愚痴。俺はシングルファーザーで
ハタチの娘がいる。
俺はハタチそこそこで結婚して、
娘ができてすぐに嫁が事故死した。
それから再婚とか考えた事も無いし、
実家と嫁実家にも協力してもらいつつ
なんとか娘を育ててきた。
愚痴。俺はシングルファーザーで
ハタチの娘がいる。
俺はハタチそこそこで結婚して、
娘ができてすぐに嫁が事故死した。
それから再婚とか考えた事も無いし、
実家と嫁実家にも協力してもらいつつ
なんとか娘を育ててきた。
娘も今年成人して、
まだ大学生だけど立派に
育ってくれて父親としての喜びみたいなのを
飲み会で親しい同僚と話し込んでた。
そしたら3年程前に
入ってきた40代の事務員が、
成人したんならもう親元を
離れたも同然だけど、
大学生なんだから
まだまだ手がかかるでしょー、
私が世話してあげようか?と・・
いや、もう娘は他人様に
世話してもらわないといけない歳じゃないし、
他人様の力を借りずとも
実の父親である俺がまだまだ元気なんだから、
何その発想?って感じの事を言った。
そしたらその人、
母親がいない子供は可哀想、
私が世話してやるって言ってんのに!!
って発狂・・
遅い新年会で、
会社の人ほぼ全員いる中で
急にそうやって喚き出した。
同僚や上司は、
酒が入ってテンション上がっちゃったんだろうと
とりあえずなだめてくれたけど、
もう本当に仕事だとしても顔合わせたくない・・
俺の元嫁さんは、
俺の母親と仲良く買い物したり
台所に入ったりしてた。
だから上手くいっているんだろうと思って、
盆正月は俺の実家にいってた。
俺はアレルギーがあって、
動物かってる嫁実家にいくと、
涙鼻水とまらんから、
付き合ってた期間含めて
3回くらいしかいかなかった。
子供が出来ないまま、
4年目にはいり、嫁さんがおかしくなった。
いつも陰気くさいし、
電車に乗れなくなって、
コンサートホールとか
嫁さんいわく
「閉じ込められる、すぐに逃げられない場所」
に行けなくなった。
病院に一緒にいってくれと言われたが、
付き添いくらいでは休めないから
一人でいってもらったら、
何かいろいろと病名がついたらしい。
薬を飲めば寝込まずに家事が出来るようになった。
俺と結婚してから、
ちょっと太っていたんだが、
病気になってから
げっそと痩せだした。
まぁ、痩せて人並み。
俺としては付き合ってた頃に
体型が戻って嬉しかったんだが(結構可愛かったので)
病気になって1年くらいたって、
嫁さんがダイエットをはじめた。
別にそこまでして
痩せなくてもいいとは思ったんだが、
嫁さんが痩せて綺麗になっていくのは
嬉しいので放っておいた。
それから程なくして俺は嫁さんに離婚を切り出された。
「子供が出来ないって貴方の親はいうけど、
私は病院にいって検査してきた。
痛いし、恥ずかしいし、なのに
どう考えても私のよりも検査が楽な貴方は、
恥ずかしいといって病院にいってくれない。
月に一度あるかないかの、
しかも排卵日を外した行為で子供が
出来る訳がない。
私も子供は欲しい。
だけどあなたの子供は産みたく無い」
「私の病気の原因はあなた。原因から離れなきゃ治らない。治りたい!」
こんな感じの事をいわれたと思う。
俺の親は俺のいないところで孫催促をやり
「太っているから妊娠出来ない」と言い放ったらしい。
嫁に言わせると、
子授け祈願に連れていかれたのも辛かったらしい。
名字が変わったのも、
俺の仕事の都合で友達が
誰もいない所に越してきたのも
その他にもいろいろ辛かったらしい。
全部、俺の事が好きだから我慢していたんだって。
発病してから一泊家出したり、
別れてほしいなみたいな話はあった。
けれど付き合っても、
結婚しようもいってきたのは嫁さんだったから
俺はタカをくくっていた。俺は惚れられてるし、
嫁さんは今、病気だから考えが変になるんだろうって。
俺はなんとか理由をつけて、
離婚届に判をおさないようにした。
暫く放っておけば、
たかぶった感情も静まるだろうと思って。
その態度が余計に嫁の感情を逆なでたらしい。
「全部私が言い出してはじめた結婚なんだから、
終わりも私が言い出してもいいでしょう」
「お金が惜しいなら、私が払ってもかまわないから別れて」と
言われた。
そんなつもりじゃないのに、ショックだった。
少しでも長く一緒にいたいからだったのに、
裏目にでた。
あの時、取りあえず実家に戻ってもらって、
少し冷却期間をおけば良かった。
当時は別居するという選択肢が
まるで思い付かなかった。
なんとか話し合って、
解決出来ると思っていたが、嫁さんの中では
離婚を切り出した時には、
全て考えが決まっていたらしい。
自分の親にも誰にも相談せずに、決めたらしい。
結局、俺は離婚届に判をおして、
実家には戻らないといった嫁さんが
当面生活出来るように、
貯金の半額を渡した。
離婚が決まってから、
嫁さんが家を出ていくまでの一週間、
どんどん明るくなっていく嫁さん
を見るのが辛かった。
嬉しそうに求人情報誌や
借りるアパートの間取り図をみている。
当たり前だろうが、
住所は教えてもらえなかった。
知っているのはケイタイの番号とメアドだけ。
嫁さんが出ていった直後の事は
思い出したくないくらい辛い。
一度、具合が悪くなって、
泣き言をメールしたら、嫁さんが来てくれた。
たまっていた洗濯をして、
ご飯を沢山作って、
冷凍していってくれた。
一緒に食事をしながら、
元に戻れるんじゃないかと思っていた。
嫁さんの誕生日にはメールした。返事はなかった。
2年後、嫁さんからメールが来た。
縁合った付き合った人との間に、
すぐに子供ができたので結婚した、
結婚せずに一人で育てようと思ったが、
ぜひにと乞われ、
名字も嫁姓を名乗ってくれたらしい。
メンヘルもなおったらしい。
今は幸せだと書いてあった。
初めて自分から好きになった人だった。
あなたの事が一番好きだったと書いてあった。
俺は泣いた。
嫁姑の確執が発端かも知れんが、
大部分は自分のせいなんだろうな。
大事なものって、失ってから気付くよな。
大事だって言う事はわかっていたはずなんだが、
うまく動けなかった。
今思えば、嫁さんのダイエットは自傷行為だったのかも。
どんどん痩せて、寂しく笑って。
なんで気付かなかったのかな。
嫁さん、今は元嫁さんだけど、
今は幸せそうだから良かったなって思う。
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