こちらは儚くも強姦から身を守り死刑となった美少女。
名門貴族という立場を盾に罪に問われることのなかった父は、
街中で家庭内で暴力沙汰を起こし、ベアトリーチェは度々強姦にあった。
耐えかねた一家は、父を殺害する。
相続人を滅殺してチェンチ家の財産没収を目論んだローマ教皇は、殺人動機への情状酌量を一切せず、一家には死刑判決が下された。
処刑を控えたベアトリーチェの肖像画で、頭にターバンが巻かれているのは、斬首の際に、髪の毛で斧が滑らないようにである。
ハプスブルク家当主にしてオーストリア大公。
男子の兄弟がいなかったため、長女としてヨーロッパ随一の影響力を誇る名門貴族ハプスブルク家の当主を継ぐ。
軍事の天才フリードリヒ2世の新興国プロイセンからの侵攻に対抗するため、
長年の敵対関係にあったブルボン家のフランスと同盟を組んだ。
フランスとの同盟を強固なものにするために、
末娘マリー・アントワネットをルイ16世に嫁がせる。
肖像画から見てもかなりの美女だ。
こちらも肖像画ですが、かなりの美女ですね。
マリー・アントワネットは、ハプスブルク家公女からフランス王妃になった。
映画でも名前を聞いたことがあるだろう。
イメージは確かに派手好きで贅沢で浪費家であったが、フランスの財政は過去の王達が愛人を多数囲って使った膨大な金と、
戦争による巨額の支出で、先代ルイ15世の時代には既に傾いていた。
マリー・アントワネットは、ハプスブルク家のためにオーストリアからフランスに嫁ぎ、
ブルボン家による圧政と散財を清算するためにフランス市民から処刑されてしまった。
こちらのお方はなんと娼婦から宮廷夫人へと登りつめた美女なのだ。
娼婦同然の生活から多くの男達に愛され、次第にベッドを共にする男の身分が高くなっていき、
ついにはフランス国王ルイ15世の愛人として宮廷夫人になる。
フランス革命が起こると、一度はイギリスに逃れるが、
革命政府に差し押さえられた自分の財産を回収しにフランスに帰国した際、革命派に捕えられてギロチン台へ送られ命を落とすことになる。
私生児として生まれ、娼婦として生き、宮廷内で侮蔑され、デュ・バリーにとって財産は多くの男達に愛された証であった。
タチアナ・ニコラエヴナ・ロマノヴァはロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世の第二皇女
生活苦を訴えるデモ隊に対して警備兵が発砲をし4000人の死傷者を出した「血の日曜日」に始まり、
日露戦争の敗北、第一次世界大戦への参加など、
ロシア市民のロマノフ朝に対する怒りはロシア革命となった。
ロシア革命で権力を掌握したウラジーミル・レーニンの秘密警察によって、
タチアナは家族・従者らと共になんと21歳の若さで銃殺されてしまったのだ。
美女ゆえに早すぎる死に多くの人が涙した。
引用元:https://matome.naver.jp/odai/2146749766653103401
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