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「頑張って、あみを甲子園に連れて行こう」!天国の女子マネに、勝利届けたかった!

亡くなる直前まで病室でプロ野球中継を見ながらスコアをつけていた。「甲子園に行ってスコアをつけられなかったら困るでしょ」
2016/08/08 UPDATE
 
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頑張って、あみを甲子園に連れて行こう

 甲子園のベンチでスコアをつけることを夢見ていた17歳の女子マネジャーが、高校野球の福岡大会を前にした5月30日、小児がんとの闘病の末に亡くなった。彼女の思いを胸に、残された仲間たちが夏に挑む。

 舟木あみさんは古賀竟成(きょうせい)館(福岡県古賀市)の3年では、ただ一人の女子マネジャー。中学時代からの友人でエースの谷口龍貴(りゅうき)君(3年)は、投球後すぐに氷水で肩を冷やしてくれる気配りに感心していた。人一倍大きな声で選手を鼓舞するムードメーカーでもあり、最後の夏はベンチで一緒に戦うはずだった。

 小さな異変が現れたのは昨夏の大会。スタンドで応援中に背中の痛みを訴えた。元気な声が聞こえなくなり、みんな心配したが、すぐ戻ると思っていた。

 昨年12月、舟木さんは30人近い同級生の部員たちを大講義室に集め、告げた。

 「腫瘍(しゅよう)が見つかったの。悪性なんで、入院することになるかもしれない」

 目からは涙がこぼれた。

 重苦しい空気が漂った。振り払おうと主将の緒方海人(かいと)君(3年)が声を上げた。「頑張って、あみを甲子園に連れて行こう」

 今年1月、修学旅行先の東京に、闘病中の舟木さんが家族に付き添われて現れた。野球部の仲間とスカイツリーに上り、浅草寺で写真を撮った。はしゃぐ姿に、谷口君は信じた。「夏までには治る」。仲間と買ったお守りを渡した。

 しかし、病状は好転しないまま、月日が過ぎた。

 5月最後の土曜日、松永武監督が告げた。「みんなで見舞いに行ってこい」

 病室に入るなり深刻さが伝わってきた。話ができず、視線も合わせられない。それでも仲間のギャグに手をたたいて応えようとする舟木さんに、1人ずつ励ましの言葉を贈った。

 「甲子園に連れて行くから。一緒に頑張ろう」。約束する谷口君にうなずいた。「夏の大会でスコアを書いてほしい。勝ち進んで時間をつくるから絶対治して」と頼む緒方君の手を握りかえした。そう誓い合ったはずなのに、月曜日の朝、舟木さんは旅立った。

 亡くなる直前まで病室でプロ野球中継を見ながらスコアをつけていた。「甲子園に行ってスコアをつけられなかったら困るでしょ」と話していたという。

 最後まであきらめなかった舟木さんに、甲子園に行くことで恩返しをすることを誓った。谷口君は決意を込める。「どんな苦しい戦いになっても絶対あきらめない。舟木には天国から甲子園のスコアをつけて欲しい」(井石栄司)

急逝女子マネの写真、甲子園に 勝者から勝者へリレー

(7日、高校野球 盛岡大付8―6九州国際大付)

福岡代表、九州国際大付のベンチには1枚の写真があった。古賀竟成(きょうせい)館(福岡県古賀市)のチーム写真。前列中央にいるのは、マネジャー舟木あみさん。小児がんとの闘病の末、5月に17歳で亡くなった。「甲子園のベンチでスコアをつけたい」。舟木さんの夢を知った多くのチームが写真をつないで、たどり着いた。

舟木さんは、病室でプロ野球中継を見ながら、亡くなる直前までスコアをつけていたという。彼女の思いをかなえようと、チームメートは写真をベンチに飾って福岡大会に臨んだが、初戦で敗れた。

負けたけれど舟木さんの思いは甲子園に届けたい、と願ったチームメートが対戦相手に写真を託した。写真はリレーのバトンのように次の勝者へと渡り、福岡大会の頂点に立った九州国際大付へと受け継がれた。

 甲子園初戦の前夜。主将の永岡大昇(ひろのり)君(3年)が「自分たちは敗れた学校の思いを甲子園に届ける使命がある」と、写真を甲子園のベンチに持ち込むことを決めた。

盛岡大付との試合はシーソーゲームの末、6対8で敗れたが、この試合を自宅のテレビで見守った古賀竟成館の主将の緒方海人君(3年)は「甲子園に舟木を連れていってくれて、ありがとう」と感謝した。

 永岡君は「もう少し甲子園で戦えたら」と肩を落とした。福岡の球児たちの思いと甲子園の思い出が詰まった写真は持って帰り、古賀竟成館側に返すつもりだ。(井石栄司)

(10日、福岡大会 光陵10―0古賀竟成館)

 「天国から見ているなら、力を貸して」

 一回1死、古賀竟成館のエース谷口龍貴君(3年)は、光陵の3番屋久智哉君(3年)に先制2点本塁打を打たれ、ベンチに置かれたマネジャー舟木あみさんの遺影に目をやった。

同級生の舟木さんは大会直前の5月30日、小児がんとの闘病の末に17歳で亡くなった。昨夏までスタンドには元気いっぱいの舟木さんの姿があった。谷口君がマウンドでピンチの時、好機で打席に立った時、「グッチ、がんばれ」と大声で励ましてくれるチームメート。最後の夏はベンチで支えてくれるはずだった。

 最後まで病室でスコアブックをつけ続けた舟木さんに谷口君は甲子園出場で恩返しすることを誓った。しかし、その思いは力みにつながった。調子が良かったはずのカットボールを屋久君に右翼席に運ばれた。

 光陵とは4月29日にあった地区大会で同じ筑豊緑地で対戦、6対7で打ち負けた。舟木さんも病床で悔しがり、「次は勝って」と願っていた。その思いに応えたかった。しかし、続く吉村有人君(3年)にも二塁打を浴びた。「今日も打ち合いになる。抑えよう」。気持ちを切り替えて投げた、外角の直球を武内翔大君(3年)が打ち上げた。「ライトフライ」。そう思った打球は右中間スタンドに吸い込まれた。谷口君は二回から一塁に回った。

 「自分が出塁して打線に勢いをつけよう」。一回の攻撃で先頭打者で主将の緒方海人君(3年)は意気込んだが、思いは力みにつながり右飛に。二回2死一、二塁の好機にも1本が出ず、チームに焦りが募った。

 谷口君の後、2番手の手柴龍二君(3年)が追加点を許さなかったが、四回につかまった。四球を出し、1死一、三塁。一回に長打を浴びた光陵の主軸を迎え、緒方君たちがマウンドに駆け寄った。「まだまだ。絶対追いつける」と声をかけた。

 しかし、吉村君に適時打を浴びるなどして手柴君も降板。継投した鶴翔太君(3年)も打たれ、この回5点を失い、10点差に。五回コールドで、谷口君たちの短い夏が終わった。

 この日は試合後、墓前で勝利を報告するはずだった。球場の外に出た谷口君はしばらくしゃがみ込んだ後、「申し訳ない。それしか報告する言葉はない」と語り、こう誓った。「舟木は天国からちゃんと見てくれている。これからの人生、一日一日を大切にしていきたい」(井石栄司)
今までよくがんばったね。あみは最後まで強くて優しくてかわいくてみんなから愛されとったよ!
天国に行ってもずっと心友やろ?忘れんけんね。最後の日会えて本当によかった?

あみ、9年間ありがとう。17年間おつかれさま。ずっと大好き
いつも助けてくれてばっかで何にも出来んやった事がすごく後悔。 でもこれからはいつでも見守ってくれてるからあみの分までしっかり頑張るね?
本当はたくさん言わないかん事あったのに昨日も言えんでごめんね。 今日からは、あみが支えてくれてた人達をみんなで支えられるようにするね。 最高な保育士になるはずのあみの未来、

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