が目を覚ましてしまった。
やばい、良く寝ていたのに、ぐずってしまうかも知れない…父が焦っていると、
私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。
ろくに顔をあわせることもできず、たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。
しかもこんな夜中に起こされて、それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、
こんなふうに笑ってくれるのか、と思ったら、愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。
それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、どうしても本当のことが言えなかった。
嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。
内心は萌えつつも、明日目が腫れたらど-してくれる!!と私が切れたので、笑い話になったが、
父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった。
出典: mamesoku.com

姉妹の盃

小学校6年くらいの時の事
親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、
親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。
帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、
公園のブランコに座って立てなくなった私に、親友はずっと付き添っていてくれ、
「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、
カバンからメロンのアイスの容器(メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。
一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんて
メロンのカップ片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。
十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップを
カバンにこっそり忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して
「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、
あなたがいてくれたからやってこれたんだと伝えたかったのに、
ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ~」とメロンのカップを出すしかできなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛~ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
もちろんメロンのカップで。
もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した。
出典: mamesoku.com
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すごろく

オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。
先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。
出典: mamesoku.com

相花伸夫小尉が母にのこした遺書

第14期陸軍特攻第77振武隊 相花伸夫小尉が母にのこした遺書
昭和20年5月4日沖縄周辺洋上にて特攻戦死

母を慕いて

母上お元気ですか?
長い間本当にありがとうございました。
私六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福だった
遂に最期までお母さんと呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さん と
出典: mamesoku.com

女郎屋の女でよかった

もう亡くなった大正生まれのオイラのばあちゃん、13歳の時に親に売られて満州で売春婦してたそうな。
その時に陸軍の整備兵で好き者やった兵隊さん(オイラのじいちゃん)に「俺の嫁になるなら身請けする」って言って、
部隊の工具や備品をパクって売って貯めたお金で身請けして嫁にしたそうな。
(じいちゃんは否定)

終戦迎えて内地に帰って…じいちゃんは小さいながらも某牛乳メーカーの役員まで出世してそこそこ財を作った。
じいちゃん、何歳になっても女好きが治らなかったが、ばあちゃんはいつも
「私はじいちゃんがいなかったらボロボロになって死んでたやろうからじいちゃんには何も言えん」
って泣きながら笑い飛ばしてた。

しかし、そんなじいちゃんだが、女遊び以外はばあちゃんにむっちゃ尽くしてた。
ばあちゃんが何かのテレビ番組で綺麗な景色見て「いいなぁ…」ってボソッと言ったら、
2、3日後にはじいちゃんが「おい!旅行行くぞ!」ってばあちゃんが言ってたところに大名旅行に連れて行ったり…

ばあちゃんが、何気なく肩を自分でトントンしたら、必ずじいちゃんがすぐにばあちゃんの後ろに回って肩叩きしたり…

ばあちゃんの誕生日には必ずウェディングケーキばりのでかいケーキを買ってきて、毎回「こんなでかいの誰が食べるのよ#」ってばあちゃん怒って…

晩年、ばあちゃんが
「わたしゃ女郎屋の女でよかった。じゃないとじいちゃんと逢えなかった…」
って話をオイラに言った2日後、昼寝したまま綺麗な寝顔のまま永眠したなぁ…


スレチやけど、ふと思い出した
出典: mamesoku.com

ドーナツ

学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、
父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの理由の一つだった。
父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていたドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。

駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。
出典: mamesoku.com

しずかちゃんのお父さんの名言

しずかちゃんのお父さんの名言(ドラえもん)


あの青年は
人の幸せを願い、
人の不幸を悲しむことの
できる人だ。

それが
いちばん人間にとって
だいじなこと
なんだからね。

(のび太と結婚してうまくやっていけるか心配するしずかちゃんを諭す、しずかちゃんのパパの言葉)
出典: mamesoku.com
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映画のび太の結婚前夜 (てんとう虫コミックスアニメ版)
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立派な看護婦さんになって

何年か前、一人暮らしをしてた時、部屋に小包が届いた。一緒に入っていた手紙に

『○○様 お元気ですか、○○が家を出て半年がたちました。家の中は火が消えたようです
じちゃんも、○○の事をしんぱいしています
早くりつぱな看ご婦さんになって帰って来て下さい。

ばちゃんも元気だから、しんぱいいりません。

○○が元気でりつぱになるやうにばちゃんは毎日仏だんにおがんでいます。

気をつけて、また今度かえって来て元気な顔を見せて下さい。


ばちゃん より』


手紙には、折り目が付いた1万円が同封されていた、農家の嫁の少ない年金で、生活も楽じゃ無いのに…


読みながら、届いた漬物をかじったら…

急に帰りたくなって、婆ちゃんに甘えたくなって、わんわん泣いた。

死ぬ気で勉強して働いて、看護婦になって地元に帰った。

今もその手紙と一万円は大切に残している。
出典: mamesoku.com

嫁のケータイ

嫁が風呂に入っているときに携帯を見てしまった。
おれが送った「今から帰る」みたいなくだらないメールばかり。
でもフォルダがあって、そこにメールが一杯たまってた。
彼氏から彼女に送るような甘い内容のメールばかり・・百通ぐらいあったかも試練。
感情的になってしまい、風呂からあがってきた嫁に問い詰めた。そしたら
「自分が送ったメールなのに、忘れてしまったのですか?」
といって嫁は笑った。さっぱり気づかなかった。
言われて見れば、差出人がおれの昔の携帯の番号だった。忘れていた。
そうこうしてる間に嫁の携帯の電池が一つになってた。もう何年も前から同じ携帯だ。
機種変しないのか?と聞いたら、メールが消えるのが嫌だったからだと。
なんだか携帯盗み見た自分が恥ずかしくなった。
謝ると、嫁は笑いながら「こんな私を貰ってくれる人なんて貴方以外にいません」といっておれを抱きしめてくれた。
今週末嫁の携帯を機種変しにいってきます。おれの自腹でOTL
出典: mamesoku.com

目の見えない子

俺はセイコーマートで働いて三年目になる。いつもくる小さな子の話を一つ。
その子は生まれつき目が見えないらしく白い杖をつき母親と一緒に週に二、三度うちの店を訪れる客だった。
ある日、その子が一人で入口の前に立っている。入口のドアが引くタイプだったので俺はドアを開けてあげようとした。
その瞬間!同年代らしき糞ガキ二人が「お前さぁ、目見えねぇんだろ?素直に親帰ってくるまで家でおとなしく留守番でもしてろよ。バカだなぁ」といった。
さすがに俺も障害をもった人間に冷たくする人間は許せなかったので入口に向かったその時!
ガキの片方が「ほら、先に入れよ。ドア開けといてやるからよ。」と言った。
そしてその子の手をつなぎ、「何買いに来たんだ?」と二人組の片方が言うと、その子は「お母さんがすごい熱が出てるの。だから水枕に入れる氷買いにきたの。」と言った。
そして俺がレジで「398円です。」と言うと、二人組が「いいよ。俺が出しといてやるよ!そのかわりお前のお母ちゃんがよくなったら俺たちと遊べよな!」といい会計をすました。
そしてきっとその子の家までだろう。片方が氷をもち、片方はその子の手を繋いで帰っていった。
小さな子ども達の友情に感動!
出典: mamesoku.com

2ch、見てるでしょ?

初めて2chなるものを見たからどこに書き込んでいいのかわかりませんが…独り言って事でここへたどり着きました。


よく旦那がパソコンで2chを見てたので、この場をお借りします。


2月、子どもが産まれるのを待てずに他界してしまいましたが。
でも、年越しは厳しいって言われてたのに頑張ってくれたよね。
その時、お腹の子は8ヶ月。
ずっと逆子で性別がわからなくて、男の子・女の子の名前をそれぞれ考えてくれて。
4月、産まれたのは女の子だったよ。
破水したけど高位破水で、丸2日促進剤を使って、2850グラムで産まれてきたよ。

217:2/2:2010/10/28(木) 18:49:53.71ID:zzOWuEI70
でも退院する時は一人だったよ。

心臓にね、穴があいてたんだって。

病院も変わって、先生たちが頑張ってくれたけど、3日しか生きられなかったよ。
でも、一生懸命手足を動かして生きようって頑張ってたよ。

ちゃんと戸籍にも載せてもらったよ。

旦那にそっくりな女の子だよ。
口元は私に似てるって。


そっちにいったから、よろしくね。

2ch、見てるでしょ?
出典: mamesoku.com
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