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元夫『家政婦としてお前を雇う。給料は70万。家の中のことを全てやれ!』→私「どうしよう」夫『やれよ』私「わかった」→雇われた結果・・・

元夫が勤めてた会社から一部業務を暖簾分けという形で譲り受け独立した事がきっかけだった。
2018/01/16 UPDATE
 
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私が離婚したのは12年前。

元夫が勤めてた会社から一部業務を

暖簾分けという形で譲り受け

独立した事がきっかけだった。

工場新設とか色々と立ち上げに際して

資金繰りにも苦労していて、元夫は3年近く

殆ど家にも寄り付かない状態だった。

私は二人の娘を親に預けたりしながら、

前に務めていた会社に復帰して何とか

家計をやりくりしていた。

結果的に私はそこの同僚と男女の仲になってしまった。

向こうも妻子もちだったけど、既に別居中で

離婚のタイミングを模索してる状態だった。

好きになったのは向こうから。

馬が合う人とは思ったけど

不倫してまでとは最初は思わなかった。

子供もいるし。

でも何度も好きだって言われれば

誰だって悪い気はしない。

自然と元夫より、そういう目でみてくれる

今の夫の方に心惹かれるようになっていった。

でもダラダラと不倫生活を送っていく

つもりはサラサラなかった。

付き合いだして三ヶ月目で

この先どうするつもりなのか聞いた。

向こうは私が一緒になってくれるなら

今すぐにも離婚すると言ってくれたので、

じゃこっちもそうしますと、そういう流れ・・・

向こうの離婚は実にスムーズだった。

奥さんもそのつもりでいたみたいだし、

彼が奥さんの要求を全のみしたので、

切り出したその日の内にほぼ全決着に至った。

私からの慰謝料100、彼からの慰謝料400。

末の長男は奥さんが引き取り

長女と次女は彼が引き取るという形。

奥さんは専業主婦だったので

全員引き取るのは不可能ということだった。

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でも本音は家系を継いでくれる長男以外は

そっちで面倒見て苦労しろ、という

事だったんじゃないかと私には感じられた。

普通なら子供を女親が手放すとかあり得ないから。

養育費は月々十万ということで解決をみた。

問題はむしろ私の方だった。

私の方が簡単に決着すると勝手に思い込んでいたら、

まったくそうではなかった。

切り出したとき彼は青ざめながらこう言った。

「君は伴侶の旗色が悪くなったらとっとと

男作って逃げるような女だったんだな」と。

「失望した」と。

もちろん私は反論した。

「三年間家庭をまったく顧みなかったのはあなただろう」

と言った。

「そんな言われ方するのは心外だ」

と私は言った。

「君が今の稼ぎでは老い先何も残らないし不安だと

言うから、一念発起して独立をしようと思ったんだ!」

と彼は声を荒げた。

ショックだった。

彼なりに家庭を思ってやっていた

事だったんだと初めて知った。

だったら何でそう言ってくれなかったのと

言いたかったけど、全ては後の祭りだ。

私は不倫してしまったし、もう再婚に向けて

相手も離婚させてしまっている。

私たちはしばらく何も言わず黙り込んてしまった。

「君がそういう女だと気づかず選んだ

僕にも責任があるんだからしょうがないな」

彼はそう言いながらフッと自虐的に笑った。

何も言えなかった。

気持ちの行き違い、私も悪かったけど

思いを打ち明けずに三年家庭を

放ったらかしてた元夫も悪いと思った。

私からの慰謝料200、

新夫からの慰謝料400で決まった。

養育権は私。

元夫はまだまだ設立した会社の為に

奔走していたし、とても子供の面倒を

見ていられる状況ではなかったから。

私が元夫から全て奪ってしまうようで

心苦しいから養育費は要らないと言おうと思ったら、

向こうから20万払うと提案してきた。

彼の収入を考えて、

そんなに受け取れないと固辞したが、

「君の為に出すのではなく子供の為に出すんだ、誤解するな」

と怒られた。

「その代わりに週末に必ず会わせる事、

会わせる環境を整える事、新夫にも自分の悪口や

会わせないような事をさせないと約束して欲しい」

と言われた。

「そんな事は絶対にしない」

と約束しながら泣いてしまった。

罪深いことをしたとその時初めて自覚した。

彼がサインした離婚届を手渡すとき、

「子供の事を考えると地獄に

落ちろと言えないのが辛いところだな」

と一言いい残して彼は街中へと消えていった。

新生活は極めて順調だった。

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もともと私の実子が人懐こいこともあり、

夫の連れ子ともすぐ打ち解けてくれた。

長女も次女も同じ年だと

いうこともの大きかったと思う。

私も公平に扱う為に実子のほうに

厳しく接するように心がけた。

元夫は律儀に欠かさず20万を振り込んでくれた。



4人の子供の養育となると

共稼ぎといえどもかなり家計が厳しかった。

それと私のお腹には新夫との子も宿っていた。

私達の証として二人の間の子を

一児もうけようと相談してつくった。

だから元夫からの振込みは正直かなり有難かった。

元夫は週末娘と会うたびに新しい

ゲーム機やソフトやおもちゃを買い与えた。

本当を言うと連れ子たちとのバランスを

考えてほしいと思っていたが、

彼の気持ち考えるとやめて欲しいとは

とても言えなかった。

彼のヨレヨレのシャツや曲がった

ネクタイを見ると何も言えなくなった。

夫も見てみぬふりして同じものを買い与えて

バランスを取るようにしていた。

別れて三年目ぐらいで

彼の乗ってくる車がセルシオになった。

いままでは会社のロゴが入った

軽自動車かハイエースだったが、

自分用の車を購入したようだった。

会社の運営が軌道に

乗りだしたことが傍からみてもわかった。

私はそれをみて安堵した。

それで私たちに向ける怒りや恨みが

少しでも和らげば良いと思っていた。

それであるとき

「再婚しないの?」

とさりげなく聞いてみた。

「女はもうこりごりだ」

と言われて私はうな垂れた。

「世の中の女が全て君みたいな薄情者だとは

思わないけど、自分の選球眼の悪さを痛感してるからね」

と痛烈な皮肉を言われた。

彼の怒りはまったく収まっていなかった。

上の娘が中学校の私立受験をすることになった。

受験させるとなると我が家の場合は

必然的にダブルで授業料もかかるという事になる。

郊外に購入した家のローンもあったし、

夫の実家のリフォーム代を少し出してあげた事も

あって今後のことを考えると頭が痛かった。

あるとき夫が

「元夫さんの会社かなり大きくなってるよ」

とHPの画面を見ながら言ってきた。

はぶりが良いのは肌で感じていたが、

今夫に対する礼儀として元夫のことは

深く詮索しないようにしていたから、

元夫の会社がどういう会社なのかこのとき初めて知った。

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従業員が100人近くになっていて、

工場も二つになっていた。

海外にも拠点がいくつかあるようだった。

私は、へえと言うに留めていたが、

夫の言いたいことは間接的に理解できた。

要するにもう少し養育費を増額してくれるよう

頼んでくれないかと言っているのだ。

狡いやり方だと思ったが現実的にやり繰りが

厳しくなる事は火を見るよりも明らかなので、

しょうがなく私は増額願いをする事にした。

どの面下げてと自分が逆の立場だったら言うだろうなと

思ったが、夫は子供の進学の為なら

仕方がないとあっさり増額を飲んでくれた。

結論から先に言うと養育費は30万になった。

10万上げてくれるだけでも全然違う有難いと凄く思った。

夫はその代わりに春休みや夏休みに娘と一緒に

旅行させて欲しいと言ってきた。

それは当然の権利だと思ったら喜んで応じた。

彼はカナダの出張に娘たちを連れていきたいと言った。

夫もその提案をもちろん受け入れた。

しかし彼はカナダではなくハワイに娘を連れていった。

娘からスカイプでハワイにいまーす!と

言われてこっちの家族はみな驚いた。

元夫のカナダでの仕事は事前に

片付いてしまったので急遽ハワイにしたと

言っていたけど、本当は最初から

仕組んでいたんじゃないかと思う。

服や水/着はみな向こうで調達したらしい。

今にして思うとその辺りで実子と連れ子との

間にじわじわと格差が生じつつあった。

あるとき夫の別宅マンションに泊まりでいって、

帰ってきた時の娘達の興奮ぶりが

その印象を決定付けた。



お台場の夜景が見えるとか、○○という

芸能人にエレベーターで会ったとか、

大学に行ったらそこを使ってもいいとか、

他の三人の心情を考えずに二人の娘が話すのを

聞きながら、私はどう対処していけば

良いのか頭を抱えていた。

それから随分経ったあるとき、

TVで遺書の正しい書き方という

番組をリビングで家族で見た。

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ホワイトを使ってはいけないとか

訂正印が必要とか何とか色々とやっているのを見ながら、

夫が「うちもちゃんとしておかないともめると困るな」

と何気ない感じで言った。

すると実長女が

「私たちは遺産放棄で良い」と言った。

「私たちは元父から遺産貰うから要らないよね」

と実次女を見ながらいうと、

実次女も応じるように頷いた。



連れ子は複雑そうな顔をしていたが

私は少しホッとしていた。

夫の元嫁が養育している長男も

頭数に入れると権利を持つ子供は6人。

家のローンを払い終わったとしても

6分割では殆ど何も残してやれないからだ。

たぶん夫もそう思っていたんじゃないかと思う。

しかし甘かった。

しばらくして元夫の車で帰ってきた

娘たちは神妙な顔をして私たちの寝室に来た。

「やっぱり遺産放棄はしないから」

と娘は言った。

「何かあったの?」

と私は聞いた。

「お前たちを連れていったからには、

お母さんには財産を公平に分与する責任がある。

そうでなければお前たちを送り出した俺の気持ちが報われない」

と言われたらしい。

自分の認識の甘さを恥じた。

私と夫は、大丈夫ちゃんと公平に

するから心配しないでと笑って言った。

しかし娘たちはまだ複雑そうな顔をして立っていた。

まだ何かあるのかと私は聞いた。

「俺は二人に財産を分与する為に再婚はしない。

だから俺の財産は公平に二分割されるように

ちゃんと遺書を残しておくから心配するな。

しかし一つだけ遺言を残しておく。

お前たちの今のお父さんやお母さん、

そして姉妹の為にその遺産を絶対に使ってくれるな。

全てを失って途方に暮れていたあの時の

俺の気持ちをお前たちが理解してくれるなら、

その約束だけは絶対に守ってほしい。

もし約束できないなら俺は遺産の全てを

恵まれない子供達の為に寄付する。」

大まかにいうとそう言われたらしい。

4人いる部屋の中がシンとなった。

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元夫の私たちに夫婦に対する憎悪の激しさにゾッとした。

「そんな金あてにするか!」

夫は吐き捨てるように言った。

しかし結果的に大学に進学するとき、

マンションの家賃を元夫が払う事になった。

例の豪華マンションは子供の養育に

支障をきたすと進言したら、それは確かに

そうだと彼は快く適当な部屋を用意してくれた。

家賃20万の2LDKを上の子と下の子で

ルームシェアする事になった。

元夫は異性を入れたら即解約という

念書を娘二人に書かせた。


ここ辺りで完全に実子と

連れ子の間に隔たりができてしまった。

本当は連れ子と同レベルの部屋にして

欲しいと言いたいところなのだが、

そんな事は例の言葉を聞いていたので言い出せなかった。

おかげでそれから殆ど双方で交流しなくなってしまった。

末の子は一人っ子のようになった。

次女が大学に進学した翌年夫が肝炎を患っった。

自覚症状がまったくなく会社の検診で引っかかった。

再検査しても陽性と出た。

義父が肝炎で亡くなっていたので

何処かで接触して感染したのかもしれない。

当然労災が降りる分けでもなく夫は退社を余儀なくされた。

慌てて私も調べたが私は陰性だった。

間違ってもできないように避妊具着用を

義務付けていたのが功を奏した。

家計が厳しく大した保険にも入っていなかったので

余計にやり繰りが厳しくなった。

私は途方にくれた。

自分の稼ぎは手取り30万、元夫の30万は有難いが、

家のローンや連れ子の学費や家賃を考えると全然足りない。

しかも夫の前妻が

「扶養する長男の養育費が出せないなら今すぐ財産分割して払え」

と言ってきた。

頼れるのは元夫しかいなかった。

恥を忍んで少し工面してくれないかと頼み込んだ。

案の定、君たちに与えるぐらいなら

ドブに捨てた方がマシだと突き放された。

私は何でもするからとお願いした。

彼は難しい顔をしながら暫く

腕組みをして考え込んでいた。

元夫が私を雇うと言った。

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給料は手取りで月70万。

他の社員の手前、会社で採用する

訳にはいかないから家政婦として雇うと言われた。

朝ご飯と晩ご飯、そしてお昼のお弁当、

掃除洗濯、熱帯魚の世話まで

家の中のことを全てやれと言われた。

私は夫に相談してその提案を受諾した。

しかし話はそんなに甘くはなかった。

お弁当は朝晩の残り物で作ると凄く怒られた。

70万の給料を貰ってる自覚がないと言われた。

元夫が夜8時過ぎに帰宅して晩御飯を食べて

それを洗ってから元夫の車で帰宅するという流れ。

必然的に夫を世話する時間や、

末っ子の世話をする時間が殆どなくなった。

帰りは自分の足で帰るからと拒んだが、

俺の送迎も含めて仕事だと考えろと言われた。

正直そのとき彼の意図をよく理解していなかった。

夫は元夫との男女の関係を疑うようになった。

口には出さないけど、なんとなく

そうなんだろうなという素振りを見せるようになった。

だから私はハッキリ

「仮に男女の関係を求められる

ような事があれば、この仕事は辞めるから」

と言って彼を安心させた。

彼はしばらく微熱を繰り返していたが、

その後小康状態に落ち着いた。

あるとき、元夫の友人に海外出張するので

家具一式を預かって欲しいと頼まれ、

空き部屋に運び込まれたことがあった。

手伝った後、大汗を拭っていたら

シャワー浴びてきたらと言われた。

ビクッとした。

それを見て彼は嘲笑した。

「俺は君の旦那と違って弱ってる男から

女奪い取るような卑怯なことはしないよ」

と言った。

私はうな垂れた。

毎日朝の7時から夜の10時まで働いた。

必然的に家のことは義母と

上の子たちに任せっきりになった。

あるとき突然義母から私の携帯に連絡が入った。

夫がリビングで首を吊っていると言って

泣き喚いていた。

慌てて帰ると夫は既に亡くなっていた。

(ここで改ページします)

遺書を残してあった。

「これ以上生きていても足手まといになるだけだから

先に逝くことを許してほしい。

保険金が入れば少しでも足しになるだろう。」

というような事が書いてあった。

そして最後に元夫に向けてこう書き加えてあった。



「君の心の痛みはよく分かった。

僕がこうする事で君の気持ちを少しは晴れるだろう。

責任は全て僕にある。

妻や子供たちを責めないでやってほしい。

どうか僕のタヒに免じて家族のことを助けてやってほしい。」

そういう趣旨の事が書うてあった。



私は駆けつけた元夫にそれを見せた。

「今日付けで君を解雇する」

彼はそう静かにそう言った。

ギョッとして私は元夫の顔を見上げた。

夫は能面のように物言わぬ

冷たい眼差しで私を見据えていた。

「君がした事のあがないは君自身でやるべきだ。

弱った俺を切り捨て彼と一緒に歩む決断をした以上、

俺に君を守る義理はない。

もう君に俺の子を扶養する生活力は

ないだろうから二人は俺が連れていくよ。

名前も俺の姓に変えさせる。夜の仕事でも何でもして、

残った家族を養いなさい。

あとのことは弁護士とのやり取りになるだろうから、

そっちを通して連絡してくれ。」

そう言って彼は去って行った。

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