出典: academic-box.be
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世界中にしあわせなカップルは山ほどいますが、彼らが少し懸念しているのは予期せぬ妊娠かもしれません。
このご時世、子どもができずに悩んでいるカップルや、切実な思いをもって高額な避妊治療を受けている人もいます。
愛を確かめ合うのはいいけれど、望んでいないカップルにとっての「妊娠」はすこし複雑な問題でもあります。
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「できちゃった婚」という呼び方は最近ではあまりしなくなりました。
「授かり婚」という、妊娠を喜んで受け入れるような考え方に変わりつつあるようです。
避妊していてもできちゃうことはあるみたいです。
そんな中、コンドームなどの避妊具がない昔のカップルはいったいどうしていたのか・・・。
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日本でコンドームが開発されたのはなんと明治42年!
思ったより昔にできていたようです。
しかし、避妊具としてよりもおもちゃ的なものだったそうです。
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今のようなテラックス製のものができたのは昭和9年、
本格的に普及したのはなんと昭和末期・・・!
当時は、性病を防ぐものという感覚だったようで、避妊具として使うようになったのはごく最近なんだそうです。
昭和末期って今からわずか約30年前ですよね・・・それまではコンドームは当たり前のものではなかったなんて意外です。
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江戸時代って、今とは全然違う世界のイメージで、もちろんコンドームなんて言葉すらない時代です。
明治から昭和にかけての避妊法からして、優れたものはなかったはず・・・。
もしかしたら、現代になるにつれて子どもの数が減っているのは、避妊の知識や概念が定着したからというのもあるのかもしれませんね。
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江戸時代は妊娠についての知識が乏しく、処女性についても特に気にされていなかったようです。
そのため、女性は割と簡単に男性からの誘いに応じていたため、望まない妊娠や中絶が多かったそうです。
親が決めた相手や家柄のせいで結ばれないなど、自由な恋愛ができないようなイメージがありましたが、そういうことはいまよりも自由だったようですね・・・なんだか複雑(笑)
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現代より“性”に対する考えが大らかだったといわれる江戸時代。しかし、望まぬ妊娠は避けたいもの。今ならば高性能なコンドームやピルといったものがありますが、江戸時代の人々はどのように避妊していたのでしょうか?
睦み合う男女。江戸時代、遊女などを除いて基本的にはあまり避妊はしなかったとか。(『絵本小町引』喜多川歌麿 画)
さて、江戸時代にもコンドームの原型ともいえるものがありました。それがこちら。
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これ、動物の皮で出来ています。
男性器にかぶせて使用しました。
江戸時代後期の1857年(文政10)に刊行された『閨中女悦笑道具(けいちゅうにょえつわらいどうぐ)』に紹介された「茎袋(きょうたい)」という道具。見た目はまんまコンドームです。別名「ルーデサック」と呼ばれるもので、オランダからの舶来品。舶来品なだけあって非常に高価でしたが、使い心地は悪いし、あまり効果もなかったとか……。
ほかはこんなものもありました。
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画面右が江戸時代の避妊具。
名を「甲形(かぶとがた)」。
素材は水牛の角やウミガメの甲羅(べっ甲)。
い、痛そう。
男性器の先端にかぶせて使ったそうです。
ちなみに左は「鎧形(よろいがた)」という道具で陰茎にはめて使うアダルトグッズです。こういうものが200年近い昔に存在することに驚きます。避妊具「茎袋」や「甲形」は、すぐに外れてしまうためあまり役に立たなかったようで、むしろ「笑い道具」、今でいう“大人のおもちゃ”として使われたそうです。
ちなみにですが、江戸時代にも“大人のおもちゃ”を売るアダルトショップがありました。
江戸は両国にあった「四ツ目屋」という店で、避妊具のほか媚薬や張形(はりがた)などを扱っていました。
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これは、四ツ目屋の当時の広告です(当時、引き札とよびました)。「オランダ秘法」を謳っていて、いかにもすごそう。
広告にも載っている店の看板商品「長命丸(ちょうめいがん)」はいってしまえば江戸時代のバイアグラ=精力剤で、当時人気だったようです。性の悩みはいつの時代も深刻です。
こうしたもののほかに、魚の浮き袋なんかも避妊具として使用されたといいます。
なお、国産コンドーム第1号が誕生したのは1909年(明治42)のこと。しかし、目的は避妊ではなく“おもちゃ”的なものだったようです。現在のコンドームの基礎となるラテックス製コンドームが誕生したのはなんと、1934年(昭和9)。さらにコンドームが普及するのは昭和も末期のことで、意外とその歴史は新しいのです。また、コンドームが使用され始めた当初は性病予防が目的でしたが、やがて避妊が主目的となっていきました。
江戸時代、“性”を売り物にしていた遊女たちにとって妊娠はご法度であり、避妊は重要事項でした。彼女たちはどのように避妊していたか?
現代にもある、意外なものを用いていました。
何かというと、
和紙です。
正確には「御簾紙(みすがみ)」という薄くて丈夫な和紙の一種。遊女たちはこれを口に入れ噛んで柔らかくし、ペッと吐き出し、丸めたものを局部に詰めて避妊していたといわれます。今でいうペッサリーです。
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それでも、妊娠したくないという意識はあったため、いくつかの避妊術が存在していました。
おへその下にお灸をすえるという避妊術は、堕胎のツボがあるという考え方から使われていた
ようですが、
根拠はない
んだとか・・・(笑)
気持ちの問題ですかね。
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「朔日丸」
と呼ばれる薬はひと月に1回飲めば避妊できるとされていました。
今でいうピルのような立ち位置のものだったようです。
しかし、この薬には水銀が含まれており、身体に悪いのは言うまでもありません・・・。
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耳を疑う避妊術ですが、射精した後に精子がすぐに子宮に到達することを考えると全く意味がありませんよね。
でも、当時は妊娠についての知識がないわけですから、純粋にこういう考え方があっても不思議ではないです。
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古代から中世にかけて行われていた避妊方法で、どう考えても意味がなさそうなモノを挙げると、「くしゃみをする」「ハチミツにハチを入れて飲む」「ジャンプする」「お尻を3回叩く」「男女同時に右足からベッドにあがる」などがあります。
江戸時代以外にも、昔は面白い避妊術があったのですね。
現代人から見れば「面白い」と思ってしまいますが、当時の人たちからすれば真面目にやっていたのかと思うとじわじわきますね。
効果的な避妊方法がなかった江戸時代、望まぬ妊娠をしてしまうことはままありました。その結果、「間引き」と呼ばれる乳児殺しや堕胎が行われることも少なくなかったそうです。
江戸で堕胎専門医として知られたのが「中条流(ちゅうじょうりゅう/なかじょうりゅう)」です。
中条流は、豊臣秀吉に仕えていた中条帯刀(たてわき)を祖とする外科・産婦人科の一派ですが、堕胎を行うニセ医者たちが「中条流」を名乗ったため、いつの間にか「中条流=堕胎専門医」と認識されてしまうようになり、「中条」といえば堕胎の代名詞となりました。
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画面中央の2人の女性の後ろに「中条流」の看板が見えます。その隣には避妊薬「朔日丸」の看板も。こんなに公然と宣伝されていたんですねぇ。(『絵本譬喩節』より)
どのような治療が行われていたか詳細は不明ですが、かなり強引な方法がとられ母体を害することも多かったとか。また、「中条丸」という中絶薬も当時よく知られていましたが、これは水銀と米粉を混ぜて丸めた錠剤。水銀はいわずとしれた毒物ですので、かなり危険な薬です。
このほか民間では鬼灯(ほおずき)の根を煎じて飲んだりしたそうです。なんでも鬼灯に含まれるヒスタミンという成分が子宮収縮作用があるとか。
こうして行われた中絶ですが、三代将軍・徳川家光の治世である1667年(寛文7)、幕府は「堕胎禁止令」を発布し、堕胎を禁じました。また、五代将軍・綱吉の治世にも同様の禁止令が出されました。しかし、中絶がなくなることはなく堕胎医は潜りの医者として需要に応え続けました。
性の開放化が進んだ江戸時代、効果のほどははなはだ疑問ですが、さまざまな避妊法があったんですね。いずれにせよ、女性側の負担がかなり大きかったようです。
妊娠出産は 結構命がけだったと聞きます なので 裕福な人はおめかけさんがいっぱいいて 子だくさんだったそうです 一夫一妻が明確化されたのは明治以降だそうです
そして 生存率が低い赤ちゃんは 皆の宝として大切に育てられたそうです