出典: http://pixta.jp

1000円札/野口英世

生年月日: 1876年11月9日
生まれ: 福島県 猪苗代町
死没: 1928年5月21日, ガーナ アクラ

黄熱病や梅毒等の研究で知られ、ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がった野口英世。

野口英世を主人公とした、子供向けの偉人伝が多数刊行されて「偉人の代表」ともよべる存在となったため、医学研究者としては非常に知名度が高い。

医師を目指すきっかけとなった左手の大火傷

1歳の時に囲炉裏に落ち、左手を大火傷する
1891年(明治24年)、左手の障害を嘆く彼の作文が小林を始めとする教師や同級生らの同情を誘い、彼の左手を治すための手術費用を集める募金が行われ、会津若松で開業していたアメリカ帰りの医師・渡部鼎の下で左手の手術を受ける。
その結果、不自由ながらも左手の指が使えるようになる。
この手術の成功に感激した事がきっかけで医師を目指す。

ケガの功名で学問を志した?

博士は野口家の長男でした。因みに、兄弟にはお姉さんと弟がいました。
当時は、長男が家業(農業)を継ぐのが一般的でしたが、左手を火傷したため、力作業が伴う農業を諦めたそうです。
博士は、幼少の頃から頭が良く、太陽の位置をみただけで時刻が分かったといいます。
お母さんは、「自分の不注意で左手を火傷させてしまった」という慙愧の念を持ち続けていました。
そのため、「左手の火傷のため、この子は家業(農業)を継ぐことは出来ないのだから、何としても学問で身を立てさせてやらなければならない」と決意し、自らが人の何倍も働くことにより、博士を家事から遠ざけ、勉強に集中させました。

並外れた集中力で数ヶ国語をマスター

会陽医院で医学のほか、英語・ドイツ語・フランス語の勉強をしましたが、並外れた集中力を発揮し、1つの言語の原書を3ヶ月で読めるようになったそうです。
博士は、一度引いた語彙は全て覚え、二度と同じ語彙を引くことはなかったそうです。
また、医術開業試験に合格した後、中国(当時は「清」)でペストが発生したことから、博士も医師団の一員として派遣されましたが、中国への8日間の船旅の中で、博士は、中国人の船員と手真似を交えて世間話をしているうちに、簡単な日常会話をマスターしてしまったという逸話も残っています。

5000円札/樋口一葉

生年月日: 1872年5月2日
生まれ: 東京都 東京 内幸町
死没: 1896年11月23日, 東京都

樋口 一葉は、日本の小説家。

「一葉」はペンネーム

一葉の本名は“奈津”、“夏子”とも書いたそうですが、ペンネームを考えたとき、達磨大師は足がなくて一枚の葉の葦舟に乗って揚子江を渡った、との故事をもじって、“足”を“銭(あし)がない”と置き換え“一葉”とつけたそうです。

三列目の左から三番目が樋口一葉


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