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【夏を目前に】お化けよりも人間の方が怖い!! 震えが止まらない実話厳選公開!!【PART10】

実体がある。触れられる。そこに本当の恐怖がある。
2016/07/27 UPDATE
 
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もしも夜道、声をかけられて振り向いた時に目から血を流している人が
いたらどうしますか?

もしも夜道、何かの死体を投げつけてくる人がいたらどうしますか?

人だと思うと、もっと怖いでしょ?

【群馬県】の山道を下ってたら突然フロントガラスに何かが降ってきて、おもいきりそれをはねた

群馬県のとあるダムに行った時の話。

パチスロで負けたので、肝試し感覚で友達と2人で車で行ったのだが、何もおこらなかった。

で、友人が運転する帰りの車の中で「何もなかったねー」みたいな会話をしながら緩やかな山道を下ってたら、突然フロントガラスに何かが降ってきて、おもいきりそれをはねた。

あまりに突然の出来事だったので何が起こったのかわからなかったが、急停止してそれを確認しようと二人で車を降りた瞬間、頭上から小さな音でカラララ…ピシャというガラスサッシを閉めるような音。


ふと見上げると崖の上に一軒の明かりがついた民家?民宿?が…どうやらあそこの住人が落としたらしい。それと同時に友人の「うひぁおぅ!」という間抜けな悲鳴。

落ちてきたのは頭が半分しかないサルだった。フロントガラスに動物の体毛がこびりついていたからたぶん間違いない。

怖くてソッコー逃げたわ。

次の日、文句を言ってやろうと同じ道を走ったが正確な場所が思い出せない。サルの死体ももうなかった。

他の友達もあまり信じてくれないし、結局泣き寝入りしたが…怪奇現象より人間がやることの方が恐ろしい事を認識した。

群馬怖えぇぜ。

26年間生きていて1番恐かった体験を書きます

26年間生きていて1番恐かった体験を書きます。

僕は4年前に入社して以来、2年間社員寮で暮らしていました。

そこは社員寮とは言っても、70年代風の普通の一軒家で、同僚のYが一緒に住んでいる以外は寮長もいない住まいでした。

仕事は24時間、3交代ですが、新人の半年間は夜勤をやらせてもらえません。話は、半年後に初めて夜勤をやったときのことです。

その日、僕は身体がくたくたになり寮で泥のように眠りました。


目が覚めたとき、昼前だったと思いますが、やけに耳ざわりな音で目が覚めました。頭がはっきりしてくると、それは声であることがわかります。

ブッ殺すぞ!
ブッ殺すぞ!
ブッ殺すぞ!
殺してやる!
ブッ殺すぞ!

絶叫する声。隣の家からです。

子供の声とも老婆の声とも判別がつきませんでしたが、とにかくすごい剣幕なのです。壁などを手当たりしだい叩きまくる音もします。キチガイじみた人が隣に住んでるんだと思い、憂鬱になりました。

次の日、会社でこの話をしたところ、有名らしく、以前この寮に住んでいた先輩も

「ああ、隣に住んでる人ね、ちょっとおかしいんだよ。そのうち慣れるから」

といっていました。確かにそれから数ヶ月は気にせずに過ごせたのですが…

ある夜、昼間の勤務を終えて寝ようとしていたところに例の「ブッ殺すぞ!」という声が聞こえてきました。

こんな夜遅くにまで!さすがに腹が立ちそうになったのですが、ちょっとおかしい。声が寮のすぐ外から聞こえる気がする。

そもそも、ブッ殺すって、誰を。

そう考えると背筋が寒くなるのがわかりましたが「自分のはずがない」と言い聞かせ、その日は寝てしまいました。

それから数日間、隣の家は静かでした。その日も僕は仕事から帰り、寮の鍵を開けて、玄関に入りました。

すぐに服を着替え、風呂に入る。疲れが体から抜けていきます。風呂から上がって、2階の自分の部屋に戻ろうと階段をのぼった、そのときでした。

視界の端に、後ろから階段をのぼってくる人影が見えたのです。

ああ、Yか。

しかし、それは違うことにすぐに気がつきました。Yはそのとき夜勤で、今は会社にいるはずだからです。背筋に冷たいものが走ります。じゃあ、誰なんだ?

僕が振り向くか振り向かないかの次の瞬間

ブッ殺すぞ!!!!!!

そこには、いつも隣の家で叫んでるあいつがいたのです。僕は前身の毛が逆立ったのを憶えています。

子供とも老婆ともつかない声のそいつは、容姿も子供のような老婆のようで、目は見開き、鼻はつぶれ、口は曲がり、とてもこの世のものとは思えませんでした。

だいたい、いつから、どうやってここに入ってきのか。混乱している僕に向かってそいつは突進してきました。手には得体の知れないものを持ってます。僕は必死の思いで

「誰だてめーは!!」

と叫ぶと、そいつは急に驚いたように玄関から逃げていきました。そしてそいつの去ったあとには、うんこのような臭いのする足跡が残されていました。

その後警察を呼び、二度とこういうことはありませんでしたが、本当に最悪な出来事でした。

今はその寮も後輩が使っていますが、いまだに階段をのぼるとき、誰かが後ろから追いかけてくる気がして恐くなります。

この話怖すぎワロタ………

今から5年くらい前かなぁ、学生アルバイトで俺はテレビゲーム屋の店員をしてたんだ。

その時店内には、店長ともう1人のバイトの人間がいた。その日は休日だったが客の入りは良くなかった。しばらく店内の雑用をこなしていたら、ツナギを来た中年のおっさんが入ってきた。

「いらっしゃいませ」

店長がそう言いきる間もなく、その男はカウンターレジにやってきた。

男「あ、あの…」

店長「はい、何か?」

男「メロン買いませんか?」

俺たち『はぁ!?』


話によると男は東北の方からやってきた業者だという。メロンを安く売るから買わないか?とのことだった。店長は最初はそんなの結構ですと断っていたんだが、そのうち男は

「じゃあ試食だけでもしてくれ。美味しかったら買ってくれ。そうじゃなかったら買ってくれなくていいから」

そんなことを言い出した。

「じゃあ試食だけだったら…」

店長が折れるのを確認すると、その男はちょっと待っていてくれ、と一旦外へ出てメロンを取りに言った。俺は何がなんだかわからず、ポカンとしていた。

正直メロンが好きじゃなかったからどうでも良かったんだが……;ただ、その男の様子がどこかぎこちないところだけは気になった。

数分後男が戻ってきた。メロン一箱とまな板、そして大きな包丁を引っさげて。さすがに刃物を見た店長の顔も固まる。バイト君だった俺も、背中に冷たい汗が走った。

そんな俺たちをよそに男は箱の中からメロンを一個取り出すと、おぼつかない手付きで、その場で切りはじめた。

その手付きはどこかぎこちない。ただメロンにすぅーと入っていくその包丁の切れ味は確かなものだと分かった。その切っ先を見ていると、なんか俺は嫌な予感がしたんだ。

「さぁ食べてみてくれ」

一口サイズに切られたメロンを口にする店長とバイト君。メロン苦手な俺も場の雰囲気に逆らえず、しぶしぶ口にすることになった。

メロン嫌いの俺が言うのもなんだが、それはお世辞にも美味しいとはいえないメロンなんだろうな。口に中に入れた瞬間にピリピリとしびれてくる感じがした。

俺だけがそんな感じかと思ったら、他の2人にとってもいまいちだった様で、結局買わないってことになったんだ。

「美味しかったら買ってくれるって話だったよな?」

そう言う男の手にはずっと包丁が握られている。目がだんだんとすわってきていた。

店長「いえ、ちょっと口に合わなかったものですから……」

男「一個3000円でいいんだ。1人1000円ずつ出せば買えるだろうに」

店長「だから口に合わなかったんですってば」

店長はほとほと困り果てた顔をしていた。そんな店長の顔色とは対照的に、包丁を持った男の顔はだんだんと昂揚して赤くなってきていた。

俺も隣のバイトも恐怖でかちこちになっていた。男の様子からキレられると言うことが余裕に想像できたからだ。

しかし意外にも「分かった」と、ものわかり良く男はそう言ったので、俺たちは内心ホッと胸をなでおろしていたんだがその後、男は意味不明な事を口にした。

「俺は帰る。その代わりメロンの箱を外まで持ってきてくれないか」

男はそんなことを言った。

持ってくる時は全部自分一人で持ってこれたやん?帰りも一人で持っていけばいいのに???その場にいた3人ともそう思っていた。

俺たちは動かなかった。男もまた、俺たちが動くまで動かなかった。

そのまましばらくすると店の中にお客さんが入ってきた。小さい子供だ。変なことになると大変なので、

「店長、俺が持ってきますよ」

そう言って早くこの男に帰ってもらうことに。俺がメロンの箱をかかえて歩き出すのを確認すると、男は後ろから付いてきた。心配になった店長がその後に続く。

店の前にはよく見かける、ありふれたバンが止まっていた。これが男の営業者らしい。

「車に積んでくれ」

男が後ろのハッチを空けると、中にはメロンの箱の山が詰まれている………かと思いきや、中はもぬけの殻で、代わりに同じくツナギを来た男がいた。目つきの悪い男だった。

「ここに置いておくよ」

なるべくその男の顔を見ないように車の中に置くと、逃げるように車を離れた。

俺の背中でハッチドアを閉める音がする。その直前に車の中にスタンバっていた男の「チッ!」という舌打ちする音が確かに聞こえた。

彼らはそのまま素直にバンに乗り込むと車を急発進させ、町の中に消えていったのだった。
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福島県二本松市に伝わるめちゃくちゃ後味悪い話

福島県二本松市に伝わる安達ヶ原(あだちがはら)の鬼婆。

昔、京都の身分の高い大臣の屋敷に乳母として奉公していた岩手という女がいた。

彼女が世話をしている幼い姫君は生まれつき重い病を患っていて、いつまでも口がきけないありさまだった。

あちこちの医者に見せてもよくならず、ある高名な祈祷師にお願いすると

「姫の病気には、臨月の孕み女の体内にいる、赤子の生き胆を飲ませれば治る」

と言われた。

何としてでも姫の病気を治してさしあげたい岩手は、まだ赤ん坊の自分の娘を置いて、生き胆を求め旅に出た。

旅の中で妊婦はいくらでもいたが、そう簡単に人殺しをするわけにもいかず月日ばかりが流れていった。

旅を続け、とうとう陸奥までたどり着き、そこで見つけた岩屋に住みつき機会を待った。

さらに時は流れ、岩手の髪に白い物が混じり始めた頃、ある日の夕暮れに若い夫婦が一夜の宿を求めてきた。見ると女のほうは今にも生まれそうなほど大きなお腹を抱えていた。

はやる気持ちをおさえ、親切そうに家に上げもてなしたその夜、女が腹痛を訴え出したので、岩手は夫を言葉巧みに遠く離れた村へと使いに行かせた。

二人きりになると、出刃包丁を振りかざし女に襲い掛かった。腹を切り開き、赤子を引きずり出すと、念願の生き胆を抜き取った。

すると虫の息となった女が絞り出すように岩手に語りかけた。

「私には幼いころ京で生き別れた母がおります。その母を探して夫婦で旅をしてまいりました。もしあなたが岩手という名の人に会ったとき、この形見のお守り袋を渡してください」

そう言うと息絶えた。

その言葉に愕然とし、お守り袋を確かめてみると実の娘の名前の「恋衣」と書いてあった。岩手は自分の娘と孫を殺してしまったのだ。

全てを悟った岩手は髪を振り乱し、岩の壁に頭を打ち付け、のたうち回って泣き叫び、とうとう気が狂ってしまった。

それから岩手は本当の鬼婆となって、旅人を岩屋に誘い込んでは食い殺すようになったという。

話によっては、戻ってきた旦那が無残な姿の妻と赤子を見て、絶望のあまりに自分も後を追って自殺したと付け加えられていて、さらに後味の悪さが追加されています。

※内容注意※東日本大震災によって心に深い傷を負った子供たち

5月頃、福島から関東に避難してきた。

それまでの地元は避難制定地域よりも、わずか数キロ離れているってだけ。数キロ先は「もと人里」で誰もいない、でも自分達の場所は衣食住していいよ、の地域。

目に見えない恐ろしいものと戦い続けるくらいなら、と転居を決意。

転居にともない、子どもは4月末まで保育所に預けていたんだけど、その保育所の登所最終日に起こったことを今から書こうと思う。

その最後の日も、変わらず朝からあずけにいった。


「寂しくなります。お世話になりました」と先生方へあいさつし、園児達へのささやかなものを渡し、いつものように子どものクラスでおむつなどを準備していた。

そこへおじいちゃん(見た目判断だが)と一緒にAくんが登所してきた。4才クラスに4月から入所した子で、何度か「おはよー」と声かけしたことがある。

その時もいつものように「Aくんおはよう」と声をかけた。するとAくんは私のところにまっすぐ歩いてきて、両手でおにぎりのようにしている手を差し出してくる。

なんだろう、泥だんご?折り紙のなにか?など色々考えているとAくんは無表情のまま、三角にしているおにぎり型の手、指と指の間からその中身を見せてきた。

知っているだろうか、カマドウマという虫を。うさぎ虫とか、ぴょんぴょん虫とか、そんな呼び名もある。鳴きもせず、音も出さず、個人的に生命力の強い虫だと思っている。

ティッシュ箱で思い切り「べし!!」と上からつぶし、死骸が気持ち悪いので旦那にとってもらおうと呼んできて、ティッシュをそっとどけるとすでにいない。え!?どこ行った!?と見回すと、天井に張りついていたり。

前に飛ぶかと思いきや、真横ジャンプもしてくるというキモさ。私はこの、はちきれんばかりの腹をした、グロテスクでちょうやく力の高いカマドウマが大嫌いだった。

Aくんの手の中には、カマドウマの中でも特大クラスに入るようなものが入っていた。

たぶん私の顔が物凄いことになっていたんだろうと思う、先生が「どうしました?」と駆け寄ってきた。まさに、その時。

はがしょっ

というような音がしたと思う。言葉に書くとうまく伝わらないけれど。Aくんは、物凄い速さで、私の目の前で、カマドウマを、食べた。

「ぎゃあああああああ!!!!」

と先生の声。Aくんの口から4本くらいはみ出ているカマドウマの足。私、頭真っ白。でも次の瞬間、私はAくんの口に左手を突っ込んでいた。

焦点はAくんに定まっておらず、ずっと床のシミみたいなものを見つめていた記憶がある。だけど、どこかで冷静な思考の自分がいて「なんとかしなくては」とも思っていた。

直視しないように視界のはしに見えるAくんをとらええながら、右手でAくんの頭を押さえ、左手の指でAくんの口の中身をかき出していた。

そのうちAくんが「うえっ、ぐぇっ」と言ったと思うと、大量に嘔吐。私の左手から肘にかけて、ゲロまみれ。

「おめぇAさ何してんだ!!」と、Aくんのおじいちゃんが私を引き離し、突き飛ばされた。そこでようやく先生方数人が間に入ってくれた。

はーっ、はーっ、となかば放心しながら必死に呼吸して、手を洗いに行ったのだが「だってうぢのばーちゃが!食べろって言っでだ~うあ~」と泣いているAくんの声が聞こえた。

その後は当時の状況など話すべきことを話し、先生達にお礼?を言われ保育所をあとにした。足が地に着かず、脳内ヒューズ飛んだみたいなまま車に乗って…色々考えた。

こんなことがあってもその場の処置は3分とかからず、次見た瞬間には主任先生の呼びかけでみんなが楽しそうに歌を歌っていたので「さすが長年の保育士はすごいなあ」とか。

おじいちゃんに突き飛ばされてひっくり返った私の格好ダサッ、とか。でも、それでも忘れられない。Aくんが無表情でカマドウマを食べた、あの瞬間の音。はみ出た足。

その一件をふくむ最近の園児について所長先生からお話されたことも。

「震災から1ヶ月…Aくんだけじゃない、たくさんの子が不安定になっている。切り刻んだ人形を持ってきた子もいた。友達の首を絞めて「苦しい?」と聞いている子も。子ども達もギリギリのところなんだと思う」

そのお話が頭から離れず、自分の子達の顔を思い出しては切なくなるばかりだった。

一変した環境、生活、ピリピリした街の雰囲気、屋内遊びしか出来ないもどかしさ。コントロールできる範囲では笑えている子ども達でも、その奥には深い傷を負っている。

そんなストレスをどうにかできるすべや思考を、子ども達は持っていない。だからAくんのようにいきなり虫を食べてしまったり…ん?と、ここでようやく所長先生の最後のお話が気にかかった。

お話のあと、

「よけいなお世話かとは思うんですが」

と私が切り出した話。

私「Aくんのおばあちゃんにはちょっとお話したほうがいいかと思いますが…」

先生「うん、Aくんちね、おばあちゃんはいないんですよ」

なんだろね、と苦笑いされていた。

スレ違い甚だしかったらすみません。ROMに戻ります。

いまだに意味がわからない不気味な一言

自殺した叔父の葬式に出た。

参列者の中に、遠い親戚の母娘がいたんだが、この母というのが脳内お花畑の西村知美みたいなキャラで、いつもカン高い声でお上品にヘラヘラ笑ってるような人。

当然葬式なんかには似つかわしくないんだが、娘から叔父の死因について聞かれて困ってるようだった。

「ねえママ、どうしておじちゃん死んじゃったの?」

「えっとね、おじちゃんは生きることが楽しくなくなっちゃったの」


みたいな会話をニコニコしながらしてた。その説明では納得しない娘が、

「どうして?どうして?」

と、しつこく西村知美に聞いてたら、西村の顔が突然、異様なほど無機質な、はにわみたいな無表情になって一言

「あんたが一番よくわかってるでしょ」

娘の「どうして?」がピタッと止まり、西村はまたニコニコ。

あれから3年ぐらいたったが、いまだに意味がわからない。

誰が書いたかわからない不気味な文

私はカレンダーに当日の予定を書き込んでいます。

その日も、今後の予定を書き込んでいました。すると、なにか違和感を感じました。よく見ると、以前書いた予定が微妙に変わっていたんです。

6/3 スーパーで日用品をまとめて火事ですか

6/11 市役所で住民票を事故ですか

6/26 11時に農協が来るので病気ですか


私は一人暮らしです。誰がこんなイタズラをしたのか分かりません。本当に不気味でした。もう29日だったので、かまわないと思い、6月分を破り取りました。

心臓が止まるかと思いました。なんと、7月の全ての日に「どんな死に方がよいですか」と書かれていたんです。

それ以降の月は怖くて見れませんでした。カレンダーは庭で燃やしました。
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【この話ヤバイ…】特殊清掃の仕事をしていたことがある【社会の闇】

特殊清掃の仕事をしていたことがあって、自分の働いていた会社は死人の出た部屋のそうじやペットの死体処理、ゴミ屋敷の撤去まで受注していた。

ゴミ屋敷の撤去、とりわけゴミの処分方法は地域によってかなり差がある。法人が家屋内のゴミをトラックに積むっていう作業自体に自治体の許可が必要だ。

けれどこの許可は地方自治体によって紙切れ一枚とトラックがあれば誰でも取れる地域から、どんなにあがいても一般企業に許可がおりない地域がある。


自分の働いていた会社は、ゴミ屋敷の撤去を受けるにも関わらず許可がおりない地域だった。そういう時に使う合法的にゴミを捨てる裏技があって、古物商や貨物運送の認可を使うようなものだ。

これはかなりグレーゾーンのやり方で、何よりこの裏技は、ゴミをトラックで運べるだけで、処分場所を確保出来るわけではなかったものだから、処分に関しては会社によって様々だった。

その頃、自分はその会社に入りたてで見習いみたいなあつかいだったものだから、どこの現場で作業をする時も社長が同行してくれていた。

ある日、ゴミ屋敷の仕事が入った時もそうで、営業担当が行った見積もりから一週間後に社長ふくむ6名で行うことになった。

作業は初日にリサイクル出来る資源や物を分け、二日目に積み込むという形で、予定通り二日目の夜にはトラック2台がびっしり埋まり現場は空になった。

社長とお客が精算を終えると、社長が「今日はお前に処分付き合ってもらうわ」と自分に言った。

他の従業員が普通車で事務所に戻った後、慣れない4t車を運転して社長の運転するトラックについていった。最初は見慣れた国道だったけれど、だんだんと曲がって細道を抜けていくうちに行った事のない工業地帯に入った。

道の両側には、何を入れているか分からない倉庫や、看板のない自動車修理屋のような物が見えていた。いかにも闇だなと周りをうかがいながら走っていると、車内にある無線に社長から連絡がきた。

「これからいく所は道は覚えなくていいし、誰かの顔も名前も覚えなくていい、あいさつもいらないから」

みたいな感じだった。

少し油断していた時に突然言われ、あせりながら無線で分かりましたと言い、背中の汗が冷たくなっていくのを感じた。

そこからさらに10分程進んだところで右に曲がったそのとたん、辺りが真っ暗になりそこは私道だと気づいた。

道の両側には何もなく社長のトラックのテールランプを頼りに進んでいった。トラックのブレーキランプが点いた所であわてて停車し、エンジンを切ろうとした時にまた無線が入った。

「エンジンそのままで車から降りなくていい」

返事をしようとした所で息が詰まった。社長のトラックと自分のトラックの間に何か出てきた。

ライトに照らされたのは70歳位の老人達だった。目の前だけで20人はいたと思う。髪はいびつにハゲていて、所々破けたシミだらけの服を着ている。男も女もいた。

自分のトラックが揺れ始めて、その人たちの数が目の前だけではないと気づいた。とっさにドアに鍵をかけ社長に無線を送った。

かなりあわてていたからよく分からないことを言っていたと思う、けれど返答はなかった。

老人達はトラックの荷台を空けると、中のごみに群がって左右に放っていき、自分のトラックの揺れもどんどん大きくなっていった。

日本の底辺中の底辺、底無しの闇だと思った。

ゴミを左右に放っていくたびに見える横顔はどれも無表情で、たまに出てくる生ゴミを取り合ってパーともグーとも取れない手で殴り合っていた。

ゴミを放る左右の場所はライトで照らされているはずなのに、不気味なほど真っ暗だった。

なぜか目から涙が出てきて作業着のヒザに額を付けて丸まった。トラックが揺れる振動と、外から聞こえるゴミを掻き分ける音が重なって、おーんおーんおーんと耳に響いた。

気がつくと音が止んでいて、頭を起こすと老人が一人だけいてこちらを向いていた。シワか煤(スス)か分からないような、ぐちゃぐちゃの顔でニィと口角を上げていた。

歯は一本もなかった。こちらに何か言っていた。口の動きは会社で見慣れた「ありがとうございました」だったと思う。

老人が道から消えた所で社長のトラックが進みだし、着いて行くとまた知らない道に出たけれど、しばらくすると見知った道に出た。

その後そこに行った事や社長とその話をしたことはなかったけれど、その日の帰りに一言だけ、あそこは合法だからと言っていた。

凄く失礼だけれど、ああなってはいけないと深く思った。


583:本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2016/07/02(土)17:58:31.29ID:gNaAzMnV0.net
死人の出た部屋とゴミ屋敷に関しては、依頼人がそこでまた住もうとしたり、中の家具や物を使おうとはしないものだから、家の中を空にする残置物撤去も合わせて受注することがほとんどだった。

自分のいた会社は契約書上はその中にある物の所有権が全て法人に委譲されるから、いざ作業を始めると必ずと言っていいほど出てくるお金や貴金属はお客に返す必要がない。

会社の社長は処分費用でお金をいただく分、思い出の品やお金は返したいという考えがあったから、営業担当や作業員にもその教えを徹底はしたけれど、実際に現場に出る作業員達は大体見つけた物は自分のポケットに入れるようだった。

自分も200万円を見つけたことがあったけれど、欲を理性で押し込めるのは本当に大変なことだった。

休日に営業担当から電話があり、市内の首吊り自殺があった2階建住宅の特殊清掃と、残置物撤去の依頼が入ったと伝えられた。

その時自分は作業員兼事務員として2年程働いていたから、現場責任者として今回の現場に当たってくれとのことだった。

ゴミの量や状況を確認すると、大体作業員4名と3日あれば出来ると分かり、それを伝えると日取りを決めた。

老人の一人暮らしで、生活費がなくなり身内にお金の無心もし、つらかったゆえの自殺だったらしくて、それを聞いて少し悲しくなった。

けれど、作業員も気心の知れた40代の先輩や、よく外注を依頼するアルバイトのおじいさんだったから、安心して計画を立てることが出来た。

作業初日に物件内に入ってみると死臭はあまりなかった。営業担当が見積もりの時に窓を開けておいてくれていたようだった。

中の家具や生活用品も電話で聞いていた通りで、そのまま2階の自殺死体があった部屋に入った。他の部屋に比べるとやっぱり死臭はあったけれど、それでもがまん出来ない臭いではなかった。

床を見るとドアの内側のすぐ下に黒とも茶色とも言えないシミが出来ていて、ドアの上辺にはヒモのすれた後があった。ドアのノブはひん曲がっていて、どうやって自殺したのかが容易に想像出来て物悲しかった。

他の作業員の方も入ってきて、「首吊りしたな」だとか言っていたけれど、手馴れた様子で使う洗剤を選び始めていた。

二日目は特に問題なく進み、先輩が件のシミを薬品で落としたり、消臭作業をしている間に、他の方と残置物を運び出してはトラックに積めていった。

三日目の午前中にはほとんどの作業が終わっていた。

庭の広いお家だったことと、塀に囲まれていたこともあって、お昼はそこで食べようということになり、先輩ともう一人が普通車でコンビニへ買出しに向かった。

外注のおじいさんと二人でのんびりお茶を飲みながら話していると、10分後位に突然おじいさんの顔色がだんだん悪くなり始めた。

顔面蒼白で脂汗を流し始めた辺りで背中を擦ってあげたけれど、そのまま吐いてしまい、ぐううと唸り始めた。

「病院にいきますか」

と声を掛けても返事がなく、とにかく唸り続けていて、救急車を呼ぼうと携帯を出したらまたおじいさんが、げえ、げえとえずき始めた。少しパニックになったけれど、背中をトントン叩いて

「吐いたほうがいいですよ」

みたいに声をかけていたら、おじいさんの口が目に付き、手を止めてしまった。口からは何かが出掛かっているようで、浅黒い物が見え隠れしていた。

おじいさんがえずく度に少しずつそれが出てきて、何回か繰り返していくうちにそれが何か分かった。それはロープだった。

全て出し切る頃には、自分はそばに立ってロープを眺めていることしか出来なかった。50cmはあるロープで先がぼそぼそになっていて途中でちぎれているようだった。

どうなったらお腹の中にそんな物が入るのか、自分にはわけが分からなかった。

大丈夫ですか?と声を掛けてもおじいさんは、知らない知らない、とあぶら汗をたらしながらうつむいていた。

それからすぐに普通車が戻ってきたので、あわてて先輩を呼びにいくと走って様子を見に行ってくれた。

後からついていくと先輩は吐き出されたロープを眺めており、少し黙ってからおじいさんの方を向いて言った。

「なんかとったべ」おじいさんはぎょっとしたような顔をしたけれど、返事はしなかった。先輩は自分におじいさんのポッケを探れと指示して、先輩はおじいさんのカバンを探っていた。

少し手で追いやられたけど、負けじと探っていたら、胸ポケットに何か固い物が入っていた。出してみると今は使われていない聖徳太子の1万円札が数枚と、指輪やネックレスが入っていた。

先輩がおじいさんの胸倉をつかんで「窃盗だぞお前」と言い、お前もう帰れ二度とくるな、っていう感じでカバンと一緒に押しやった。

おじいさんは青い顔のまま歩いていき、堀の向こうに見えなくなった。

作業が終了して事務所に戻ると、先輩が社長に出てきた胸ポケットから出てきた物を渡して事情を説明していた。ロープのくだりは説明していなかった様子だったので自分も言わないでおこうと決めた。

社長はすぐお客に電話をかけて、あった物を伝えて届けに出かけた。それから今回のことを色々想像したけれど200万円を盗まなくてよかったと思った。

とりあえずこれで特殊清掃の話終わり。

昔、拉致監禁された経験がある

付き合ってた相手が、別れた後に転勤になって、静岡に行くときに1人で行くの寂しい、結婚してやる、一緒に行こう、結婚してくれないなら死ぬ!

とか言われて、清滝トンネルを自慢のマークIIで150キロでかっ飛ばされ、そいつの家に監禁されたことがある。

国定公園の中にある、山のなか。市街に降りるのは車ですぐだけど、山道は野犬がいるし、徒歩じゃしんどいし危ない道が長くて、夜中逃げようにも逃げられなかった。

そいつの家は、家族はいなかったし、私も親とは上手く行ってなかったから舐められていたんだと思う。付き合ってた時からそういうやつだったし。


別れた後にも、私のアパートの合鍵を持ち出した上にコピーしてて家に入った形跡があり、鍵返してくれなかったら警察届ける!って言ったら返すからということで、会ったらそのまま拉致監禁。ずっと、監視され鍵かけられて閉じ込められた。

一度そいつのおばちゃんが、荷物取りにこの山の家に来たんだけど、事情を話して助けてもらおうと思ったんだけど、

「一緒に行ってやってくれへんの?」

「行ってくれるのも愛情」

とかなんとか全く話が通じない。面識はあったんだけど、以前もこの男が金に汚くて貸したり立て替えた金を返さないので困ってると言っても、

「愛情あるならしてやってぇや」

「与えるのも愛」

とか、自分は何でも分かってる、悟ってる風を装う変な人だった。ちなみにこのバーさん、バリバリの草加だったそう。

とにかく、この男の身内に頼ってもダメだとわかった。

少し前まで酪農してた家で、臭いも凄くて家の中も、家事する人がいなくて荒れきってて、布団もダニだらけでひどい目にあった。

男が食料買いに出る時に、割り勘っwと私からも金を出さそうと監禁部屋に来たときに、逃げるために一回ヤらせた。

それまでは何度か殴られたけど、させなかったんだ。でも、このままじゃほんとマジヤバいと思ったからヤらせた。

書き忘れたけど、この間は盆かGWだったと思う。

男が寝てる間に友人に電話して、山道の途中まで迎えに来てもらった。そこまでの道をしってるのはその子だけだったから。

それで逃げた。野良犬が何びきもたむろしてて凄く怖かったけど、私の気迫に負けたのか、追いかけたり吠えついたりせずに通してしくれた。

途中で、友達に拾われ、そのまま実家に送ってもらい、後は親に任せた。

まさか、親が出てくると思わなかったようで、会社に知らせる、警察に届けると言われたら、手のひら返したように謝りまくり。

鍵も返すから、頼みもしないのに、二度と現れないと念書も自ら書いて持ってきた。静岡に転勤してくれてヤレヤレでした。

後で思ったのは、拉致監禁、すごく手慣れてた。山のなかも凄く詳しい。人がほとんど通らない道も。多分、初めてじゃなかったんだと思う。

あの山や、あの近所で白骨死体とか、行方不明で何年とか聞くとあいつじゃないのかなって、今でも思う。

私、体重120キロのデブ女でゴミ屋敷に父親とふたりで住んでる。

怖い話するね。

私、体重120キロのデブ女で、ゴミ屋敷に父親とふたりで住んでる。

この父親に関して怖い話がいくつかある。父親は私と違ってごく普通の体型の60歳のおじさん。

たまに、ゴミ屋敷の我が家には父の知り合いとか友達が訪ねてくるんだけど、そのときになぜか変なことが起きるんだ。あ、ちなみに私に友達や知り合いはいないから私の客は来ない。

はじめのうちは、その父親の知り合いや友達は普通に会話したりお茶を飲んだりしてるんだけど、だんだん様子が変になっていって、声が大きく怒ったようになっていったり、父親や私を非難するようなことを言うようになるんだよね。

それが1回や2回ではなく、来た人の大半がそんなふうになる。

怖いよ

はじめはにこにことしゃべってるおじさんが、だんだんヒートアップしてきて

「山田家の人間はこういうところがだめだね!山田家はもうこんなゴミ屋敷で仕方ないね!」

って延々と説教を始める。
女のおばさんの場合でも

「あんたらはどうかしてる!もっとちゃんとしなさい!この家はもうあんたたちで終わりだね!この馬鹿どもが!」

て大声をあげる。

で、たいていの人が怒って家を去っていく。ひとりでしゃべってひとりで怒ってひとりで帰っていく。

で、またこのゴミ屋敷に用があってやって来る。またひとりで怒って帰っていく。こんなことが何度も何度も起こる。

あ、ちなみに我が家はたしかにゴミ屋敷だけど、客間とトイレと廊下と風呂場はわりときれいにしてる。車庫と台所と、私と父親の部屋がやばい。

私の部屋にはお菓子やアイスのゴミの入ったビニール袋がいっぱい。あとホコリや髪の毛やペットボトル。

父親の部屋はもっと混沌としてる。なん十冊もの古雑誌、会社や町内会の十年以上前の書類、父の学生時代の教科書、ノート、文房具、その他あらゆるゴミゴミゴミ。

私も父も片付けることができないし、片付ける気力もないし、あと散らかってるほうが落ち着くからゴミまみれなんだよね。

で、話をもとに戻すけど、今まででいちばん恐くてやっかいで、記憶に残ってるお客さんがいるんだよね。

そのひとは父とどういう関係か忘れたんだけど、50代くらいのひとだった。仮に佐藤さんとする。

佐藤さんは、お土産に父の好きなお酒や魚のひものを持ってきて、にこにこ笑いながら父と話してたんだ。

私の作った手料理を食べてほろ酔い気分って感じだった。はじめのうちは。佐藤さんはだんだんだんだんヒートアップしていった。

いやー山田家はほんっとにだめだね!

山田家の人間は仮面被ってるね!

本当の姿を見せないね!

表面だけの付き合いだね!

上っ面だけだね!

それが山田家の特徴なんだろうね!

本当に仕方ないね山田のうちのもんは!

どうしようもないね!

だめだね!

そんなことを、延々と、延々と繰り返した。父はただ仕方なさそうに笑って佐藤さんの話を聞いていた。父は気が弱いたちだから。

私は台所にいて、佐藤さんの大声と、父の、はあ、はあと言う声をきいてた。内心はらはらしてた。で、佐藤さんは急に、黙りこんだ。しーんとなって。どうしたんだろうと思ったら、

帰る!!

と子どもみたいな調子で、叫んだ。佐藤さんはどすどす足音を立てながら玄関まで来たから、

私は「ああ、もうお帰りになるんですか」

といいながら後を追った。佐藤さんは玄関を3、4歩出て、くるっと振り替えってこう言った。

「もう、山田家は終わりだね」

その一言が、本当に残念そうな、むなしい感じのする一言だった。佐藤さんは、それきりもう二度と我が家に来ることはなかった。

いま、父に佐藤さんのことを聞いた。父と高校時代の同級生だったらしい。父は農林高校の土木科を出てる。

父とふたりで、話し合ったこともある。

どうしてうちに来るひと、みんなみんな変な風になるんだろうね。なんで怒るんだろう。どうしてみんなわけのわからないこと言うんだろう。

どうしてだろう、たしかに我が家は壊滅的だよ、ゴミ屋敷だしボロ家だし、母親と他の兄弟は離婚して出ていったし、私は働いてないし。

父は定収入で大酒飲みのアル中。近所親類からは哀れみの目で見られてる。

でも、来た人来た人みんな怒るのはなんかあるんじゃないか。目に見えない原因が。なんか、あるのかな、霊的なものとかが。

【包丁】ある日客が激怒しながら事務所に怒鳴りこんできた

仕事で1度怖い思いしたことあるわ。

珍しく店長が遅刻してたある日、以前取り引きしたお客の、スズキさん(仮)が激怒しながら事務所どなりこんできた。

店長を出せってわめいててビクビクしながら、店長は今外出してますから、って言いながら話を聞いたら

「毎晩店長がその人の家の天井から悪口言って嫌がらせしてくる」

って言うのよ。あ、これ糖質だなってすぐ分かったから、そこからずーっとスズキさんが落ち着くまで2時間くらいあやまって、なんとか帰ってもらった。


ようやく出社した店長も当然心当たりあるわけない。

スズキさんの家族の携帯知ってたからこっちから電話して、事情を説明したんだけど、ご家族にはそんなわけない、とかしかられて、話にならずその日は終了。

翌日スズキさんのご家族が、スズキさんは入院させました?って謝りに来た。

昨日あんなに否定してたのに何で、ってたずねたら、スズキさんの部屋調べたら店長の名刺がズタズタにされてたのと、スズキさんのバックから包丁が出て来たのが決め手だったらしい。

問い詰めたらスズキさんは店長殺る気満々だったんだと。

あの日たまたま店長が遅刻してなかったらどうなってたことやら。ちなみに店長はノロ感染でトイレから出れなかっただけらしい。

その翌年も店長がノロわれると、みんなでなんか来るんじゃないかって警戒しまくったわ。

脳死患者の病室からなぜかコールが入ってくる

看護師やってんだが、昨日の夜勤でおっそろしい場面にあったので書き込む。

同僚が、脳死患者の病室から誰もいないはずなのに(脳死の人以外)コールが入ってくるので、なんかおかしいから注意してー、と交代で休憩室に入ってきたんだが、交代してすぐにコールが入って見に行くんだが異常なし。

こりゃおかしい、と懐中電灯持って病室で隅々まで確認して、ベッドを見ると患者がジーっとこっちを見てたんだよ…


脳死でも目が開くことはあるが、何も視点をあわせないはずなのに、こっちの目を見てくる。

意識あんのか!?ってあわてて医者呼んでみたが、たまたまこっちを見たんでしょ、とコール押せない場所にボタンを下ろしてひとまず落ち着いたんだが。

同僚と話をするとどうもその患者、医療ミスで脳死になってしまったらしいのだが、そもそもなんでボタンを認識してるんだ…

と微妙な話ですが終わります、脳死患者特有の目というのはやっぱり慣れない。

【後味悪い事故】満面の笑みの母親

もう二十年以上前の話。

小学校の通学路に私鉄の踏切があった。開かずの踏切として有名で、遅刻しそうなタイミングで引っ掛かるとほぼ100%アウトなので、多くの子どもが危険を承知で遮断機の下を通りぬけようとして事故に遭い死ぬ事件が毎年のようにあった。

私が覚えているだけで小学校六年間で5人の子どもと、2人の大人が死んでいる。

特急が停まる駅の近くの踏切なので、列車の速度が他の踏切より遅く、一見通れそうに見えるのが原因らしい。


そのせいか、列車と衝突しても交通事故ではねられたみたいな感じになるのが多く、回送列車に撥ねられて首が吹っ飛んだ人以外は、バラバラな死体とかはなかった。

当然小学校では、校長先生や教師連中は口を酸っぱくして「そこは危険なので決して潜り抜けないように」と指導していたが、言う事を聞かない子どもは一定数いるのは仕方のないことだった。

最近は色々対策されたようで、ここ十年で死んだ人は二人だけだが、未だに危険なのは言うまでもない。

当時、知恵遅れと健常者の中間ぐらいの子がクラスにいた。C子という名前だが、クラス内でいつも成績がビリだったので色々な蔑称(べっしょう)で呼ばれていてかわいそうだった。

でも、本人は馬鹿にされていることを気にした様子もなく、いつもニコニコしていた。

C子の家は私の家の三軒隣だったので、時々一緒に登校することもあった。たまに、C子の母親から「C子を頼むわね」なんていわれたりしていた。当時、C子には五歳ぐらい年下の弟がいて、その子とも一緒に遊んだ事もある。

C子は知恵の関係か、母親のいう事を聞かない(というか理解出来ない?)場合が多かったので、この踏切でもいつか事故を起こすのじゃないかとひやひやしており、私もそう感じていたのでよく注意していたのを覚えている。

大抵の子どもは遅刻が嫌で遮断機を潜るんだけど、C子は何を考えているか不明なまま潜る事があったので、特に怖かった。

ある朝、私が学校に行こうとしたらその踏切でC子が血まみれになって倒れていた。一人で通学中にはねられたみたいで、頭から血を流していたが意識はほとんどなかった。

誰かが救急車とC子の母親を呼んでいたので、すぐにC子の母親が飛んできた。救急車が来るまでの数分間、C子の母親が血まみれのC子を抱きしめて

「この子はなんでこんな…」とか「しっかりして」

とか色々いいながら涙を流していた。救急車が来て、C子とC子の母親が乗り走り去った。

その救急車に乗り込む時のC子の母親の表情…涙は流していたけど、満面の笑みだったのが未だに忘れられません。デスノートでLが死ぬ時の八神月の顔みたいな。

ちなみに、いつも誰かと一緒に通学するC子がなぜその日だけ一人だったのかは不明です。

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