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【衝撃】江戸時代のお風呂事情がヤバすぎる!?嘘のようで本当にあった話・・・

【衝撃】江戸時代のお風呂事情がヤバすぎる!?嘘のようで本当にあった話・・・
2018/01/12 UPDATE
 
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銭湯

最近は昔ながらの風情ある銭湯も姿を消し、「スーパー銭湯」なる施設が多くなってきていますよね。

今のスーパー銭湯では、岩盤浴やサウナなどいろんなお風呂が楽しめますが、江戸時代のお風呂事情がヤバすぎる!と話題になっています。

嘘のようで本当の話

江戸時代では、水道は引かれていましたが、水はとても貴重でお風呂を沸かすのに必要だった薪も高価だったため、内風呂を持っている家庭は、ほとんどなかったそうです。

そこで利用されていたのが、銭湯なんです。昔の銭湯は混浴だった‥なんて話もありますが、その実態は‥。

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銭湯の呼び名と頻度

銭湯は江戸時代では、「湯屋」や「風呂屋」と呼ばれていたそうです。

また江戸時代の人はお風呂が大好きで、朝風呂して仕事後にまた入るといったように少なくとも2回は入っていたそうです。

これは関東特有の強風や湿気の影響で、すぐに身体が汚れていたからともいわれています。

入浴料金

当時の入浴料金は、大人は8文(約120円)、子供は6文(約90円)ほどで、お蕎麦1杯分の値段の半分だったとか。

また「羽書」というフリーパスまで存在していて、1ヶ月148文(約2200円)で入浴し放題だったそうです。

そして、江戸初期の湯屋には綺麗な女性がたくさんいた、といわれています。彼女たちの役目は‥。

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湯女

湯屋には綺麗に着飾った女性たちがいて、彼女たちは「湯女(ゆな)」と呼ばれていました。

彼女たちの役割は、背中を流したり着替えの手伝いをする、そして時には性的なサービスもしていたそうです。

遊郭にも引けを取らない!?

なので、お風呂が好きというよりは、女性狙いで通っていた男性も多かったかもしれません。

しかも、江戸時代初期の女性の数は男性よりも圧倒的に少なかったのだとか。

ですが、ある出来事をきっかけに‥。

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地震がきっかけ

1707年に大地震が起こったことによって、湯女の人気は低迷。

その結果、湯女のいない入浴専門の湯屋となったそうです。この地震がなかったら、もしかしたら‥w

入浴スタイル

江戸時代の湯屋では、混浴が一般的でした。これは全国的なもので、当時は「入込湯」と呼ばれていたそうです。

1791年の寛政の改革を始め、何度か混浴禁止令が発令されました。

ですが、経済的な理由などで明治新政府によって全滅するまで続いていたそうです。

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入浴方法

江戸時代の湯屋の湯の温度は、推定47度ほど。

この熱湯風呂に浸かって限界まで我慢してさっと上がる、それが江戸っ子の粋だったともいわれています。

当時は水が大変貴重だったため、何度も繰り返して使われ汚れたり濁っていても、気づかなかったとか。

江戸特有の文化

女性は上がり湯を浴びて、帰ろうとなるのですが、男性にはお風呂後のお楽しみがありました。

もともと湯女がいた頃にサービスを行うためにあった座敷が、男性専用の休憩所へと変化したのです。

男性たちは入浴料と別に10文(約150円)を払って、将棋や囲碁をしたり読書をしたりと、思うままに過ごしていたのだとか。

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湯屋で除毛

身なりにとても気を遣っていたという江戸っ子は、ふんどしから陰毛がはみ出さないように熱心に湯屋で除毛したそうです。

当時は日常的なことで、どの湯屋にも毛抜きが置かれていました。また「毛切石」なるものもあって、2つの石で毛を挟んで擦り切っていたのだとか。

ご法度だったこと

除毛までできる湯屋でご法度だったことは、髪を洗うことでした。

江戸時代の風俗百科事典「守貞謾稿」によると、女性は月に1〜2回の頻度で自分で洗っていました。そして、男性は数日に1回のペースで「髪結い所」で手入れをしてもらっていたそうです。

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