出典: www.sankei.com
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東日本大震災から7年が経とうとしています。
現在も復興復旧が続けられている。
この災害で死者が1万6000人近くに及んでしまった。
その90%震源に近い岩手、宮城、福島の3県である。
そして、ある親子もこの災害の犠牲者となってしまった。
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現在は塩釜市内の住宅街にある
11階建てのマンションに1人の女性が住んでいる。
当時、石巻市に親子で住んでいた。
2011年3月11日あの日、津波は実家を襲った。
その津波で母と父を亡くなった。
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娘は酷く落ち込み、
夢では黒い津波が押し寄せる悪夢の連続だった。
また、テレビをつければ毎日の様に
亡くなった方の報道が流され直ぐに消した。
せめて夢の中で親に会いたいと願う日々だったと話す。
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あれから7年が経ち母を亡くした娘はこう話している。
「きっとあのときに母は亡くなったんじゃないかって」
「死因は溺死ということになっているけど、母の遺体はきれいなままだったから」
「もしかしたら、津波による低体温症だったんじゃないかなって思うんだよね」
「私はいまでも後悔していると思う。もし、あの日のうちに石巻にいけたら。もし、もっと早く駆けつけられたら……」と後悔してもしきれない。
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娘は今でも大切にしているものがある。
それは、亡くした母親の日記である。
そこにはこう書かれている、「おとうさん、居ねむりしているそばで編物している。
一見、平和だなー。なにも今とりあえず悩みはないから平和で幸せなのだ!」と
なんでもない日常が平和で幸せ、彼女は今でもその言葉を胸に生きている。
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