こどもを自分の支配下に置き、その人生に有害な影響を与える親を指す俗語である毒親。

こどもへの暴力的・性的な虐待や育児放棄だけでなく、精神的な虐待や
過度な干渉も毒親の特徴とされる。

毒親による歪んだ親子関係はこどもに深刻な心的外傷を与え、その影響で
成人後も対人関係に問題を抱えたり、依存症に陥ったりして苦しむケースも少なくない。

そんな毒親の元で育ったこどもたちが、過去を振り返った。

10年近く疎遠だった母と再会した際に 「早く結婚しろ。不幸になれ」 って言われてビンタされたこと

10年近く疎遠だった母と再会した際に
「早く結婚しろ。不幸になれ」
って言われてビンタされたこと

母の言葉の意味を飲み込めなくてポカンとしている間に弟が母を引き剥がしてくれた
事態を飲み込んだ後は寒気と涙が止まらなくなって、父の車に乗せられて家に帰るまでずっと泣いた

母の仕打ちの詳細は割愛するけど昔から母と私は不仲だった
私を心配してくれた父の勧めで都内の大学に進学して私は一人暮らしを始めた
入学式用のスーツを買う時も付き添ってくれたのは父だった。お盆には父が都内まで会いに来てくれた
田舎にはあまりいい思い出がなかったので死に物狂いで就活して、辛うじて都内で正社員になれた
家を借りるための保証人、本籍地付きの住民票の用意など、親に頼る必要があることは全て父がやってくれた
そういった訳で大学生になって以降はずっと実家には帰っていなかった

母の日で盛り上がる世間を見て、いい思い出もないのになんだか実家と故郷が恋しくなってしまった
今から思えば本当に馬鹿なことをしたと思うけど、母の日に実家に帰省してしまった
久し振りに会った母は相変わらずだった。顔を合わせた途端に容姿を馬鹿にしてくるし、弟と私への声のトーンは全く違うし、服のセンスやカバンの値段を笑ってくるし
それでも私は頑張って朗らかに振る舞おうとした
仕事や都内での生活の楽しさを母に語り聞かせて、そしてビンタされた

確かに私も無神経だったと思うよ
本当は結婚したくなかった、子供なんか産むんじゃなかった、今の女は責務を果たしていない、って母が繰り返し私に語ってたことをすっかり忘れていたから
でもさ、実の娘に「早く不幸になれ」はないと思うんだ

もう実家に帰る気はない

中卒で家を出されて就職し、仕送りしていた夫と、親の金で大学まで行った義兄の現在の親への援助額が同じなんて

ほとんど他人事だと思っていた介護や援助の話が飛び込んできて呼吸が苦しくなった。
息子や息子の嫁や息子の孫じゃなくて
嫁に行った娘の孫ばっかりしか可愛がらないような母親のために
なんで援助しなきゃいけないのっていうのが本心。
でも旦那は母親だから援助したいって言ってる。
気持ちは痛いほどわかる。できるだけのことをしてやりたいっていう旦那の気持ちもわかる。

それでも家庭の貧困事情で15歳で家を出されて
お堅い会社に入って母親に仕送りしてた旦那と、
大学にまで行かせてもらって可愛がられた旦那兄が同じ援助額なのはおかしいと思う。
旦那兄は結婚して二十年以上たってからギャンブルに狂って給料全部つぎ込んでしまった。
それのしりぬぐいを母親が定期解約して払ってやってた。

旦那は金のかからない良い子、と母親から思われてるらしいが
旦那本人は半分冗談で「俺はいらん子の次男坊だから」と言ってるけど
本当は商船学校行って船の船長さんになりたかったの知ってる。
家が貧乏で今は亡き義父が仕事を辞めるくらいの大けがをしてしまったから
あきらめざるを得なかったのもわかるけど、
旦那といろいろ話してたら義母が勝手すぎるとしか思えなくて不覚にも電話越しに泣いてしまった。

いつも単身赴任先から帰ってくるたびにめんどくさいなあと思うような旦那だけど、
親に甘えたい盛りの年に家を出されて
ずっと私と結婚するまで独身寮にいた旦那のことを考えると泣けてしまって仕方がなかった。

旦那はびっくりして「俺のために泣いてくれてありがとね」って言ってくれたけど、
それ聞いたら余計に泣けてきてしまった。
いつもは糖尿によくないからって控えめにしてた旦那の好物を
今度帰って来たらいっぱい作っておいてあげようって思った。

私は自分の両親に残飯係にされていた。

別スレに彼氏の残飯係されていた人の話があったけれど、
私は自分の両親に残飯係にされていた。

定食屋で焼き魚を注文して、裏返して骨を取って食べるのが面倒になったら、
私に「食べられないから、お前が食べろ」と皿を押し付けてくる。
私が骨を外して食べ始めようとしたら、身が食べやすくなったので、親は
自分の箸を突っ込んできて、食べやすいところの魚の身を食べ始める。
また、面倒になったら「残りはお前が」と言う。
おでんを頼んで、卵と大根食べたら、残りを私に「食べろ」と言う。
ソフトクリームを買って、食べきれないと・・・以下同文。
外食では、私は自分の食べたいものは満足に食べれなかった。
私が頼んだ料理は、「ちょっと味見」とか「一口よこせ」と最初に親が食べた。
親が頼んだ料理で、親が飽きたもの、親が思うほどおいしくなかったもの、
親がちょっと食べてみたかったものの残りを私は片づける係だった。

結局、親とはほぼ絶縁した。
「それくらいで」とか「もう、お前の好きなものを食べて良いから」とか
「食べ物を粗末にしたくなかっただけ」言われたけれど、食事以外にも、
進学とか就職で親の都合ばかり優先した言動などいろいろあって耐えられなかった。
私の人生を食い散らかすような人とは暮らせない。
自分がいいところだけ取って、後の始末を娘に押し付けるような親とは関われない。
親戚には「我儘娘」「親不孝」と陰口をたたかれたが、叔父(父の弟)が
「〇〇(私の名前)の気持ちがものすごくよく分かる」と言ってくれてから、静かになった。

その後、親からは「今に親のありがたさがわかる、その時、泣きついてきても知らない」
「子供を産んだら、母親は子供の残したものを食べなければいけない事があって、お前のような
神経質な事を言っていられなくなる」と脅しの手紙が時折来るけれど、放置している。

妹ばかり可愛がり、私をダメな子扱いする母は絶対に継母なんだと思って、本当の母が来るのを待っていた

私は3才下の妹と二人姉妹。
私は父親そっくりで、見た目が残念な子と母に言われて育った。
母は妹を可愛がって褒めて、私はダメな子扱いで叱られてた記憶しかない。

ある日、一人で留守番をしていて暇だったので
押し入れや納戸の中にしまい込んだおもちゃを見つけようと
探し回ったら立派は表紙のアルバムを見つけた。
父と綺麗な女の人との結婚式の写真だった。
この女の人は誰?もしかして私の本当のお母さんなの?
妹ばかり可愛がって私は叱られてばかりなのは
お母さんの本当の子じゃないから?
でも両親に問いただせないでいた。

その後、もうじき私が小学生って時に父の浮気で母が実家に帰った。
妹だけ連れて行った。
ああ本当の子じゃない私は置いていったんだと悟ったよ。

暫くして母は妹を連れて戻ってきた。
継子な私は一線を引いて母と接した。
甘えちゃいけない、本当のお母さんじゃないし。
いつか本当のお母さんが迎えに来てくれる。
その時に良い子でいよう。
本当のお母さんに喜んでもらえるようにと、いろいろ頑張った。

自己評価が低い子だったけど小学校に行って過ごすうちに
なぜか勉強トップクラスで表彰されまくりで
弱者に優しい子だと周囲に高評価された。
でも母は私が褒められると
決まって私sageな事を言い出し妹ageな自慢をした。
もう悲しくも何ともなかったけどウザかった。
時々、アルバムを見て早く迎えに来てと話しかけていた。


あれは忘れもしない小5の冬。
母と私はコタツにあたってた。
母はピンクの可愛い毛糸で妹のセーターを編んでた。
私には可愛い色が似合わないと茶色のセーター。

なんかプツンと気持ちが切れた。
母に淡々と聞いた。
『お母さんは私の本当のお母さんじゃないんでしょ?』
『だから私が可愛くないんでしょ?』
『私の本当のお母さんは何処にいるの?』

母は目をまん丸くして
『何言ってるの?あんたは私の子だよ』

私は押し入れからアルバムを持ってきて母に見せた。
『この人が私の本当のお母さんでしょ。今どこにいるの?』

暫くの沈黙の後に母が言った。
『これ私』

白塗りで人相変わっていただけで母だったw
ショックでその後に記憶が数ヶ月曖昧ないんだよね当時の私ww
継子だから意地悪される、叱られる、
放置気味なんだと思ってたから耐えられてのにさー。

もう半世紀生きてるし生き死に関わる事もあったけど
実母だったとわかった時以上のショックってないわw

974: 名無しさん@おーぷん 2016/05/26(木)17:07:54 ID:6JI
>>973
それ打ち明けた後ってどうなったの?
その後が知りたい

975: 名無しさん@おーぷん 2016/05/26(木)17:13:27 ID:QBr
>>974
私さらにsage
一人で悲劇のヒロインぶってプゲラ状態だったっぽいなあ。
記憶が曖昧なもんでw

妹も私をバカにしてた。
自己愛性人格障害のまんまだよ母と妹。

今は私は旦那と子供に恵まれて幸せ。
でもまだ笑い話に出来ないから吐き出しました。

976: 名無しさん@おーぷん 2016/05/26(木)17:17:27 ID:6JI
>>975
せつないね…

977: 名無しさん@おーぷん 2016/05/26(木)18:08:03 ID:zr1
>>975
旦那さんとお子さんを大切に
お幸せに

小さい頃虐待受けてた親から弟経由で連絡がきたんだけど、正直幼い頃の虐待を思い出すとどうしても許す気になれなかった。

人のいなさそうな時間にひっそりと投下してみる
ものすごく長いので興味のない人はざざっと読み飛ばしてほしい


1~2年くらい前、たぶんこの辺だったと思うんだけど、親のことで愚痴ったことがある
3、4才の頃鼻血が出るまでよく殴られたとか、弟だけ幼稚園に入れてもらえたとかそんな話
果物を送ってやるとか何とかいうメールが来て弟巻き込んで面倒臭いやり取りの末
内緒で引っ越してたことと職を変えてたことと、資格取るために夜間の学校に通ってたことがばれた
両親は私に会えないので弟の所へ話を聞きに行き、弟は私に許可を得て、とりあえず事実だけを話した
弟によれば、非常にショックを受けていたらしい
何も知らされてないなんて、娘にそこまで嫌われてるとは思ってなかったようだ
でもその数ヶ月後の親戚の法事では普通に話しかけてきやがったんだけどね
従兄弟達が子沢山のおかげで、総勢約10名のお子たち(甥姪含む)の世話にかまけてガン無視したが

弟たちは、基本的に親とは仲いいが、私と親との諍いでは私の側に立ってくれてた
両親の暴力・暴言、ネグレクトは父の仕事が安定しなかった若い頃が一番激しく
年を重ね収入が安定するに従って落ち着いていった感がある
父からは「お前達は動物と一緒だ、だから殴ってでも躾けるんだ」
とドヤ顔で言われた記憶があり
母は私が女の子らしいことに興味を持つことに非常に嫌悪感を示し、否定し続けた
結果長子であり、唯一の女児である私が、一番長く、一番理不尽な扱いを受けたことになる
上の弟は親の暴力の激しかった頃をおぼろげに覚えているのだろうし
下の弟はその辺ピンと来ないまでも、親が激昂したときは必ず私に庇われたことが今でも印象深いそうだ

弟たちが独立したあとも、私はしばらく実家に残って事故で足を悪くした母に代わって家のことを
ほとんどやっていた
化粧品やら自分の物を買うのにパートもしていたが、ささやかな給料の大半は家賃として徴収された
家を出たのは両親が退職後、母が休みながらなら家事もできること、
父親が母の介助要員として戦力になることを確認した後だった
パートを辞めるときに勤め先が用意してくれた僅かばかりの退職金が、引っ越し費用になった
その後はフルタイムで働きながら大学に入り直し、卒業後はとある国家資格を得るために養成科に通い出した
弟たちは結婚し子供が生まれた後も両親とそれなりにうまくやっていたが、私はその間ずっと、
ほぼ完全に接触を断っていた

家を出たのは、親を見限ったからだ
もう二度と和解のチャンスは与えない、ということ
いろいろ最後まで、本当にいろいろ頑張ってみたつもりだけど、もう終了、と思った
今まで何度も何度もそういう機会はあったし、若い頃は涙ながらに辛いと訴えたこともあったけど
その機会を全て悉く、こいつ何を言ってるのという顔で潰してきたのは彼ら自身だ
あの人達は一生私を理解できないまま、一生私に許されないまま死んでいく
後でやり直そうと思ったとしても、そんな機会はもう一生与えない
娘の一生踏み躙ったんだから、娘に一生許されないくらいのペナルティは妥当だろう
私自身もあの人達と和解できないままあの人達を失うわけだが、そのくらいの代償は構わないと思った

本人達に悪意はないから、急に連絡を絶つと心配だとか言って騒がれそうなのが嫌だった
職を変え、引っ越し、携帯を変え、そのたびに弟にだけは新たな連絡先を教え親には教えず……
というのを繰り返し、すこしずつ、気付かれないように疎遠にしてゆく予定だった
今回はバレたけど、今度は事前に弟にも根回ししていずれ逃げ切ろうと思ってた




そして、母が死んだ

91: 名無しさん@おーぷん 2016/04/17(日)04:15:56 ID:KTI
法事の1ヶ月後に調子が悪いと病院に行き
その1ヶ月後に入院し
その2ヶ月後には息を引き取った
珍しい難病で、治療法も見つからないまま、あっという間の最後だった


作り話みたいだよね
別に作り話でもいいんだけどさ

父や弟から毎日のように病状を知らせるメールが届いてて、状況が悪いのは分かってた
でも入院したのは国家試験直前だったし、その後も卒業まで実習だの何だの過密スケジュールで
忙しい、を言い訳に見舞いはおろか、メールすら一切返信せず無視し続けた
だんだん病気に勝ち目がないことが分かってきた頃、下の弟から遠慮がちな電話があった
無理にとは言えない、でも、もし可能なら、会いに行ってやれないか、と
すごい嫌だったし、その時はうーんと言葉を濁したけど
これが最後になるかもっていう予感はあった
最後に私のこと、どう思ってるのか聞いてみたいと思った
少しは罪悪感とかあったのかよと

結局学校の合間、たまたま午後に時間ができた日、入院先へ向かうことにした(国試は終わったあと)
話してみても、きっとまた無神経なこと言われて腹が立つだけじゃないのか
的外れな答しか返ってこなくて、結局がっかりして帰ることになるんじゃないか
でも、それで失望して、やり切れないまんま終わりを迎えることになったとしても
それはそれで人生だな、と思った
ある意味腹をくくった

92: 名無しさん@おーぷん 2016/04/17(日)04:18:53 ID:KTI
私が来るとは思っていなかったらしく、母はずいぶん驚いていた
コートとか脱いだあとこっちもどうしたものかと思って突っ立ってたら
母は私に向き合ってまず、「お前には悪いことをした」と言った
涙声で、「初めての子で育て方が分からなかった」「やり方を間違った」「辛い思いをさせた」
私が最期の別れに来たと思ったんだろう
「お母さんは大丈夫、まだ死なないから」と「悪かった」をずっと繰り返してた
私はまだ学校が忙しく(実習が始まるタイミングだった)、今日もすぐ帰らなければならないこと
今後も当分来れないことだけ告げて、すぐに病室を出た
帰りの電車で少し泣いた
行ってよかったと思った

電車の中で思ったのは
母の言う「(私にした)悪いこと」と、
私が両親からされて「もう取り返しが付かない」「やりなおしもきかない」と思ってることは
たぶんかなり食い違ってる
この先何度会ってもきっと噛み合わないことだらけで、話すたびに嫌な思いさせられて
話すたびに苛々して、酷いこと言われて理不尽なことされて、何度も悔し泣きするハメになるんだろう
だから結局、距離を置いた方がいいのは変わらない
許したのか、と言われると、たぶんやっぱり許してない
でも、ずっと欲しかった言葉ではあった
心の中で、どうしようもなくグッチャグチャに吹き荒れてたグチャグチャな何かが
確かにあの一言でだいぶ凪いだ
私はあの人達に付けられた心理的精神的なトラウマやら欠損やら欠陥やらを一生抱えて生きなきゃならないわけだが
それを受け入れるのに、ほんの少し、少しだけ
気が楽になったと思う

その2~3週間後には母は喋ることもできなくなり、医師からは命の期限が告げられた
医師の見込みよりはだいぶ粘って、母はその更に2週間後になくなった
私の国家試験合格発表翌日という、見事なタイミングだった

93: 名無しさん@おーぷん 2016/04/17(日)04:28:34 ID:KTI
私は国家資格を手に入れて、今それに関連した仕事をしている
母の遺産は(大した額じゃないけど)兄弟で分け合うことになって
私の場合は学費の返済と職場近くへの引越資金になった
あの一言がなかったら、あの人の遺したモンなんか、気持ち悪くて欲しくもないわ!ってなったと思う
父とは法事の打ち合わせなどで多少はやり取りするようになった
以前ほど苦痛ではないけれど、適度に距離を置こうとは思ってる
苦しいししんどいのは変わらんけど
前よりはマシに立ち回れるようになったような気がする

弟たちは割合穏やかで冷静だけど、やっぱり普通に母親の死が悲しいみたいだ
私1人「いい別れ方ができた」みたいにすっきりしてて
我ながら薄情だな、とも思うし
娘に死を悼んですらもらえないってのは、母にとっちゃ残念だろうが、因果応報だよなーとも思う



↑半年くらい前、何かどっかに書き込もうと書きなぐったやつです
結局踏ん切りが付かずに眠ったままだった
今なら何かいけそう、と急に晒す気になりました
一周期も過ぎて大分経って、ざわついてた気持ちも落ち着いてきたんかな

意味もない吐き出しです
長々と済みません(少しすっきりしました)
今がしんどい方も先が見えない方も、いずれ平穏が訪れますように
失礼いたしました

くそ真面目で正義感の強い夫が鬱になった時、私のせいだって義母にものすごく怒られた。


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