1974年
「あのバイク、きみたちの?」
っと舘ひろしさんが
それぞれバイクチームを組んでいた20代前半
岩城さんと、都内の飲食店で鉢合わせ
この一言から、2人は意気投合し、後の
12月13日の金曜日”縁起が悪い日がいい”ということで
この日に
《このチームはリーダー(舘)の独裁により運営される》と
書かれた血判状に、メンバー17人がナイフを握って
右手中指に傷を入れ、血判を押し、
黒い革ジャンに黒いジーンズ、リーゼントヘア、そして黒いバイクというそろいのスタイルで「クールス」を結成
1975年4月13日、日比谷野外音楽堂で行われた、矢沢永吉(68才)がリーダーを務める伝説のロックバンド「キャロル」の解散コンサートで
クールスが“親衛隊”を務めた
これをきっかけにレコード会社の誘いを受けて
「チームのメンバーを食べさせていくため。」として、
ロックバンド「クールス」としてデビューすることが決まる。
出典: i2.wp.com
この時岩城滉一さんは
東映から映画に出演しないか?とオファーを
受けて、俳優の道へ進むことになったため
ロックバンド「クールス」には参加しなかった
その後、舘ひろしさんはロックバンド「クールス」から1977年に脱退
これをきっかけに舘さん岩城さんの2人が揃ったクールス
は、なくなってしまったそう
(どちらか片方だけ、メンバーと集まることは会ったそうですが)
出典: beef-6.jp
2人は俳優の道へ進み
数々のドラマや映画に出演し成功を納めます
そんな2人の距離を縮めたのが、創設メンバーの1人、玉川雅巳さんの急病だった。
玉川雅巳さんはもともと岩城が連れてきたメンバーで、
舘のマネジャーをしていたこともあり、2人とは深い間柄だった。
そんな玉川雅巳さんが昨年秋に心筋梗塞で倒れ、12月12日、危篤状態に
玉川雅巳さんは舘さんと岩城さんを元に戻したいとよく
言葉にしていたそうですが
玉川雅巳さんの通夜の際、
17人の血判状メンバーのほとんどが顔をそろえ
その場には舘ひろしさんと岩城滉一さんの2人の姿も
2人は友との突然の別れを惜しみ、抱き合ったそうです
こうした形になってしまいましたが
玉川雅巳さんがメンバーを引き戻したのは間違いないようです
実は、メンバーの変更はありましたが
クールスは35年たった現在でも主にライブハウスや地方の会場などで
活動しているそうです
コメント