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阪神・淡路大震災にまつわる感動実話……今だからこそ振り返る涙の理由とは……

阪神淡路大震災が起きた日、それは1995年の1月17日。その被害者は6435名にのぼりました。 戦後起こった地震としては、東日本大震災に次ぐ被害規模です。 ちなみに伊勢湾台風の犠牲者は5098人。 東日本大震災が起き...
2018/01/17 UPDATE
 
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1995年の1月17日は阪神淡路大震災が起きた日です。

兵庫県を中心に、大阪府や京都府に甚大な被害を与え、

その被害者は6435名にのぼりました。

戦後起こった地震としては、東日本大震災に次ぐ被害規模です。

ちなみに伊勢湾台風の犠牲者は5098人。

東日本大震災が起きるまで、これが最も甚大な被害を及ぼしたことで日本だけではなく、世界中に衝撃を与えました。

阪神・淡路大震災の最中に起きた感動の物語

守るべきもの

結婚当初、姑と上手く噛み合わなくて、会うと気疲れしていた。

意地悪されたりはしなかったけど、気さくで良く大声で笑う実母に比べ

足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は、喜怒哀楽を直接表現せず

シャキシャキ・パキパキ黙々って感じで、ついこっちも身構えてしまっていた。

何となく「私、あまり好かれてないな」と思う時も有って、当たり障りなくつき合っていた。



その年は、私が秋に二人目を出産した事もあり、混雑を避けて一月中旬に帰省する事になった。

そして早朝、今まで感じたことの無い揺れと衝撃を感じた。阪神淡路大震災だった。

朝釣りに行くという夫達の為に、お弁当と朝食を作っていた私と姑は立っていること出来ずに座り込んだ。

食器棚が空いて、次々と皿やグラスが降ってきた。

名前を呼ばれた気がして目を開けると、姑が私に覆い被さっていた。

私を抱きしめる腕も肩も頭も血が出ていた。

夫と舅が子供達を抱いて台所に飛び込んできて、私達を廊下に連れだしてくれた。

歪んでなかなか開かない玄関ドアを開けると、街の景色は一変していた。

義実家はマンションの高層階だったが、エレベーターは止まり、階段にはヒビが入っていた。

呆然とする間にも、大きな余震が襲ってきた。

廊下の壁にも大きな亀裂が入り、揺れが襲う度に何かガラガラと大きな物が落ちていく音がした。

姑が「あなた達は早く逃げなさい!」と部屋に戻り皆の上着やマフラーを持ってきた。

泣きながら「あなた達って・・・お義母さんは?」と聞くと「後で逃げるから、良いから早く!」と恐い顔で言われた。

足が悪くて階段では逃げられない自分は、足手まといになると思っているんだと分かった。

夫が「母親を見捨てて逃げたら、俺はもう子供達に顔向けできない」と姑を背負おうとしたら

姑が夫をひっぱたいた「あんたの守るのは子供と嫁!産後で完全じゃない嫁を幼子二人を守ることだけ考えなさい!」

そして血だらけの手で、私の髪を撫でて「ごめんね。帰省させなきゃ良かったね。ゴメンね」と笑った。



結局舅が姑を連れて、後から逃げると説得され、私達夫婦は子供二人と先に階段を下りました。

避難所で無事に再会出来たときは、安堵のあまり「おうおうおう」と言葉にならない声で抱きついて泣いた。

マンションは数日後に全壊した。

避難所で再会して気が付いたが、姑は家族の上着を持って来てくれたが自分はセーターにエプロンという服装だった。

初めから、皆だけ逃がすつもりだったんだと思ったら、また泣いた。

未曾有の事態に母乳が出なくなったり、出ても詰まったり色が変だったりで

痛くて脂汗を流しながら、マッサージをしていると、産婦人科にいた事もある姑が

「熱を持ってるね。痛いね。でも出さないともっと痛いから。代わってあげられなくてゴメンね」と泣きながらマッサージを手伝ってくれた。

避難所では「ブランクがあって、知識が古いけど」と看護士として働いて、まわりを元気づけていた。



あの時、赤ん坊だった下の子はもう高校生で、舅は既に他界した。

福島の震災をみていると、どうしても阪神地震を思い出してしまう。

同居の姑は、今も喜怒哀楽をあまり出さないけど、今では何を考えているかちゃんと分かる。

ありがとう、おかあさん。あの時の血だらけの貴方を忘れません。
出典: kokorodo.net

普段無口だった姑が、本当は嫁や夫のことを思っていた。

そんな強さを感じさせるお話ですね。

血だらけの手になっても、自分より他人のことを心配する姿に感動してしまいます。

人の手はな、守る為にあるもんだ!

阪神淡路大震災の時の話です。

【人の手はな、守る為にあるもんだ!】

貫きたい想いがあったとしても人は状況によって簡単に想いを変えてしまう
だから私は今まで人を信じたことなかった。

幼い頃、たまたま旅行に来てたホテルで火事になった。
煙で前も見えず、聞こえるのは叫びだけ。
長年つれそった妻でさえも置いて逃げる人
自分の命が大事で子供さえも突き飛ばし先に逃げようとする従業員
誰一人として自分を優先してるとしか思えなかった

恐かった。

迫りくる火よりも人の本性が
そんな想いを隠しながら生きてきた。

誰も信じず一人で生きてきた。

その中で大地震は起こった 忘れもしない
次第に大きくなる揺れ、倒れる柱、割れるガラス、
立つことさえもできない、何が起こっているのか考える暇をあたえない

気が付くと倒れてきた柱によって私は下敷きになってしまっていた。

あぁ、終わりだ。

生きたとしても恐かった。
また人の本性を見てしまうのが‥ 助けなんて期待しない。
ただ死ぬのを待っていた。

そんな時、声が聞こえた
「待ってろ!今、助けてやる」
隣の家の人だった。 見ると右手にヒドイ傷を負っている
彼は両手で柱を持ち上げた。 信じられない。
その人は大工だ。
そんな事したら傷がヒドクなり右手が使えなくなる

「手が空いてるヤツ手伝ってくれ!」
彼はそう叫ぶと人が次々に現われた
皆、傷を負っている。
知らない他人を助けるために自らを犠牲にしてまで、かけつけてくれた。
幼い子供ですら来てくれた。
助けだされた私はお礼を言い謝った。

そうすると彼は告げた
「ははは!人の手はな、守る為にあるもんだ!ははは!」
涙が出た。

周りを見ても
息子をカバって下敷きになってしまった人
妊婦にパンを笑顔で渡す食べ盛りの幼い子供
犬でさえも必死になって助けようとする人々。
火が上がってる家に飛び込み助けようとする人
身内どころか他人なのに必死だった
一人も…誰一人として自分を優先にしてる人などいなかった

大人になった私は、消防士になった。

自分のこの手で沢山の人を助けようと思う。

自分の生き死にが懸かった大事な状況。

他人のことより自分の命を優先しなければなりません。

多くの人が嘆き、叫んでいる環境です。

人の本性が現れてもおかしくないでしょう。

しかし、そんな中にも人の優しさを感じさせるエピソードですね。

Twitterからも感動秘話が……

震災から23年、あの日を絶対に忘れてはいけないと

Twitter内でトレンドになるほどに話題になっています。

その中でほんの一部を紹介させて頂きます。

当時、この地震では命を落とした原因の大半が圧死だそうです。(7割以上)

そのほか、焼死が1割を占めました。

建物の崩壊によるものが多かったということですね。

被害額は10兆円にも上り、全半壊は25万棟にも上りました。

この事実を忘れずに後の世に伝えていきたいですね。

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