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洒落にならない怖い話を集めてみた「過食の姉」「漆黒の目」「顛末」など多数

姉が自殺したあと、日記を読んでみたら…。
2016/08/19 UPDATE
 
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過食の姉

私の姉の話で、私自身が体験した話です。

私の姉は過食症でした。
高校二年の頃から姉はよく食べるようになりました。
元々よく食べる方だったのですが間食も増え、一回の食事の量は二人前は当たり前。
自発的に運動は少ししていたようですが食欲は増すばかりで今まで標準体型だったのが3年の夏にはどうみても肥満体系に。
それが過食症だと私は薄々気づいていたのですが家族(特に母)はほとんど姉に関心がなく、見てみぬふり。
姉は大人しい性格で母や父のせいもあり学校や友達の話などほとんど語りませんが、学校での成績は中の中、運動神経は中の上
友達は少人数ながらも良く家に連れてきたり遊びにいったりと充実した様子で、誰に対してもいつもにこにことして良く接していました。

ですが、夏ごろになるとそれが顕著になり私が心配して「お姉ちゃん、大丈夫?」「ちょっと食べすぎだよ」と言うと
「え?何が?大丈夫だよ」「大丈夫、あとで運動するから!」と笑ってはぐらかすようになりました。
母はと言えば、丸々太ってもなお際限なく食べる娘が醜くなったのか「お前は家を食い潰す気か!それ以上その食生活続けるなら家を出て行け!」
と怒鳴りつけてしまいました。
姉は少し悲しそうな顔をしましたが反論することもなく、次の日からすっぱりと普通の食事量に戻りました。
一週間経っても何事もなかったかのようにその食事を続けていたので私も「あれ?過食症ってこんなにあっさり治るんだ」と思いました。

しかし、そんな簡単に治るものではありません。
それから2週間程経った8月の夜中1時過ぎ。私は寝苦しさから水を飲もうと二階の自室から一階のリビングに降りていきました。
私は癖で電気を点けずに歩いていたのでリビングでライトを点けようとした時、奥のキッチンから物音と人の気配が。しかもうっすら明かりが。
えっ、もしかして強盗?と思い用心してライトは点けずにキッチンの方に向かうとそこに居たのは強盗ではなく姉でした。

姉は半開きの冷蔵庫の前に座り込み一心不乱に何かを食べていました。くちゃくちゃとガムを噛む様な音がしていましたがライトを点けると
それが何かはすぐに分かりました。生肉です。母が買っていた、焼いてない生の牛肉でした。
しかも食べていたのは生肉だけではありません。座り込んだ姉の周りは鶏肉、生の野菜、ハム、生卵、マーガリン、ソースやマヨネーズといった調味料
後ろの引き出しも開けられており乾物類やホットケーキミックスなどの粉物なども散乱
そして姉が吐いたと思われるおびただしい量の嘔吐物が床一面に広がっていました。
私はパニックになりながら「お姉ちゃん!何やってるの!?何食べてるの!!!どうしたの!!」と姉の肩を掴んで慌てて生肉を取り上げると
見たことも無い、完全に正常ではない目つきで私を見て「ん?あー、大丈夫。あはは。大丈夫」と口調だけはいつもと同じ、何気ない返事でした。

どうみても壊れた姉に恐怖が限界を超え私は泣き叫びました。
助けてやお母さんと言う言葉も出ずただ泣いているとそれを聞いた父と母が飛んできて
「何これ!?あんた何やってんの!!」「おい、どうした!」と口々に説明を求められましたが私は泣き続け姉も以前と同じく少し悲しそうな顔をしてだんまり。
その後また吐き戻した姉を見て急いで地元の病院に駆け込み。直ぐに姉は胃洗浄され処置を受けましたが当然お腹に菌が入り回復するまで入院+治療。
母も父ようやく娘の異常性を認めたようで入院、退院後はそれまでの放任が嘘だったように姉の事を気にかけるようになりました。
姉はというと暴れたり暴言を吐くわけでもなく、その後もただ前と変わらずにこにこと私達に接していました。
今までの異常性については「自分でもおかしいと思ってたよ」「ごめんなさい」と認める発言もあり精神的な面の治療も順調でした。
姉は進学の為勉強に励み、私も以前と同じ生活、少し優しくなった母と父とでありふれた日々を過ごしていました。
そして数ヶ月が過ぎた冬、

姉は自殺しました。

突然でした。その日は日曜で、姉は朝から夕方まで友達の家に遊びにいっていて、帰ってきて少しして「ちょっと友達の家に忘れ物したから取りにいってくる」と出かけたのが最期でした。
その前日も、出かける前も、姉には何の変化はありませんでした。以前より少し明るくなった事もあり何の違和感もありませんでした。
家から少し歩いたところにある山中で、木にロープをくくり付けて首を吊っていました。倒れた足台のそばに「ごめんなさい」と書いた遺書を残して。

それから葬儀など色々あり、姉の部屋はあまり触られずあの日のままにしていました。
落ち着いた頃、父母と話し合い姉の部屋を片付けようということになりました。
私が押入れの中を整理しているとごちゃごちゃに押し込まれたぬいぐるみやいらなくなったものの中に三冊のノートが隠されていました。
質素な表紙には何も書いてなく、私は何気なくページをめくりました。

そこには、
「今日は○○を食べた。○○も食べた。××へ行き○○も食べた。もちろん大盛り。あーお腹痛い」
「アレがまた私の話を無視する。あのグズの話ばっかり聞きやがって。早くしねよ」
「いつもいつもいつも同じ場所に集まって気持ち悪い。虫以下。蟻以下。トラックとか突っ込んでこい」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああしねしねしねしねしねしね」
など、自分が何を食べたかなどの詳細な記載。私達家族、学校やその他の関係者達の事細かな言動や恨み辛みなどが赤いボールペンでびっしりと書かれていました。
日記だったようで、ほとんど毎日全部のページを埋め尽くすほど書かれており、一番古い日付は姉が高校を入学した日でした。
さらにその一番古い表紙の裏には「まだ六冊あったけど燃やした」と書いてありもっと以前から書いていた事も示されていました。
姉が死んだ最期の日の日記は、日付とページの真ん中に園児がらくがきしたような絵柄で自分がにっこりと笑って首を吊っている絵が描かれていました。

以上が、姉の話です。
今では私も両親を恨んでいます。そして姉があんな末路を辿ったのはきっと私にも責任があります。
なので私もいつか姉と同じ死に方を選ぶつもりです。

目が合う女

先週の話
電車に乗って帰ってる時に外見てたら急に空中を何かが横切ったのね。
何だ、と不思議に思い目だけをそっちに向けた瞬間に前の座席の
一番端に座ってた女と目があったんだよ。
で、何故か知らないけど、心臓が止まるぐらいにびっくりして
直ぐに前を向きなおしたんだ。
別に顔も普通で服装も普通の女の人なんだけど、心臓がドキドキしてきて
妙に気になり始めた。
勿論恋のドキドキとかでは無くて、何か得体のしれない感じだったのね。

それからとりあえず20分ぐらい端の女を気にしつつも見ないようにして
外を見てたんだよね。
そしたら再度何かが空中をスーって横切ったのよ。だから目がスーって自然に
追いかけていった瞬間、さっきの女が斜め前に立ってて目が合ったのよ。

その顔が無表情で目が真っ黒でじーっとこっちを見てるもんだから怖くなって
俯いたのね。
その瞬間にその女が走ってこっちにきてさ、目の前に立ったの。
動揺しまくった俺はどうすればいいのかわからず、聞いてた音楽を止めて
その女を見上げたんだよね。
そしたらその女が顔近づけてきて
「連れて行こうか?」って聞かれたのよ。
あまりの怖さに直ぐに席立って横の車両まで逃げて
次の駅で降りたんだけど、怖くて怖くて。
数分後落ち着いてきてあたりを見渡したらその女が居なかったから
次に来た電車に乗ったんだ。

そしたらその電車で人身事故が発生。
誰か飛び込んだらしいんだ。
その瞬間に窓の外にさっきの女と似た服着た体が転がってるのを発見。
中はパニックでおばさんとか女子高生とか叫んでたけど
俺も叫びたくて叫びたくてどうしようも無いぐらいに怖かったわ・・・。

顛末

昔プールバーで働いてたんだけど、ある時オジサンが来て「ここに○○こなかったか」とか
聞いて回っててアブねー奴だから追い返そうと思ったら一人の常連が外に連れ出してたんだよ。
その常連はちょっとツッパってるオジサンだったんで、ケンカになったらまずいなぁと思って
ゴミ出す振りして追いかけたんだよ。
んで外でたら常連のほうが「すんません」って連呼してるの。
おいおいマジかよ、もうケンカが終わったのかと思ったらキチガイジジィのほうが
包丁かナイフ?持ち出してるわけ。
二人の距離は3~5メートルくらいだったかな。これ以上キチガイが近づいてきたら
持ってるゴミを投げつける準備をしてたんだけど、キチガイは「おちょくるんじゃね~XXXXX」とか
奇声を発してそのまま車に乗り込んでたけど、中に女児2名いたのが見えて
「親がキチガイとか大変だな・・・」って安易に考えてた。
キチガイはどっかいったし、まぁいっかと思って、俺は警察に連絡しなかった。
常連もみんな「関わらなくていいんじゃね?警察来て店閉まるのは困るわ」って言われたから。
そんで俺も安易に「まっいっか~」と思ってた。

そしたら翌日、新聞に「長女(次女だったかも)刺されて死亡。潮崎町。」
みたいな見出しで新聞が出てた。んで読むと、妻が夜逃げして旦那が探している途中
子供1人を刺し殺し、自首ってあった。

違う事件かも知れないけど、自分が通報してたら起きなかった事件かもと思うと
かなりショックを受けたね。

漆黒の目

今から語る話は、僕の母がまだ若かった頃体験した実話だ。いや、実話らしいとでも言っておこうか。あまりにも現実離れしているから、僕も今まで、誰にも話していないくらいだからね。だって話したところで、たぶん誰も信じてくれないだろうから。
僕の母は若い頃、開業医の兄のもとで看護婦をしていた。
なので、話の中で看護婦と言えば僕の母、先生と言えば母の実兄の事だと思って下さい。

当時の医者は、現在のように役割分担がはっきりしていなくて、来る者は拒まず、皮膚病患者から妊産婦まで何でも診ていたらしい。
ある日の夕方、頭に大怪我を負った女の子が医院に運ばれて来た。
運んで来たのはその娘の父親で、まさに半狂乱の状態だったという。
先生は一目で(これは到底助からない)と思ったが、出来る限りの手は尽くした。が、その子はやはり助からなかった。
娘の亡骸にしがみつき号泣する父親。看護婦はただオロオロするばかりだ。あまりにも哀れで、怪我の理由を聞く事も出来ない。
先生も看護婦も、その親子とは顔見知りだった。いや、顔見知りも何も、その娘を母親の胎内から取り出したのは他ならぬ先生だったのだ。
看護婦は、泣き喚く父親を呆然と眺めながら、いつも手をつないでいた親子の姿を思い浮かべていた。


その親子は、犬神すじとして、町の者から嫌われていた部落の人間だった。
今では考えられない事だが、差別の対象となっていたその村の出身者は皆、犬神憑きだとされ、町の者から忌避されていたのだ。

先生は元来物欲のない人で、貧しい者からは一切金を受け取らなかった。ただし無償で診察していたわけではなく、「秋には少し米を分けてくれや」とか「美味い肉楽しみにしてるで」とかで済ましていた。
そんな人だから部落の者からの信望は厚く、一度医院が火事になりかけた時も、消防団よりも早く彼らが駆けつけ、ボヤで済んだ事もあったらしい。

突然、号泣していた父親が立ち上がる。
「先生、俺、絶対許さねえ!みなごろしにしてやる!!」
そう叫ぶと、娘の亡骸を残したまま医院を飛び出した。
単純に不慮の事故だと考えていた先生は(まずい!)と思ってすぐに後を追った。

看護婦も外に出て、何としてでも父親を止めたかったが、さすがに遺体を置きっぱなしには出来ず、先生を待つ事にした。
先生は1人で戻って来た。必死で探し回ったが結局見つからず、家まで行ったがもぬけの殻だったらしい。
先生は仕方なく警察に連絡した。が、警察にしてみれば、殺しに行った事が例え事実でも、誰を殺しに行ったのかが分からなければ防ぎようがない。
医院に運ばれて来た時、娘にはまだ脈があった。
僅かでも意識があって、思いを伝えられる瞬間があったとすれば、知っているのは父親だけだ。
警察、先生、看護婦、学校の教師らが手分けして、一軒一軒尋ねて回った。
「家族の中でMちゃん(娘の名)の死に心当たりがある者はいないか?」と。答えはどこの家も、NOだった。

その娘の葬儀は先生が費用を賄って行われ、母親が眠る墓に埋葬された。
葬儀の最中、あるいは父親が姿を見せるのでは、といういちるの望みも叶わなかった。
母親は娘を産んで1年位後に、風邪をこじらせて亡くなっていた。
先生は一度父親を殴った事がある。妻が病に臥せている事を先生に黙っていたからだ。

「出産の時も、娘が熱出した時も金払わんかったから、言えんかった。」
涙を流しながら話す父親を、先生は思いきりぶん殴った。
「金なんか要らん言うたやろうが!」
先生も看護婦も涙が涸れるまで父親と抱き合って泣いた。「ふんぎゃー」傍らでスヤスヤ眠っていた筈のM子までが3人に加わった。
看護婦はその時、心から思ったという。
(犬神憑きなんて嘘っぱち!みんな良い人ばかりじゃないか!)

何事も起こらずひと月が過ぎた。失踪した父親の事もあまり話題にならなくなる。そんなある日、ある家から医院に電話が掛かってきた。5歳になる長男が泡を吹いて倒れたという。
先生が看護婦と駆けつけた時には、既に男の子は呼吸をしていなかった。心臓マッサージを試みようとした2人は、白目を剥いて倒れている子供の身体に触れ、異変に気づいた。
既に死後硬直が始まっていたのだ。
!!!
先生と看護婦は声を失った。

顔がみるみる土色に変わっていく!

(あり得ない!)
先生は子供の服を脱がせてさらに驚いた。痩せ細ってあばら骨が浮いた身体は干からびたように水気がなく、とても死んだばかりのものとは思えなかった。

先生は子供の身体を裏返してみる。
(・・・)そこにいる全員が凍りついた。
背中に紫色の痣があった。皆、口には出さなかったが文字に見えた。
僕の母は言う。
「あれはどう見ても、美、だった。死んだ娘、名前が美○子だったから、さすがにぞっとしてね」
時折、奥の間から咆哮としか言いようのない声が響いてくる。亡くなった長男にとっては祖母にあたる、Iさんが号泣しているのだ。
看護婦は子供の父親を見た。先程から何やら、ぶつぶつぶつぶつ呟いている。何を言っているのか全く聞き取れない。

側に座る母親はもはや放心状態だ。目の焦点が合っていない。
突然父親が、家が揺れるかという程の大声で叫んだ。「○○○○○!!」(聞き取れなかったらしい)
そして座った格好のまま横に倒れ込んだ。

先生が父親に駆け寄り何か叫んでいる。看護婦はその時、先生が自分を呼んでいるのが分かってはいたが、パクパクさせている先生の口をただ見ているだけで、何を言っているのか全く聞こえず、身体も動かなかったという。
ふと、傍らに横たわる死体を何気なく見た。
背中から何かが出ている。黒い煙のようなもの、いや煙というよりはもっと質感を伴った、黒い綿菓子といった感じのものが出ていた。

それは背中から抜け出すとゆっくりと浮き上がり看護婦の目の前で止まった。
彼女はそれから目が話せない。鼓膜が破れてしまったかのような静寂が彼女を包んでいた。視界に入る周囲の狼狽ぶりが何か他人事のように思える。
黒い綿菓子のように見えたそれはいつの間にか、そこだけが深い闇といった感じのものに変わっていた。
その中にふと視線を感じ目を凝らす。
2つの目が彼女を見つめていた。漆黒の闇に浮かぶただただ黒い2つの目。不思議と怖くはなかったという。
突如、彼女は、自分の中から言い様のない哀しみが込み上げてくるのを感じた。その感情は急激に激しさを増し、抑える事が出来ない。

彼女の中で何かが弾けた。
母は言った。
「気づくと隣の部屋に寝かされていたのね。兄が心配そうに私の顔を覗き込んでて・・・後で兄から聞いたんだけど、突然気が触れたように泣き出したんだって、散々泣き喚いた後気絶したって言ってた」
亡くなった子供の父親は、その後意識は回復したが精神に異常をきたしており、その日の内に精神病院に送られた。
長男には3歳になる弟がいたが、1週間後に原因不明の心臓麻痺で急死。
その翌日には母親が首を吊って自殺した。
長男が亡くなって10日も経たぬ間に、その家には祖母であるIしか居なくなってしまった。
先生と看護婦は、その家族とMちゃんとの関わりの有無が、気になって仕方なかったが、聞ける筈もなかった。
家に1人残されたIさんの事が気掛かりで、先生はちょくちょく様子を見に行っていたという。
Iさんは気丈にも、
「私が死んだら誰が墓参りをする」
と話していたらしいが、長男の死から約3ヶ月後、町の中央を流れる○○川に自ら身を沈めて亡くなった。

Iさんは先生宛てに遺書を残していた。
その内容に先生と看護婦は言葉を失ったという。

以下遺書の内容であるが、母の記憶も曖昧な為、大体こういう事が書かれていた、ということで許して下さい。

先生、この度は多大なる御迷惑をお掛け致しまして、大変申し訳なく思っております。先生の数々の励ましの御言葉、決して忘れません。
私は一刻でも早くあの世へ行って、あの家族に何としてでも会って、土下座して謝りたいのです。
Mちゃんを殺したのは私であり、全ての責任は私にあります。
先生は多分ご存知ないでしょうが、Mちゃんとうちの孫は、とても仲が良かったのです。山に行く時も川で遊ぶ時もいつも2人は一緒でした。
その様子を私の息子はいつも忌々しく見ていました。「よりによってあんなのと遊びおって!」
息子は常々口にしておりました。

私に息子を責める事は出来ません。息子にあの村の事を話したのは誰あろうこの私なのです。
「あの村の子供と遊ぶな」今となっては悔やんでも悔やみきれませんが、息子にそう言い続けたのは他ならぬこの私なのです。
実はMちゃんが亡くなった日、あの娘の父親が一度うちに来ているのです。
「M子見ませんでしたか?まだ帰って来ないんだが」
私はT(長男の名)を呼び、尋ねました。
「Mちゃん知らない?」
その直後に私が受けた衝撃は、言葉ではとても言い表せません。
Tは無表情でこう言ったのです。

「Mちゃんなら橋から落としたよ」
「あんた、何言ってるの?寝ぼけてるの?」
すがるような思いで尋ねた私に、Tは平然と答えたのです。
「だってMちゃん、化け物だって、人間じゃないって、お父さんが言ったよ」
目眩がしました。
(夢であってくれ!)
心底そう思いました。
父親はいつの間にかいなくなっていました。
Tは優しい子の筈でした。私が鬼の子にしたのです。
すぐに出頭すべきだったかもしれません。しかし、可愛い孫を殺人犯にするのは、やはり忍びなかった。

先生がMちゃんの死を知らせに来て下さいましたね。その時の父親の様子も。
私は覚悟を決めました。
息子と嫁、それに孫2人を天井裏に隠し、私は父親を待つ事にしたのです。
息子にそれを指示した時、何と息子はこう言ったのです。
「隠れる必要などない!逆に俺がぶっ殺してやる!」
私は情けなかった。Mちゃんの父親と私の息子、どっちが犬畜生ですか。私は息子の顔を初めてひっぱたきました。
 前にも申しましたが、私には息子を責める資格などありません。情けないのは私も同じです。
私は居間に座って、父親をひたすら待ちました。何よりもまず彼と会って非を詫びなければ、頭の中はそれしかありませんでした。
真夜中、果たして彼はやって来ました。手に凶器らしき物は何も持っていません。

「全ての責任は私にあります!許して下さい!」
私は手にしていた包丁を自分の首にあてがいました。
しかし彼には、そんな私の姿など、まるで関心がないようでした。部屋をうろうろしただけで、そのまま家を出て行ってしまったのです。

考えてみれば、私が死んだところであの人が許してくれるわけがありません。
私はあの人を全く恨んでおりません。もしも立場が逆だったら私も、鬼にでも化け物にでもなったに違いないのですから。

今は孫の事よりもMちゃんを抱き締めたい。涙はもう涸れ果てました。
Iさんが亡くなるのを待っていたかのように、M子の父親の死体が山中で発見された。
彼は大木の下で腐っていた。胃や腸を調べた結果、死因はたぶん餓死だろうと診断された。
その大木には何本もの釘が打ち込んであったという。あの家族の写真だと分からなくなるくらいまで。

隠されたもの

大学1年(20年ぐらい前)、同じサークルにいた(それまであまり親交もない)同級生
(I君)から、
「今日、うち(彼のアパート)に来ない?相談したいことがある」
と真剣な顔で言われ、彼についてそのアパートへ行った。
築20年は経ってるかな…6畳一間、風呂なし、共同便所。しかし家賃は2万円。
(今では文化財級かもw、でも20年前は大学1年なんて半分はそんな感じだった。

I君の部屋は意外とこざっぱりした感じ。
俺「で、相談て何なの?」
I君は言いよどんでいたが、押し入れを指さして、
「何かおる。見て!」
正直、I君の必死な顔に笑い出しそうになったけどこらえた。
俺「何がおるんや?」
I「毎晩あっちから何かが出てくるんや」
意味分からんw とりあえず0感な俺は押し入れのふすまを開ける。中身は空。
(たぶんIは片づけておいたんでしょう
I君は「そ、そこに何か貼ってるでしょう?見て!見て!」
言うやいなや彼は部屋を飛び出した。

残された俺はかなり不愉快だったけど、押し入れの中を調べた。
いや、調べる以前に彼が言った「貼ってある」存在が目の前にあった。
壁紙用(60センチ四方)のクロスだ。
「なんでこんなもんが怖いのか」
半分腹を立てながら調べる。
普通クロスは住宅用のノリで全面キッチリ貼ってある。しかし18歳にそんな知識は
ない。それは真ん中あたりが浮いていた。これは…と周辺に爪を立てると、クロスの
四辺を両面テープでくっつけているだけ。クロスはすぐに落ちた。
壁を見て全身の鳥肌が立った。
一回押し入れ&部屋から出て、隣室の同級生の家に避難してたI君に声を掛けた。
「あれ、はがしちゃったから文房具屋さんで両面テープ買ってきて~(引きつり笑)」

俺が見た物。
左下(床下から2~10センチあたり)に、推定5~6歳の子供が赤いクレヨンで描いた
顔の絵。
顔の上には「おかあちゃん」と書いてあった。
まずこれが異常だ。いくら寝ぞべって絵を描いても、子供とはいってももっと視線は
高いはず。
普通脛(すね)~膝より高い位置しか子供は落書きしないし。
俺が鳥肌したのは、クロスの右下の赤クレヨン。
「おかあちゃん」とたぶん同じ筆跡で、


 なか村まさ子 六十二さい

I君が両面テープを買ってきて、クロスを張り直してたら、当然、I君が聞いてきた。
「何かあった?」
何もなかったと言ったら、Iは剥がして自分で確認するだろうな、と思った。
だから、左下だけめくって見せて、
「前の住人の子供が落書きしてたんだよ。それだけのことw」
I君はそれでも気持ち悪い、と翌年近くのワンルームに転居した。

後日談がある。
その翌年、大学関係で斡旋されて、あのアパートに同じサークルの1年生が1人
入った。
I君の部屋に入ったのも同じ大学の1年生だったらしい。1年の後期に入った頃から
おかしくなり始めて、夜中の2時3時にアパート中のドアを殴って、
「うおぉぉおおおぉぉお!助けて!助けて!殺されますぅお願いです助けてぇ!」
数日後、親が引き取りに来てその後は不明(らしい)。

数年前帰省してレンタカーで、大学時代の思い出をたどった。
あのアパートはもうなくて、立派な民家が建っていた。

腹痛

あれは一年ぐらい前の事だと思う。俺が青梅にある有名な心霊スポットに友達何人かといったんだ。
そのときもカメラのシャッターがおりなかったり、音声認識のカーナビが無音状態の車内で突然起動したり
変な事は色々あったんだ。
でもほんとうにおかしかったのはそれからだった。
その三日後ぐらいだったと思う。
その夜、寝ていた時に突然内臓のどこか・・・というか下腹部が猛烈に痛み出したんだ。本当に痛くて血を吐いたり、痛みでベッドの上をのた打ち回った。
救急車を呼んで病院でレントゲンやら色々検査したら、小腸に10センチくらいの錆びた釘が入ってるって言われたんだ。手術で取り除いたが医者に「なんでこんな物が入ってるの?」って聞かれたが答えられるわけも無い。
飯に紛れ込んだとしたって明らかに気づくし飲み込めるはずない。
突然夜痛み出したのもおかしいし、おれにはあの夜にいきなり釘を腸にぶち込まれた気がしてならない。
なんだか得体の知れない恐怖に襲われた。

結局あのトンネルが関係あったのかどうかは今でも分からないが、たぶん人生で一番洒落にならないくらい怖かった。

有言実行

少し前のことだけど投下。
直接被害ではなかったけれど、派手な事件。

夕方駅で電車を待っていたら横で学生ぽいお姉さんに俺女が絡んでいた。
声は大きいし煩いなと思って睨んでいたら、俺女が急に「俺は電車を止めることも出来るんだぜ!!」とか言って線路に飛び降りた。
途端ホームに電車が滑り込む。
確かに電車は止まった。
俺女を巻き込んで。
証拠に目の前に左腕の肘からしたが落ちてきた。
職種柄人間の血肉に慣れてるせいもあって、あの時は死んだなと思った程度だったけれど、いま思えば大惨事。
見るからにぐちゃぐちゃだし、あちこちで貧血やら過呼吸やら嘔吐やらで人が倒れるし、死ぬときまで俺女は迷惑をかけるのかとか思った。
馬鹿は死ななきゃ治らないっていうけど、でも次にあの俺女が生まれてくるときは、まともな子になれればいいと、神様に願ってる。

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