出典: ares-news.com
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世界各地で何世紀にも渡って
船乗りが目撃してきた幽霊船ですが、
航海していると突然、目の前に現れる幽霊船は
悪いことが起きる前触れだとも言われています。
これだけ科学が発達した現在でも
海にまつわる謎は計り知れません。
乗組員が奇妙な失踪を遂げ未だに解明されていない
謎に満ちた幽霊船を紹介します。
1775年8月11日、
グリーンランド沖を漂流する難波線が
捕鯨船ヘラルド号により発見されました。
その際、ヘラルド号の船長と乗組員の5人で
難波線の内部を調査しました。
その驚くべき光景は、
船内が時間ごと凍り付いていたのです。
船室のベッドには28人の乗組員、
デッキでは火を起こそうとしたままの男性、
窓際の椅子に座った女性、
そして船長室にはデスクに座り航海日誌を広げた船長。
全員が氷漬け状態で亡くなっていました。
それはまさにもの凄い冷気が
一瞬で全てを凍らせたような光景でした。
あまりの恐怖にヘラルド号の乗組員は逃げ出し、
船長も航海日誌を回収しただけで捕鯨船に戻りました。
氷漬けの難波線はそのまま
大海原の彼方へ消えていったそうです。
シー・バード号は1750年、
アメリカのロードアイランド州に
流れ着いた商船とみられています。
船には人間の姿はなく、
犬と猫だけが残されていました。
人懐っこい性格で船の調査する人たちに
嬉しそうに走り寄って来たと言います。
船の調査を終えると
いくつかの手がかりが発見されました。
ストーブの上にはコーヒーやコインが
置かれたまま、朝食の支度がされており、
まだタバコの残り香もしていました。
船には災害や反乱があった形跡もなく、
誇りがないほど掃除も行き届いていました。
乗組員消失の唯一の手がかりは
航海日誌に書かれた最後の
「ブラントン岩礁発見」というものでした。
船の救命ボートも無くなっており、
ボートと乗組員は永遠に消えたまま
行方がわからなくなっています。
1884年8月、
レゾルベン号は別の船によって発見されました。
船からは何の応答もなく、
乗組員たちが船に乗り込んでみると
船内には何のトラブルの兆候もなく、
最近まで誰かが住んでいたかのように見えたと言います。
ギャレーには灯がともり、テーブルには
食事の用意がされていましたが、
それを食べる人間はいなかったのです。
ただ、唯一の手がかりは船長が蓄えていた金貨と
救命ボートが無くなっていたということです。
1914年にスウェーデンで建造され、
ハドソン湾会社が所有していた
1322トンの鋼鉄製蒸気貨物船。
カナダ、ノースウエスト州湾岸の
ビクトリア島に住む、イヌイットとの
毛皮と食料の交易に使用されていました。
1931年10月1日、
交易航海の終わりころに毛皮の貨物を積載していた
ベイチモ号は叢氷に閉じ込められてしまいました。
乗組員はあっさりと船を放棄して
氷上を2日かけてバロー市へ避難しました。
2週間後の10月15日、
ハドソン湾会社は飛行機を飛ばし、
22名の乗組員を救出、残りの15名の
乗組員はベイチモ号の船内に残りました。
残された乗組員たちは氷が溶け
冬が終わるまで待つつもりで少し離れたところに
木造のシェルターを建て生活しました。
11月24日、辺り一面に激しい
ブリザードが吹きましたが、
半日程が経ち、天気が回復すると
ベイチモ号は跡形もなく消えていました。
ベイチモ号の最後の目撃記録は船は放棄されて
38年後の1960年に
イヌイットのグループが発見したそうです。
2006年、アラスカ州政府はまだ海上にあるのか
沈んでしまったのかに関係なく
北極海域の幽霊船ミステリーとベイチモ号の
居場所解明プロジェクトを開始しました。
しかし、未だにベイチモ号の発見報告はないそうです。
2002年10月、中国船籍のハイ・エイム6号は
台湾を出港しました。
2003年1月にオーストラリア付近で
乗組員がいない状態で発見されました。
なぜこの船が放棄されたのかは一切不明で
食品も良好な状態で貯蔵されており、
移民が密入国を企てた様子もありませんでした。
しかしその後、
唯一の生き残りとなる乗組員が発見され、
再びニュースとなりました。
その乗組員によれば船長と
エンジニアの2人が乗組員全員を殺害し、
2人は自分の国に戻ったということです。
この殺人事件の背景は謎のままとなっています。
デ・バッテン、ピーター・タンステッド、
ジョン・タンステッドの3人が乗船していた
3人乗りの小さなヨット、カズ2号は
2008年にオーストラリアの海岸で
無人の状態で発見されました。
ヨットの帆は裂け船内にはまだ動いている
ノートPCとコーヒーが入ったカップが見つかりました。
検死官はまず1人がプロペラに絡まった釣り針を
ほどこうとして海に落ちたそうです。
別の乗組員はその彼を救おうとして
巻き込まれて海に落ちました。
3番目の乗組員が彼らを助けようと
ヨットの向きを変えましたが、風向きが
不意に変わりヨットの帆台に打たれて
彼も水の中に落ちたといいます。
この推理は道理にかなってますが、
実際には一体何が起きたかわからなかったそうです。
ルナティック号は72歳の
スロベニア人ジュア・スタークの船。
彼はある記録達成を目論んでいました。
それは
スタークは経験を積んだ船乗りで
1991年には世界一周旅行を行っており、
その冒険についての本も4冊書いていました。
ルナティック号には無線機も備えられていましたが、
2009年の1月1日に彼は突然応答を断ちました。
その後ボートは通りかかった船によって
見つけられましたが、ルナティック号には
嵐による多くの損傷があり、
船後部にあるはずの緊急ボートはなくなっており、
その後も発見されることはありませんでした。
2015年、日本の海岸付近で
死体を乗せた謎の木造船11隻が
相次いで見つかりました。
ボートの状態からして彼らは長い間海を
漂っていたようであったそうですが、
それぞれの船には死体(計22体)があり、
ある死体は首を切られ、
1つのボートからは6個の頭蓋骨が見つかりました。
唯一の手がかりは1隻のボートに書かれた
「朝鮮人民軍」というハングルと
別のボートから見つかった北朝鮮の国旗の一部でした。
一説によれば軍の無理な漁業推進による海難事故、
もしくは脱北者とも考えられるが、
実際に船で何が起きたのかは謎のままです。
2016年、地元のフィリピン人漁師が
風雨に曝されたままの操縦している
人間が見当たらないヨットを発見しました。
船内を調べるとドイツ国籍の
マンフレッド・フリッツ・バヨラット
(59歳)がラジオの方に手を伸ばし、
机に突っ伏した姿で死体となっていました。
死因は心臓発作で彼の体がミイラ化
していることは素人目にも明らかでした。
彼は2009年から行方不明になっていたので、
数年間海を漂っていたことにより
ミイラ化したものと初めは推測されました。
しかし、検視結果は驚くべきもので
バヨラットが死んだのは
わずか1週間前であったといいます。
たったの1週間でどうやって彼の身体が
これほどまで黒くなり、ミイラ化したのか
誰にも説明できないそうです。
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